10代の頃から日本のフォークソングが好き。
メジャーな曲からマニアックな作品まで幅広く語ります。

遠藤ミチロウさんを悼む祝春一番2019の2日め

2019年5月 5日(日) 22:15 | フォーク

今年もいつものように大阪の服部緑地へ行きました。2006年から毎年なので、今回で14回めです。
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「祝春一番2019」というライブ。今回は5月3日から5日までの3日間行われ、僕は中日の4日のみ行きました。
開場と同時に開演というシステムなので、みんな早くから並んでいます。僕が公園に着いたのは開場から50分前の10時10分頃でしたが、すでに長い列ができていました。僕の後ろにもどんどん列が伸びていきます。
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ミチロウさんのことを語る出演者

春一番は1971年に第1回が行われて、ライブ音源が残っているのは1972年から79年。その後長期間の休止を経て阪神大震災後の1995年に復活し、以後今年まで毎年この時期に行われています。

1972年の春一番に出たミュージシャンで、47年後に当たる今年も歌っていた人もいました。僕が行った5月4日では、いとうたかおさん、大塚まさじさん、友部正人さんがそうでした。70年代の春一番で歌って、95年以降の春一番でも歌っていたミュージシャンで、向こうへ旅立ってしまった人もいます。西岡恭蔵さん。高田渡さん。石田長生さん。加川良さん。

70年代の春一番には間に合いませんでしたが、ゼロ年代の春一番を盛り上げてくれたミュージシャンもいます。
遠藤ミチロウさん。
僕も春一番ではその歌とパフォーマンスで、何度も楽しませてもらいました。
去年は羊歯明神という民謡パンクバンドとして、スターリン時代の楽曲や、民謡風のメロディーに乗せて安倍晋三をダイレクトに非難する歌を歌っていました。そのパフォーマンスとはうらはらに、ただ片手には杖を持っていて、体はかなり悪そうでした。

春一番の初日には、夕凪というバンドが、この日の最初の曲にミチロウさんの曲を歌ったそうです。
僕が見た2日めのステージでは、小谷美紗子さんがミチロウさんの音楽とその影響について語り、ミチロウさんを知ったきっかけだというAZUMIさんの「ホワイトソング」という歌を、出番は前日なのにこの日も来ていたAZUMIさんといっしょに歌っていました。
ミチロウさんと親交の深い友部正人さんは、ミチロウさんがカバーして歌った曲「誰もぼくの絵を描けないだろう」を歌ってくれました。
ミチロウさんとあまり接点のなさそうな大塚まさじさんも、意外なエピソードを語りました。ミチロウさんが山形大学の学生だったときに、学園祭にザ・ディランII(大塚まさじさんと永井洋さんのユニット)を呼んで、そのときに会っていたんだそうです。

客席ではミチロウさんのTシャツを着ていた人を何人か見かけました。
月並みな言葉ですが、ミチロウさんの歌は生きています。心は生きています。
祝春一番2019会場

推せる小谷美紗子さん、大昔の曲を歌う友部正人さん

個人的に思い出に残ったこと、気になったことのメモです。

キング堀内さん。「いいんだぜ」という中島らもさんの曲のカバー、前には宮里ひろしさんが歌っていたのを見たこともあるのですが、そのときともまた違う、情念のこもった絶唱。歌詞も時代に合わせてアレンジされています。多様性の時代です。

いとうたかおさんは、いつものように飄々とした歌いっぷりで、大塚まさじさんとのコラボもよかった。物販でアルバムを買おうと思ったら、もう売り切れていたようです。

小谷美紗子さんも毎年のように春一番で見ている気がします。同学年のミュージシャンとして、1998年頃に初めて曲を聴いたときから、心をえぐるような詞の世界がずっと気になっていて、ワンマンライブも見に行ったことがあるし、「古参」と自称しても差し支えないだろうと勝手に思っています。
この日は「母の日」という重いテーマの曲も歌ったのですが、どんな曲でも歌い終えたあとに見せる満面の笑顔が本当に推せます。

遠くから聞こえる救急車の音に「ピーポーピーポーうるさいわ」と曲の途中なのに突っ込んでみせるヤスムロコウイチさんは実に春一番っぽいと思ったし、DEEP COUNTというバンドは「遠藤ミチロウさんが好きだと言ってくれた曲」と言って5拍子の曲を演奏するし、いろんな音楽、いろんなパフォーマンスがあります。

友部正人さんは、1974年頃の曲「誰もぼくの絵を描けないだろう」を歌っただけでなく、AZUMIさんとのコラボで、さらに古い1971年頃の曲「大阪へやって来た」も歌ってくれました。昔の歌だけでなく、最近作った鮎川誠さんと三宅伸治さんとのユニット「3KINGS」の曲も。伝説を更新し続ける友部さんです。
客席では小谷美紗子さんがとても楽しそうな顔で、友部さんの弾き語りやAZUMIさんとのかけ合いを眺めていました。

大塚まさじさんは、最近元号が新しくなったことに触れつつ「そんなんどっちでもええんですが」と切り捨てて、「それより僕の住んでる街の名前が長くなったのがいやだ。丹波篠山市。住所書くときめんどくさい」と嘆いてみせました。世間は新元号で盛り上がっていますが、そんなんどこ吹く風なのが春一番です。「令和最初の春一番」だなんて誰も言わない。
昨年に西岡恭蔵さんの故郷の志摩で、恭蔵さんの没後20年を記念したライブを開催したことに触れたあとで、最後は恭蔵さんが作った名曲「プカプカ」で、客席のおじさんおばさんたちを盛り上げてくれました。歌は生きています。心は生きています。
木村充揮
トリは木村充揮さん。客席のヤジとのかけ合いは木村さんだけの世界。憂歌団時代の曲「胸が痛い」や、今だとなかなかおおっぴらに歌えなさそうな「おそうじオバチャン」をひさびさに聴けて楽しかったです。

服部緑地3
服部緑地4
この先どんな世の中になっても、歌うことはどこまでも自由だし、語ることはどこまでも自由だし、信じることはどこまでも自由だから、自分で自分を縛ることなく、もちろん他人を縛ることもなく、何があっても自由という軸だけは持ち続けたい。今年もそんな思いを強くさせてくれるライブでした。

祝春一番2017

2017年5月 5日(金) 10:48 | フォーク

服部緑地
今年も服部緑地に来ました。
2006年から毎年行って、今年で12年めです。
いつものように開演と会場は11時で、かれこれ40分くらい炎天下で並んでいます。
野外ステージではリハーサルをしています。入り口のところでは、たぶん出演者じゃない人たちが何か歌っていたのですが、離れているので様子は分かりませんでした。
さっきは、今日出演するピン芸人のナオユキさんが歩いているのを見ました。

去年も出ていた加川良さんが亡くなった2017年。反戦の機運が高まる2017年。いつもとは違う雰囲気のライブになりそうです。

加川良という歌手のこと

2017年4月 6日(木) 00:21 | フォーク

加川良
年末から体調を崩して入院していたことを知らず、訃報に触れたときは本当に驚きました。
あの飄々とした歌いっぷりをもう見られないと思うとさびしいですが、残してくれた歌はずっと聴き続けたいし、歌い続けたいと思います。

加川良という名前を初めて知ったのは1993年、高校2年生の頃。吉田拓郎さんの楽曲に「加川良の手紙」というのがあって、それが最初でした。
その翌年には、NHKの「BSフォークソング大全集」というテレビ番組で、歌う良さんの姿を初めて見ました。「下宿屋」という曲でした。
僕がフォークソングにのめり込んだ大学1年の冬、1996年2月頃に「教訓」というアルバムを手に取って、そこで初めて加川良さんの曲に本格的に触れました。「教訓I」の詞は衝撃的でした。最初はあの独特の語尾を伸ばす歌い方がなじまなかったけど、だんだん歌い方も含めて好きになりました。
3枚めのアルバム「やぁ。」は当時CD化されていなかったのですが、たまたま立ち寄った大津のパルコでレコードを見つけて、カセットテープにダビングして聴きました。「フォーク・シンガー」という曲はなかなか強烈でした。
冒頭の写真はそのときのレコードと、手元にある良さんのCDとレコードです。「幻のフォークライブ傑作集 加川良ライブ中津川フォークジャンボリー'71」は新宿のディスクユニオンで買ったものですが、今もCD化されていないようです。

ライブを初めて見たのはかなり遅くて、確か2006年の祝春一番。豊中の服部緑地の野外ステージでした。テレビでしか見たことがなかった加川良さんはとてもかっこよくて、歌声も素敵でした。

いつだったか忘れましたが、春一番のステージで「戦争しましょう」という曲を歌っていました。別の年には有山じゅんじさんや坂田明さんも歌っていたのですが、本人が歌ったのは、2014年だったか15年だったか。日本の国家権力がおかしくなってきた時期に良さんが歌ったあの曲が、昔懐かしい反戦歌ではなく、今の政権を風刺するような曲に聞こえたのをよく覚えています。

今日の帰りには「駒沢あたりで」というアルバムを聴いていました。70年代後半の、力が抜けた感じの曲と歌声も好きです。

今年の春一番には加川良さんはいないけど、良さんが残した歌を、良さんの仲間たちとともに、心の中でいっしょに歌いたいと思います。

祝春一番2016

2016年5月 3日(火) 10:47 | フォーク

服部緑地
今年も大阪の服部緑地に来ました。
早朝から新幹線に乗って、新大阪から3駅。開演35分前に着いたら、いつものように長い列ができていま
した。
飛び交う言葉はもちろん大阪弁です。毎年のことだけど、こうして大阪のフォークファンが集う場所の空気を吸うのはいいものです。これで、待ってる間にたばこを吸うおっさんがいなければ言うことがないのですが。

今日は「祝春一番2016」の初日です。ライブには加川良さんや、吉田美奈子さんが出演します。今年は3日間の開催ですが、僕が参加するのは今日だけです。
ライブの感想は後日書きたいと思います。

自分にとって10年めの春一番

2015年5月 5日(火) 10:46 | フォーク

祝春一番2015
僕が東京に引っ越したあとの2006年から、5月はここ服部緑地へ行くのが例年の行事です。
祝春一番2015。僕にとっては10年めの大阪。毎年、ここの空気を味わうことを楽しみにしています。

なんか今日はチケットがものすごく売れたみたいで、早い時間からずいぶん人が並んでいます。
開演は11時。もうすぐです。

金山サウンドベイとフォークとアイドル

2015年1月 5日(月) 00:26 | フォーク

サウンドベイ
きのう、東京へ帰る前に何年ぶりかに金山のサウンドベイへ行きました。
フォーク関連のCDが充実している店で、今ではプレミア価格の「1969京都フォーク・キャンプ」なども16年くらい前にここで買いました。

ひさびさに来てみたら、今もフォークや古いロックの音源がたくさんありました。
こんなタイトルの日記を書いておきながら最近のフォーク関連の動きに疎くて申し訳ないのですが、五つの赤い風船のオリジナルアルバムがハイクオリティCDで出てるのを知って驚きました。
風船のアルバムは1995年に東芝EMIが出したときにひととおり買いました。そのあと2002年頃にもエイベックスから復刻されましたが、2008年のポニーキャニオンの「エレック・URC復刻プロジェクト」のときにはなぜかラインナップから外されていたんですよね。
今回の復刻版は、調べてみたら愛知県の独立系の会社が手がけているようです。風船と同じくURCレコードの音源をCD化した作品で、しかも2014年に初めてCD化されたひがしのひとしさんの「マキシム」というアルバムを買いました。ひがしのさんは2009年に京都の「七夕コンサート」でお目にかかったのが最初で最後となりました
もうひとつ、ワーナーミュージックが2013年に復刻していたエレックレコードの「唄の市SECOND 番外編II」というライブ盤のCDも買いました。URCもエレックも5年おきくらいに版権がぐるぐる回っていますが、そのたびに眠っていた音源が新たにCD化されたりしています。あれから40年以上経つのに、僕らの世代にとっては「新しい」音楽に触れられるのはありがたいことです。「幻のフォークライブ傑作集」もいつかCD化されるんでしょうかね。
CD2枚
金山のサウンドベイはあいかわらずマニアックな品ぞろえで安心したのですが、前回来たときと比べるとちょっとした変化がありました。
フォーク関連のCDが並ぶ棚の左と上に、アイドルの中古や新譜のCDが置いてあったのです。
左側の中古CDの棚はAKB系などのメジャーどころから、アフィリア・サーガやKNUのような通好みの作品まで置いてありました。
フォークの棚の上は、最上段が昔のアイドルの音源。その下が現代のアイドル。アイドリング!!!とかAeLL.とかALLOVERとか、地元のしず風&絆などがありました。その下がグループサウンズコーナー。そこから下の棚がフォークという並びでした。フォークもみんなが知ってるメジャーな作品より、先に挙げたようなURCレコードやエレックレコードの音源、岡林信康さんや遠藤賢司さんといった濃い作品の方が目立つようになっていました。
フォークの右の棚が昔のロック。J・A・シーザーとか村八分とか外道とか、若い人は絶対に知らないミュージシャンのCDに広い場所を割いています。
CDの棚
古いフォークや古いロックと新旧のアイドルが渾然一体となったCD売り場。名の通ったCDショップだから、決して好みや思いつきだけでこういう陳列にしているわけではないはずです。商売として、利益を出すためにやっているとすれば、「昔のフォークやロックに興味があるしアイドルも聴く」という人が僕以外にもそれなりのボリュームでいるということになります。まあ実際は、握手会が終わったあとにCDだけ売りに来る人があまりに多いから、仕方なくアイドルのCDを置く棚を増やしているだけかもしれませんが。
さすがに、世の中に「ひがしのひとしとBiSのアルバムを両方持ってる」「岩井宏とBELLRING少女ハートのCDを両方持ってる」という人が僕以外に何人もいるとは思えないので。「高田渡とアイドリング!!!のアルバムを両方持ってる」という人なら50人くらいはいそうですけど。

あと余談というか個人的なメモですが、昔の職場が金山のサウンドベイのすぐ近くにあって、ひさびさに職場があったビルに行ってみたら、普通のオフィスビルになっていました。昔はビル1棟まるごとその会社が借りていて、自社ビルに移転したあとは確か専門学校になっていました。12年も経てばいろんなことが変わります。

ライブで間近に見たミュージシャンの訃報

2014年6月 5日(木) 14:14 | フォーク

七夕コンサート案内
毎年、京都の拾得というライブハウスで開催される「七夕コンサート」を5年前に見に行きまして(京都・拾得の七夕コンサート)、翌年からこの時期になると案内のはがきが届くのですが、今年はいつもと同じ案内に、いつもと違う文字が刻まれていました。
ひがしのひとしさんが亡くなったことを、このはがきで知りました。

僕の母親とほぼ同じ世代ですが、5年前に見たときは、年齢を感じさせないアスリートのような肉体が印象的だったので、なおさら驚きました。まだ歌うのをやめる年じゃないのに、突然の訃報にただ驚くしかありません。

実際にライブを見たことがある方が亡くなるのは、おおげさな言い方をすると、自分の記憶の一部がえぐられたような感覚に陥ります。
「思い出」と「実存」のうち片方が失われて、ふたつの存在をつなぐ縄が断ち切られ、「思い出」はこれから僕の記憶の中を漂い続ける。
うまく表現できないのですが、本人が存命で精力的に活動を続けているのと、そうでないのとでは、たとえ見る機会がなかったとしても、「思い出」の質が変わってしまう気がします。

人はみんな年齢を重ねていくから、こういうことは今後も増えていきます。悲しいけど、ただ静かに受け入れていくしかありません。