「もう誹謗中傷をしない」と言えない心理と「本音至上主義」の考察

2021年5月31日(月) 22:00 | 日記

過去の行いを明確に否定しない態度

なんとも興味深いニュースがありました。

ネット中傷の啓発団体「この指とめよう」小竹代表、自らの暴言ツイートが問題視され謝罪(弁護士ドットコムニュース)

この「この指とめよう」というのは「SNSでの誹謗中傷を減らすことを目標とした一般社団法人」ということなので、その代表者が過去にしていたなかなかにひどい誹謗中傷について、何かしらのメッセージを発することは当然でしょう。
問題は、そのメッセージが適切だったかどうかですが、個人的には適切ではなかったと思います。

過去の行為に対して、本人は「自分の未熟さを後悔し、反省しております」とは語っています。
でも、それだけじゃ足りないんじゃないの?

自分の過去は消せません。反省は今からでもできるかもしれませんが、それより重要なのは「これからどうするのか?」です。
「SNSでの誹謗中傷を減らす」という活動をしているのであれば、今後は自分から誹謗中傷をしないことを誓うのが筋ですよね。
そして、過去の行いに対しては、「あのときの自分の行動と考え方は間違っていた」と、明確に否定すること。
このふたつが最低ラインであろうと思っています。

だけど、この小竹海広という人は、どちらもしていない。
今やるべきことは「猛省を深め」ることではなくて、「もう誹謗中傷をしないという表明と、そのための最大限の努力」だと思うけど、そこを本人は意識的に避けているように見えます。
そして、「反省」「猛省」という抽象的な言葉だけを並べて、「過去の自分を否定すること」も意識的に避けている。
「私は誹謗中傷をしない」「過去に誹謗中傷をした自分は間違っていた」とは言えない。言いたくない理由があるんでしょうね。

他人を傷つけても「本音」を優先したがる利己的な態度

ではなぜ小竹海広という人は、「私は誹謗中傷をしない」と言えないのか。

ここから先は、完全に想像ですが。

ある界隈の人たちの特徴に、「本音で生きることはいいことだ」という価値観があるように思います。
本音を隠すのは、自分にうそをつき、他人にうそをつくことだから良くない。人間は常に正直であるべきだ……。本音至上主義とでもいうのか、とにかく「思ったことを言わないでいること」に耐えられない。言いたいことはがまんせずに言うのが、人としてあるべき姿だと思っている。
だから、悪口であったり、差別であったり、他人の心を傷つけるような言葉でも、「人間は常に正直であるべきだから」という理由で、平気で発してしまう。

たぶん、この小竹海広という人も、「本音で生きたい人」なんだろうと想像します。
自分の思うままに、欲望にあらがうことなく、他人を傷つけるような発言もしてきた。そんな過去の発言が蒸し返されたときに、自分自身の過去を否定することを拒んだ。
彼が頑なに拒んでいるのは、「本音で生きたいという自身の価値観を否定すること」なのでしょう。なんとなくそんな気がします。

そして、未来に対する「誹謗中傷をしない」という誓いも、それが必ず「本音で生きる」という価値観と衝突してしまうと感じて、できなかった。
たとえ誹謗中傷によって誰かを傷つけてしまうとしても、「本音で生きたい」という自分の都合を優先しようとする。しかも、自分が誹謗中傷を受ける側になるのは許せない(だから「この指とめよう」を立ち上げた)。きわめて利己的で、身勝手で、傲慢な態度だと、僕には思えました。

「本音で生きないこと」が誹謗中傷や差別をなくす

誹謗中傷や差別、あるいはいわゆるポリコレのような問題は、「本音」というやつとは相性が悪いものです。

人間として長く生きていれば、「嫌な奴」のひとりやふたりいても当然だし、ある属性の人たちに対して差別的な感情を持つこともあるでしょう。
だけど、その「嫌な奴」に対してSNSなどで不当な攻撃を行えば「誹謗中傷」とみなされるし、差別的な感情を公の場で表明した時点で、それは差別行為です。
そして、どちらも本人にとっては「本音で生きた」結果です。本音を隠すのは嘘をつくことだから良くないと考えて、正直な感情を表明した結果です。

「本音」を大切にする社会では、誹謗中傷や差別が発生しやすくなります。
逆に言えば、誹謗中傷や差別を減らすためには、「本音を隠す」ことが求められます。
「本音で生きたい」という自分勝手な都合のために、関係ない人を傷つけていいはずがありません。

誰かを不当に叩きたい、差別したいといった「本音」があるなら、それを表明せずに隠し続ける、つまり「本音で生きない」ことが、「この指とめよう」という団体が求める「SNSでの誹謗中傷を減らす」ことにつながります。
場合によっては本音を隠すこと、本音で生きないように努めることが、良い社会につながります。

本音で生きないことは、自分を偽ることかもしれませんが、それは決して他人を偽ることではありません。「差別をしたい自分」が本心であっても、他人に見せる顔は「差別をしない自分」であるべきだし、それで誰も困ることはありません。自分がちょっと言いたいことをがまんして抑えて、それで誰も差別されず、傷つく人がいなくなるのなら、それは全面的に良いことです。

「いつでも本音で生きたい」というひとりよがりの欲求を捨てて、他者に危害を与えうるような本音があるならそれを偽って生きることを、すべての差別主義者たちに求めたいと思っています。

「本音」をありがたがるのは、もうやめましょう。

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