去年のゴールデンウィークの思い出1・春一番ライブと京都の風景

2019年5月 2日(木) 01:48 | 日記

10連休はいかがお過ごしでしょうか。僕は基本的にカレンダーどおり10連休ですが、今日(5月1日)だけ少しだけ会社に行ってきました。その足で新幹線に乗って、今は実家にいます。実家では2泊して、3日には例年どおり関西へ遊びに行って、5日の夜に東京に帰ってくる予定です。

去年のゴールデンウィークも関西へ行きました。夜行バスに乗ったときの話と、大阪のホテルに泊まったときの話はすでにこの日記に書いたのですが、そのあと何をして過ごしたかを書かないまま1年が過ぎようとしています。せっかく大量に写真を撮ってきたので、旅行へ行く前に1年前のことを書き残しておこうと思います。

1年前の日記はこちらです。

4年ぶりの夜行バス(2018年5月2日)
2018年、大阪1日め(2018年5月3日)

2018年5月3日・4日 祝春一番2018

祝春一番2018・1日め1
祝春一番2018・1日め2
祝春一番2018・1日め3
祝春一番2018・1日め4

5月3日。いつもの「祝春一番」、いつもの服部緑地の会場です。この日は夜行バスで来たのですが、出発が遅いバスを選んだせいで渋滞にはまって到着がぎりぎりになり、会場に入るのも少し遅くなりました。春一番は「開場も開演も11時」というシステムなので、11時少し前に着くと、中に入れるのは11時10分すぎになります。

この日は民謡バンド「羊歯明神」として遠藤ミチロウさんもステージに立ちました。ミチロウさんのライブは過去の春一番で何度か見ましたが、この日のミチロウさんは杖を持ってステージに立っていて、明らかに体調を悪くしているようでした。それでもライブではいつものように力強い歌声を聞かせてくれたのですが、あれが僕にとって最後のミチロウさんのステージになってしまいました。

祝春一番2018・2日め1
祝春一番2018・2日め2
祝春一番2018・2日め3
祝春一番2018・2日め4
祝春一番2018・2日め5
祝春一番2018・2日め6

2018年の春一番は3日間開催されて、僕が行ったのは初日と2日め。同じ会場なので、写真も初日と同じような感じです。
3日間の出演者はこんな感じでした。(下記のリンク先のいちばん下にあります)

春一番コンサートの過去の出演者

普段東京で暮らしている僕にとって、大阪の春一番の雰囲気にひたることが、おおげさに言うと自分の人間性というか、生き方を見失わないための大きな要素になっています。今年も3日間のうち一日だけですが見に行く予定です。ミチロウさんは向こうへ旅立ってしまいましたが、70年代から現在まで歌い続けるたくさんのミュージシャンが今も健在です。

2019年5月4日夜、京都のカプセルホテルとラーメン屋

5月3日は大阪の動物園前の安いホテルに泊まりましたが、4日は服部緑地から京都へ移動して、漫遊堂というカプセルホテルに泊まりました。
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場所は東大路通りの、百万遍交差点から少し北へ行ったところ。学生の頃に何度も通った道です。当然、僕が学生だったころにこのホテルはなく、できたのはつい最近のこと。案内してくれた若い店員さんは、20数年前の僕と同じ京都大学の学生でした。
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内装はこんな感じ。なかなか快適でした。
運営が向かいにある漫画喫茶なので、宿泊者は漫画を部屋に持ち込んで読めるのもありがたいところです。せっかくなので、途中までしか読んでいない「アカギ」を、寝る前に当時の最新刊まで一気に読みました。

寝る前には写真の「高安」というラーメン屋さんに行きました。東大路通りをさらに北上して北大路通りを超えて、しばらく歩いたところにあります。
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この一乗寺という地域には昔からラーメン屋が多くて、この日記でも2006年に「夢を語れ」というラーメン屋へ行ったことを書いています。

東京の「二郎」そっくりのラーメン(2006年12月24日)

時期的なものなのか、ほとんどのラーメン屋で行列ができていました。この「高安」でも3~4人の先客が並んでいました。
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ダイエット中でしたが、せっかくなので唐揚げとライスのセット。なかなかのボリュームでした。ラーメン自体はザ・京都という感じ。東京にもある「天天有」なんかに似た雰囲気の味でした。

本当は別の店へ行こうと思っていたのですが、すでに閉店して、違うところに移転してしまったようです。
「天宝」というラーメン屋で、2003年の春にゲーセンのオンラインクイズゲーム「クイズマジックアカデミー」のプレイヤーに会うために京都へ行ったときに、その人に誘われていっしょに行くことになったけれど残念ながら休みの日で、その年の秋に別の人と京都と奈良へ旅行したときに「天宝」に行くことができて、なかなかおいしかった思い出があったので、また行ってみたいとずっと思っていたのですが。13年も経っていたらさすがに厳しいですね。

2019年5月5日、変わりゆく京都の街

5月5日はレンタサイクルで京都の街を散策しました。先ほど少し触れた2006年12月のときにも使った、出町柳駅のすぐそばにあるショップで自転車を借りました。
まずは出町柳の近所から。京大生もたくさん住んでいる地域です。さすがに20年以上前と比べたらずいぶん様変わりしていますが、この10年だけでもいろいろと変わりました。

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何の変哲もない「ライフ」というスーパーですが、この場所にはかつて「北白川バッティングセンター」という施設がありました。通称「キタバチ」。場所は京都造形芸術大学の向かいあたり。バッティングセンターとゲームセンターとカラオケが合わさった施設で、学生の頃にはよく遊びに行ったものです。
先ほどラーメン屋のくだりで書いた、クイズゲームのプレイヤーと会ったのもここでした。
しかし時代の流れなのか、2011年にキタバチはなくなりました。思い出の場所がなくなるのはさびしいものです。

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こちらはフレスコというスーパー。先ほどのキタバチ跡地のライフから少し南へ行ったところにあります。ここにはかつて丸山書店という本屋さんがありました。かなり大きな店なのに夜12時まで開いていたので、当時住んでいた家から4キロくらいありましたが、キタバチとともに夜の暇つぶしによく使っていました(高野交差点のところにあった丸山書店は確か24時間営業でした)。
僕が東京に引っ越してからも、一度だけ丸山書店へ行きました。それも確か先ほど触れた2006年末のことだったのですが、それから何年かして丸山書店の運営会社がつぶれてしまい、跡地にはスーパーが入ったというわけです。時代の流れとはいえ、思い出の場所がなくなるのはやっぱりさびしいものです。

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こちらは天下一品の総本店。東京にも名古屋にもいろんなところに支店があるラーメン屋の本店がここです。先ほどの丸山書店の跡地から少し南に行ったところ、具体的には白川通り大路交差点の南西の角です。
注目したいのは総本店そのものではなく、その左にある喫茶店です。ここ、僕が学生の頃にはちょっとおしゃれなカフェだったんですけど、今は「からふね屋珈琲店」的な感じの喫茶店になっているんですね。調べたらこの「ビリオン珈琲」は運営会社が福井にあって、店舗も福井や岐阜に多く、京都市内ではここだけみたいです。

一乗寺、北白川とたどったあとは、僕の母校でもある京都大学に向かいます。

去年のゴールデンウィークの思い出2・京都大学の立て看板

去年のゴールデンウィークの思い出2・京都大学の立て看板

2019年5月 2日(木) 02:34 | 日記

去年のゴールデンウィークの思い出1・春一番ライブと京都の風景

当時おおいに話題になった立て看板撤去問題

京都大学の当局が立て看板を撤去するという話になり、学生と揉めたのもこの頃でした。なんでも京都市の要請で景観に配慮せよという話になり、大学の運営がそれに従ったということですが、看板が立てられている道路の横には京大関連の施設しかなく、立て看板が間近に見える場所に住民はいないわけで、誰に対する配慮なんだよと突っ込みどころ満載だったわけですが、僕も卒業生として、大学当局に対する現役京大生のとんちの効いた対応を頼もしく見ていました。

そんな2018年5月5日、今から1年前の京都大学の風景を、あらためて振り返ってみます。
まずは百万遍交差点から。
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東大路通り沿いに南下していきます。もちろんこのほかにもたくさんの看板や貼り紙があったのですが、個人的にこれはいいなと思ったものだけ選んでいます。
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このピンクの看板、ハート型の飾りを近くで見てみると……。
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「京大目指したきっかけはタテカンでした!」。いやそれは盛りすぎ。

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吉田寮に関するメッセージもありました。
日本最古の学生寮ということで、今にも崩れ落ちそうな強烈なビジュアルばかりがどうしても話題になってしまいますが、ここの寮費の安さで助けられた学生は多いから、なんとかしてそういう場所を残してほしいと思っています。

東大路通りを左に曲がり、正門に向かう道路の立て看板です。
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こういうイラストをすらすら書ける人になりたかった。
「この国を守り抜く」のパロディで、「立て看を守り抜く」と安倍晋三のイラストに言わせているところが笑えますね。自民党にもおおぜいいる東大卒の議員に対して強烈な劣等感を抱く、知性と対極にいる人間だけに。でもそれを京大生がやるのはえぐいというか大人げないというか。
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「公安警察は立入禁止」。ひねりのないド直球なメッセージ。立て看板の作者たちは当然一枚岩ではなく、いろんな主張を持つ人が思い思いに書いています。ただし右翼は見当たらない模様。
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ガチ左翼が書いたと思われる看板の左にひっそりと、「ラーメン二浪京大店」という黄色い看板。この大学のこういうカオスなところが、現役の頃からとても好きでした。

そしてこちらが京都大学の正門の、時計台が見えるロケーション。ここにも立て看板はありました。
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我ながらいい写真だと思いました。大学の名前と、大学の象徴である時計台。そのすぐ横に、どぎついメッセージを放つ立て看板。京都大学のある一面が凝縮されています。
ところで、先ほど載せた吉田寮へのメッセージにもあったんですけど、この「うかんむりの下にR」という文字ってどれくらい使われてるんだろう。「寮」という漢字がややこしくて看板に書くのがたいへんだから下のところを「R」に変えたた略字で、僕が学生の頃にはすでに使われていたんですけど、ほかの大学とか、ほかの文化圏でも使われてるんですかね。

おもしろかったのは、この立て看板のところで撮影をしていた人がいたこと。
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この春めでたく京大に合格した学生が、連休に家族を呼び寄せて、お母さんといっしょに記念撮影をしていたんでしょうか。そんな晴れの日の風景の周りに珍妙な立て看板があるのが、なんともシュールでした。

上の写真でカメラを構えるお父さんらしき人の後ろに写っていたのが、こちらの看板。さすがにこれを使っての記念撮影はしなかったようです。
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あとこちらは立て看板ではないのですが、大学の構内にはこんな貼り紙もありました。
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東大路通りの反対側、西部講堂のところにも立て看板はありました。
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こういう文化、嫌いな人は嫌いだろうし、「社会に出たことのない、ルールを守ることの大切さを知らない子供の甘え」とみなす人もいるだろうし、そこまであからさまに非難しなくても「勉強しかできない奴がはっちゃけようとしてすべってるのが寒い」「そもそもセンスがない」「左翼きもい」と冷笑する人も多いだろうし、確かにそういう面があることも否定しないけど、実際は玉石混交で、鋭いメッセージや楽しい絵柄もたくさんあります。僕が学生の頃にもこの文化は好きだったし、今もなくならないでほしいと思っています。

この立て看問題は1年経った今も状況はたいして変わっていないようで、最近また看板を立てる動きが活発化しているようです。時間があったら今年も見に行きたいと思います。

この京大本部にあるカフェ「カンフォーラ」もひさびさに行ってみたい。去年は休日なのに、それなりに人がいました。
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京都の街をレンタサイクルで巡る旅は、まだ続きます。

去年のゴールデンウィークの思い出3・京大から京都駅らへんまで

去年のゴールデンウィークの思い出3・京大から京都駅らへんまで

2019年5月 2日(木) 09:50 | 日記

去年のゴールデンウィークの思い出1・春一番ライブと京都の風景
去年のゴールデンウィークの思い出2・京都大学の立て看板

2018年5月5日。朝に出町柳で自転車を借りて、一乗寺や北白川をめぐったあとで京都大学の立て看板を眺めました。ここからいったん京都御所方面に向かったあと、再び東に戻って平安神宮を経て、東大路通りを南下していきます。

学生時代の生活圏と観光地

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まずは「餃子の王将出町店」。ご存知のように王将はチェーン店でありながら、店舗によって餃子以外のメニューが大きく異なるのが特徴です。中でもこの出町店は、定食の量が多いことで知られています。
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この写真では伝わりにくいですけど、餃子2枚に山盛りのご飯、それに唐揚げ。値段は忘れましたが、量のわりにはかなり安かったはず。
ここは大学からもそんなに遠くないですが、現役の頃に行ったのは一度だけ。そのあと確か2001年の秋に京都へ旅行に行ったときにも行ったので、このときが3回めになります。
料理にはとても満足したのですが、店主が学生アルバイトを怒鳴るような態度を取っていたのは気になりました。

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京都御所。とにかく広い公園です。学生時代のサイクリングコースでした。ひとりで考えごとをすることが多くて、自転車に乗って外の風に当たるのが好きでした。90年代の京都は今ほど観光客も多くなかったので。ただここは砂利道なので、スムーズに走れないのがたいへんでしたが。

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平安神宮周辺は観光客がいっぱいでした。近隣の店舗には行列。甘味処的なお店だったと思います。たたずまいがいかにも京都って感じがします。

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東山三条の「マルシン飯店」にも行列。
ここにはふたつの思い出があって、ひとつは学生の頃に東大路通りを自転車で走っていたときに、タクシーの横を抜けようとしたらそのタクシーのドアが突然開いて、ドアが指にぶつかって転んでけがをしたことがあったんですけど、そのときに警察を呼んだりしてくれたのがここのマルシン飯店の店員さんだったこと。もうひとつは、大学を卒業して名古屋でフリーライター的な仕事をしていたときに、某雑誌のグルメコーナーのために、なぜかこのお店に電話取材をしたこと。
学生の頃はわりとこの近くに住んでいて、これだけ縁があるのに、なぜか今まで一度もお店に入ったことがありません。近々京都へ行くので、行けたら行ってみたいと思います。

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東大路通りにある「かに家」というかに料理専門店。ここで1年ほど、厨房で「かに寿司」を作るアルバイトをしていました。節分の日は巻き寿司を一日中巻きまくったことを覚えています。当時、恵方巻きは関西地方のみの風習で、愛知県出身の僕はそんな習慣があることを大学1年の2月に初めて知りました。

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学生の頃にたびたび訪れていたのが、東福寺というお寺です。先ほどの「かに家」から東大路通りを南下して、2.5キロほど行ったところにあります。上の写真は、寺へ行く手前にある木製の橋です。
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この橋から見える風景がこちら。写真の奥に見えるのも木の橋で、こちらは東福寺が管轄する有料エリアとなっています。上の写真の橋よりさらに風情があります。
10年以上前に京都を訪れたとき、僕が撮ったその橋の写真がとてもきれいだったので、それ以来ずっと携帯電話の待ち受け画面にしています。そんな「映える」スポットなので、最近は写真を撮りたい観光客が滞留するのが問題になっているようです。

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東福寺の境内の風景。学生の頃、たまに夜中ひとりで境内へ行って鐘の近くに座り、ぼーっと考えごとをするのが好きでした。別に病んでいたわけではないのですが、若さゆえ割り切ったりあきらめたりすることができないために、いろいろと悩んでいました。

古都のもうひとつの顔

初めて京都駅で降りたのは、今から24年前の1995年。京都大学の受験のときでした。
京都といえば世界的な観光都市であるとともに日本有数の大都市でもあり、ターミナル駅の周りも当然発展しているのだろうと、世間を知らない18歳になりたての僕は思っていたので、駅に向かって速度をゆるめる新幹線の窓から見える風景はなかなか衝撃的でした。
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京都駅の北東、塩小路通り沿いのこんな風景は、24年前に見たのとほとんど同じでした。
なぜ「皮」なのかと不思議に思ったものですが、その理由が分かるまでに時間はかかりませんでした。

詳細は書きませんが、この地域にある大規模な集合住宅では人口が急激に減っていて、地域にあった小学校も閉校になりました。確か去年は、その小学校の校舎で展示会のようなイベントが開かれていました。
この小学校を含む京都駅の東側一帯には京都市立芸術大学が西京区から移転することが決まっていて、2023年までの移転を目指しています。京都市としても大学を核とした地域の再開発を考えていて、京都駅の徒歩圏内という恵まれた立地を観光やビジネスにも活用しようともくろんでいるようです。
このへんの事情に詳しくない方は「柳原銀行」で検索してみると、いろいろな情報が見つかると思います。

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こちらはその柳原銀行ゆかりの「柳原銀行記念資料館」という施設の近くで見かけた、地域の歴史がつづられた看板です。

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閉鎖された土地。さびたフェンスと手入れされていない建物。文字が書かれた看板がありますが、土地の所有権でもめているのでしょうか。この廃墟のような光景も、京都駅まで歩いて10分もかからない場所にありました。

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地域内にある市営の公衆浴場です。詳細は書きませんが、こうした公衆浴場があるのもこの地域や、ここと同じような事情を抱えた地域の特徴です。
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浴場の横には高級車が止まっています。詳しい事情は分かりませんが、「あの地域の住民は必要以上に優遇されている」というイメージも、地域と地域外の間で断絶を生む要因となったようです。

この地域の風景が90年代とそれほど大きく変わっていないことも、京都という街の現実です。ここに大学が移転して、商業施設ができたりすると様変わりするんでしょうかね。

ここからは北に向かって自転車を走らせます。

去年のゴールデンウィークの思い出4・京都駅から岩倉まで

去年のゴールデンウィークの思い出4・京都駅から岩倉まで

2019年5月 2日(木) 10:48 | 日記

去年のゴールデンウィークの思い出1・春一番ライブと京都の風景
去年のゴールデンウィークの思い出2・京都大学の立て看板
去年のゴールデンウィークの思い出3・京大から京都駅らへんまで

京都の地理を知っている人なら分かるかと思いますが、この「京都駅から岩倉」というのは自転車とはいえなかなかヘビーな距離です。木野駅あたりまで行ったのですが、地図で測ると京都駅から直線距離でも9.6キロあるうえ、基本的に登り坂です。20歳そこそこの学生でもたいへんなのに、40過ぎたおっさんがやることではありません。
そんなハードな自転車の旅を、1年ぶりに振り返ってみたいと思います。

京都といえば鴨川

鴨川を自転車で走るのが好きでした。今も好きです。
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こちらは前回の記事で紹介した、京都駅の東側の鴨川です。上が奈良線の線路を南にのぞむ風景で、下が東海道本線と東海道新幹線の線路を塩小路橋あたりから撮影したものです。

鴨川といえばこれから紹介する三条大橋から四条大橋にかけての風景が有名で、昔から観光地としてきれいに整備されてきたのですが、1995年当時は川がきれいだったのは七条大橋あたりまでで、その南の塩小路橋やJRの線路の下にはたくさんのゴミが浮いていて、水もよどんでいました。同じ京都、同じ川なのに、まるっきり異なる光景。これもまた観光都市・京都のリアルでした。
その後、京都市は本腰を入れて川の清掃に乗り出して、1997年頃には上の写真のようなきれいな川になっていたと記憶しています。

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こちらがよく知られる鴨川の風景です。川に面した座敷、いわゆる納涼床が見えます。右側にあるのは「鴨川をどり」の会場ですね。
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同じ場所から角度を変えて撮影。奥の方に見えるのが三条大橋です。
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三条大橋から北は川に面した町家や店舗がなく、サイクリングにも最適な散歩道になっています。学生の頃も、気分転換のためによくここを自転車で走っていました。
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ここは確か丸太町通りの橋の下だと思うんですけど、いつのまにか整備されていました。こんな案内板いつできたんだろう。
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右岸(西側)になにやら若者が集っています。これもいつもの鴨川の風景です。
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こちらは有名な鴨川デルタ。向かって右(東側)が高野川で、左が加茂川。このふたつの川が合流して鴨川になる地点がここです。今出川通りの加茂大橋から撮影しました。前回の記事で紹介した「餃子の王将出町店」もこのすぐ近くにあります。
奥に見える森の向こうにあるのが、世界遺産にも登録されている下鴨神社です。

ここからは加茂川を北上します。
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この写真は確か、北大路通りの北大路橋から加茂川を北向きに撮影したものです。両岸とも木しか見えないのが美しいですね。

宝ヶ池公園への道を間違える

北山大橋から道路に戻って、地下鉄の北山駅のところを北上します。
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深泥池。貴重な動植物の生息地です。心霊スポットでもあるそうです。確かに夜ひとりでこのへんを自転車で走るとちょっと不気味かもしれない。

僕の記憶だと、ここからさらに北上したところに宝ヶ池公園があった気がしたのですが、記憶違いでした。北山から深泥池への道と、宝ヶ池公園への道は別でした。それに気づかず北上を続けたところ、学生の頃にも来たことのないところまで来てしまいました。
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叡山電鉄の木野駅です。電車には2年前に京都を訪れたときに乗ったので、駅は通過しているのですが。
そのときのことを書いた日記がこちらです。

不運の鈴(2017年8月13日)

夕暮れが迫っていたので道に迷うわけにはいかず、地図アプリで現在地を調べて、あらためて目的地に向かいました。
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宝ヶ池公園。ここのボートには乗ったことがあります。

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この自転車も、ここまでハードに走らされるとは思っていなかったはず。1日で30キロ近く走ったと思います。
このあと自転車は、出町柳のお店に無事に返却しました。

三条へ行かなくちゃ

帰りの新幹線まで時間があったので、最後は徒歩で京都の街をめぐります。
立ち寄ったのはこちら。
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あの高田渡さんも「三条へ行かなくちゃ、三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね」と歌った、有名な「イノダコーヒ」の本店です。
時間があればひさしぶりに中に入ってゆっくり食事をしたかったのですが、閉店時間が迫っていたので、コーヒー豆だけ買うことにしました。
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「アラビアの真珠」という豆。そこそこ値が張るのですが、香りの良さはガチです。

以上が1年前の思い出です。今年の連休も大阪と京都へ行きます。天気も良さそうですし、今からとても楽しみです。

アイドルとの遭遇からの実家からの心斎橋

2019年5月 4日(土) 01:39 | 日記

10連休の後半は、連休らしく遠出をしています。

1日は会社へ行く用事があったので少しだけ会社にいて、そのあと東京駅から新幹線に乗って実家へ行きました。
その新幹線で、おもしろいことがありました。

通路をはさんですぐ横の席に、品川駅から若い女性の集団が乗ってきました。なんかみんな顔が小さいしばっちりメイクしてるし、これ絶対アイドルだろうと思ったら、その中のひとりが、あるアイドルグループの名前が書かれた黒いシャツを着ていました。物販で売っている公式グッズです。やっぱりこの女の子たちはアイドルだと確信しました。
しかもそのアイドルは、1年以上前に初めてライブを見たときにすごくかっこいいと思って、それ以来個人的になんとなく気になっていたグループ。グッズのTシャツもメンバーが移動中に着ているくらいだから普段着としても使えるくらいかっこよくて、若い世代を中心にファンの動員も順調に増えているようです。さすがにメンバーの顔までは知らなかったので、すぐに特定できませんでしたが、今が旬のアイドルにこんなところでお目にかかれるなんてびっくりしました。

アイドルファンとしては、すぐ近くに移動中のアイドルがいるとなるとどうしても気になってしまうもの。道中、メンバーは売店で買ったパンなどを食べながらスマホを見ていたり、前髪のチェックをしたりしていて、でも静岡県に入ったあたりでみんな寝てしまいました。連休はほぼフル稼働なので、疲れていたんでしょうね。
調べたらそのアイドルは、5月1日は名古屋でライブで、その後もしばらく遠征が続くとのこと。みんなやたらと大きなスーツケースを持っていたのはそういうことだったんですね。

アイドルの皆さんは僕と同じく名古屋駅で降りていったのですが、席を立つときに「新幹線は疲れる」「グリーン車に乗ってみたい」というような会話が聞こえてきました。売れたいという野望なのか、ただの好奇心なのか。いずれにしても、僕らサラリーマンと違ってアイドルは連休中働きずくめなので、報われてほしいと思います。

1日の夕方から3日の午前までは実家で過ごしました。おたがいが元気であることを確認する時間です。

そして大阪に移動して、こんなところへ行ってきました。
道頓堀1
道頓堀。大阪といって大阪民以外の人が真っ先に思い浮かべる、ベタ中のベタな風景です。夜9時をすぎていたのですが、ものすごい人の数。特に外国人観光客の姿が目立ちました。
道頓堀2
個人的にはグリコより、その右にあるスーパー玉出の電光掲示板に惹かれました。
道頓堀3
カメラを持つ欧米人やアジア人。みんな記念撮影をしていました。
道頓堀4
観光客がグリコの看板をバックに写真を撮るために、機材で光を当てる業者の人の姿もありました。パリピな人たちが記念撮影をしていました。
こういう「ベタ」があることが、観光地にとってはものすごく重要なんでしょうね。

ラーメン屋
心斎橋あたりでは、ラーメン屋さんの様子をアジア人の観光客がこぞってスマホで撮るという謎の光景も見られました。ラーメンを作る人がざるを振って麺の水を切る姿が、外国人にはエスニックに映るのかもしれません。

それで僕がなぜ心斎橋へ行ったのかというと、ここの店へ行きたかったからです。
龍の巣
このお店にはこれまでにも何度か行っています。最初に行ったのは今から6年前でした。梅田のお店にも2回行ったことがあります。

ホルモンと油かす(2013年5月4日)

どて煮
どて煮。
ホルモン
ホルモン2人前とテッチャン1人前。ちょっと食べすぎた。ホルモン1人前でもけっこうなボリュームでした。1人前でよかった。
焼いたホルモン
焼くとこうなります。油が多いので勢いよく炎が上がります。
かすうどん
かすうどん。「油かす」が入ったうどんです。今回は「卵とじかすうどん」という少しぜいたくなメニューにしました。
油かすという食材については、先日更新した日記の「京都駅らへんの地域」の歴史とも関連するディープな話があったりします。

そして今回も動物園前駅周辺のホテルに泊まります。
ホテル街
この界隈は安いホテルが密集していて、最近は欧米人の宿泊客をよく見かけます。どのホテルにも英語の案内があります。今年は去年にはなかった、欧米人を対象にした飲食店もできていました。
ただし安いホテルといっても2種類あって、おおざっぱに言うと1000円台前半の価格帯と、1000円台後半以上の価格帯に大別されます。あびこ筋(新今宮から天王寺へ行く東西の通り)に面している、住所でいうと西成区太子に位置するのが高い価格帯、そこから堺筋を少し南へ下ったところが安い価格帯となります。住所でいうと西成区萩之茶屋などです。あのあたりは釜ヶ崎と呼ばれる日雇い労働者が集まる地域で、飛田新地なんてところも近くにあったりします。

僕はいつも「高い価格帯」のホテルを選んでいます。一度だけ「安い価格帯」のホテルに泊まったことがあるのですが、ホテルの設備も周辺の環境も厳しかったので懲りました。高い価格帯でも通常なら2000円台前半で宿泊できるのに、近年はゴールデンウィークだけ値上げするようになったようで、軒並み3000円超えという強気な価格設定をしていました。

そんな中でようやく見つけた、「高い価格帯」の所在地にありながら、1泊税込み1500円という激安なホテルに今夜は泊まります。

部屋はこんな感じ。もちろんシャワーもトイレもありません。共同です。
ホテル1
廊下の暗さがいかにもな感じです。
ホテル2
いちばんの問題は、アメニティがほとんどないこと。実はこれが「高い価格帯」と「安い価格帯」の大きな違いで、普通の「高い価格帯」のホテルにはタオルがついています。歯ブラシもあります。さすがに1500円ではそこまでは望めません。
ホテルには風呂はあるのですが、タオルはありません。仕方がないので、家から持ってきたフェイスタオルでどうにかしました。
スパワールド
すぐ近くにはスパワールドがあるので、ここへ行くという手もあるのですが。機会があったら行ってみたいと思います。

遠藤ミチロウさんを悼む祝春一番2019の2日め

2019年5月 5日(日) 22:15 | フォーク

今年もいつものように大阪の服部緑地へ行きました。2006年から毎年なので、今回で14回めです。
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「祝春一番2019」というライブ。今回は5月3日から5日までの3日間行われ、僕は中日の4日のみ行きました。
開場と同時に開演というシステムなので、みんな早くから並んでいます。僕が公園に着いたのは開場から50分前の10時10分頃でしたが、すでに長い列ができていました。僕の後ろにもどんどん列が伸びていきます。
服部緑地2

ミチロウさんのことを語る出演者

春一番は1971年に第1回が行われて、ライブ音源が残っているのは1972年から79年。その後長期間の休止を経て阪神大震災後の1995年に復活し、以後今年まで毎年この時期に行われています。

1972年の春一番に出たミュージシャンで、47年後に当たる今年も歌っていた人もいました。僕が行った5月4日では、いとうたかおさん、大塚まさじさん、友部正人さんがそうでした。70年代の春一番で歌って、95年以降の春一番でも歌っていたミュージシャンで、向こうへ旅立ってしまった人もいます。西岡恭蔵さん。高田渡さん。石田長生さん。加川良さん。

70年代の春一番には間に合いませんでしたが、ゼロ年代の春一番を盛り上げてくれたミュージシャンもいます。
遠藤ミチロウさん。
僕も春一番ではその歌とパフォーマンスで、何度も楽しませてもらいました。
去年は羊歯明神という民謡パンクバンドとして、スターリン時代の楽曲や、民謡風のメロディーに乗せて安倍晋三をダイレクトに非難する歌を歌っていました。そのパフォーマンスとはうらはらに、ただ片手には杖を持っていて、体はかなり悪そうでした。

春一番の初日には、夕凪というバンドが、この日の最初の曲にミチロウさんの曲を歌ったそうです。
僕が見た2日めのステージでは、小谷美紗子さんがミチロウさんの音楽とその影響について語り、ミチロウさんを知ったきっかけだというAZUMIさんの「ホワイトソング」という歌を、出番は前日なのにこの日も来ていたAZUMIさんといっしょに歌っていました。
ミチロウさんと親交の深い友部正人さんは、ミチロウさんがカバーして歌った曲「誰もぼくの絵を描けないだろう」を歌ってくれました。
ミチロウさんとあまり接点のなさそうな大塚まさじさんも、意外なエピソードを語りました。ミチロウさんが山形大学の学生だったときに、学園祭にザ・ディランII(大塚まさじさんと永井洋さんのユニット)を呼んで、そのときに会っていたんだそうです。

客席ではミチロウさんのTシャツを着ていた人を何人か見かけました。
月並みな言葉ですが、ミチロウさんの歌は生きています。心は生きています。
祝春一番2019会場

推せる小谷美紗子さん、大昔の曲を歌う友部正人さん

個人的に思い出に残ったこと、気になったことのメモです。

キング堀内さん。「いいんだぜ」という中島らもさんの曲のカバー、前には宮里ひろしさんが歌っていたのを見たこともあるのですが、そのときともまた違う、情念のこもった絶唱。歌詞も時代に合わせてアレンジされています。多様性の時代です。

いとうたかおさんは、いつものように飄々とした歌いっぷりで、大塚まさじさんとのコラボもよかった。物販でアルバムを買おうと思ったら、もう売り切れていたようです。

小谷美紗子さんも毎年のように春一番で見ている気がします。同学年のミュージシャンとして、1998年頃に初めて曲を聴いたときから、心をえぐるような詞の世界がずっと気になっていて、ワンマンライブも見に行ったことがあるし、「古参」と自称しても差し支えないだろうと勝手に思っています。
この日は「母の日」という重いテーマの曲も歌ったのですが、どんな曲でも歌い終えたあとに見せる満面の笑顔が本当に推せます。

遠くから聞こえる救急車の音に「ピーポーピーポーうるさいわ」と曲の途中なのに突っ込んでみせるヤスムロコウイチさんは実に春一番っぽいと思ったし、DEEP COUNTというバンドは「遠藤ミチロウさんが好きだと言ってくれた曲」と言って5拍子の曲を演奏するし、いろんな音楽、いろんなパフォーマンスがあります。

友部正人さんは、1974年頃の曲「誰もぼくの絵を描けないだろう」を歌っただけでなく、AZUMIさんとのコラボで、さらに古い1971年頃の曲「大阪へやって来た」も歌ってくれました。昔の歌だけでなく、最近作った鮎川誠さんと三宅伸治さんとのユニット「3KINGS」の曲も。伝説を更新し続ける友部さんです。
客席では小谷美紗子さんがとても楽しそうな顔で、友部さんの弾き語りやAZUMIさんとのかけ合いを眺めていました。

大塚まさじさんは、最近元号が新しくなったことに触れつつ「そんなんどっちでもええんですが」と切り捨てて、「それより僕の住んでる街の名前が長くなったのがいやだ。丹波篠山市。住所書くときめんどくさい」と嘆いてみせました。世間は新元号で盛り上がっていますが、そんなんどこ吹く風なのが春一番です。「令和最初の春一番」だなんて誰も言わない。
昨年に西岡恭蔵さんの故郷の志摩で、恭蔵さんの没後20年を記念したライブを開催したことに触れたあとで、最後は恭蔵さんが作った名曲「プカプカ」で、客席のおじさんおばさんたちを盛り上げてくれました。歌は生きています。心は生きています。
木村充揮
トリは木村充揮さん。客席のヤジとのかけ合いは木村さんだけの世界。憂歌団時代の曲「胸が痛い」や、今だとなかなかおおっぴらに歌えなさそうな「おそうじオバチャン」をひさびさに聴けて楽しかったです。

服部緑地3
服部緑地4
この先どんな世の中になっても、歌うことはどこまでも自由だし、語ることはどこまでも自由だし、信じることはどこまでも自由だから、自分で自分を縛ることなく、もちろん他人を縛ることもなく、何があっても自由という軸だけは持ち続けたい。今年もそんな思いを強くさせてくれるライブでした。

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