2019年の参議院選挙

2019年7月21日(日) 23:59 | 日記

6年前の参議院選挙について何か書いてたかなと思ってたら書いてた。

参議院選挙のこと

僕の思いは6年前と基本的に変わってないし、今回の選挙でも6年前と同じく比例は共産党、選挙区(東京)は吉良佳子さんに投票しました。吉良さんは当確ということで安心しました。

変わったのは世の中の方で、政策がどうこうより、「権力を根拠として一方的にものごとを決める独裁的な姿勢」を肯定的に受け入れる風潮が、6年前より強まったように思います。
みんな、自分で考えて選択して、その選択に責任を負うことより、誰かに決めてもらうことを選びたがるんですね。
僕らのようにちょっと知恵を付けた人なら、自分で考えて自分で選択できる範囲が広ければ広いほどうれしいし、そういう権利はできる限り尊重したいから、他者にもそうであることを願うけど、そういう「選択肢が豊富にある」という状況をありがたく思わない人が世の中にはいる。
選択肢があるということは、いずれかを選べる自由があるけれど、それと引き換えに「いずれかを選んだ責任」が生じる。その責任を負わされるのが嫌だから、選択肢など最初から与えてくれるなという人がいる。たとえば選択的夫婦別姓は、僕らにとっては「選択的」なんだから誰も不幸にならないはずだと考えるけれど、実際にはこれまで「選択」の対象ではなかった「夫婦が同じ名字になる」ということが「選択」の結果とみなされ、そこには「選択した責任」がついて回るようになる。そのことを嫌がる人がいる。

共産党は学歴を偏重する傾向があって、今の委員長の志位さんも、ナンバー2の小池さんも旧帝大卒。豊富な選択肢から適切なものを選び取る能力がある人です。
かつての自民党もわりとそうで、トップは東京大や早慶の出身者がほとんど。だけど現トップの安倍氏は高学歴ではなく、もちろんかつての田中角栄のように学歴で知性を測れない人もいるけれど、安倍晋三は実際の知性も低く、選択肢を適切に選び取る能力があるとは思えない。それを本人も自覚しているから、知性がある人たちに対する嫉妬心がものすごい。
そういう人間だからこそ人々の共感を呼ぶというのは、アメリカでトランプ大統領が当選したことが象徴するように世界的な現象で、僕らからすると薄気味悪いというか、実際にとても困るんですけど、僕らと立場が違う人にとっては別の景色が見えているんでしょうね。

もっとも、20年前と比べると現代は情報過多な世の中だから、「自分にとって都合のいいやり方で選択肢を狭めてくれる根拠」に対するニーズは強いだろうし、その根拠を何らかの権威や権力に求める人がいるのも分からない話ではありません。そのニーズをすくい取るのが結果的にうまかったのがアメリカのトランプであり、今の安倍政権だということなのでしょう。慎重に議論を尽くすわけではなく、いつでも高圧的に、ときには嘘も使いながら、速やかに決断を下す。ちょっと知恵を付けた人なら忌避するようなことを、ちゅうちょなくやれてしまう。その姿を見て、「知性を持つ人々への妬み」というカタルシスを解消する人もいるのかもしれない。

参議院選挙は政権選択選挙ではないし、与党はどうやら選挙前の勢力を確保できないから、国政の現状が大きく変わることはなさそうだし、自公政権の支持率は今後も株価と連動するんでしょうけど、先に述べたような「選択肢があるという状況をありがたく思わない人のうち、安倍政権の方針をおおむね肯定している人」は、経済がどれだけ悪くなっても現政権を支持しそうだし、そういう層が広がっていくことを、個人的に懸念しています。もしそんな風潮になったら、絶対に日本の社会は今以上に悪くなる。

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