去年のゴールデンウィークの思い出3・京大から京都駅らへんまで

2019年5月 2日(木) 09:50 | 日記

去年のゴールデンウィークの思い出1・春一番ライブと京都の風景
去年のゴールデンウィークの思い出2・京都大学の立て看板

2018年5月5日。朝に出町柳で自転車を借りて、一乗寺や北白川をめぐったあとで京都大学の立て看板を眺めました。ここからいったん京都御所方面に向かったあと、再び東に戻って平安神宮を経て、東大路通りを南下していきます。

学生時代の生活圏と観光地

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まずは「餃子の王将出町店」。ご存知のように王将はチェーン店でありながら、店舗によって餃子以外のメニューが大きく異なるのが特徴です。中でもこの出町店は、定食の量が多いことで知られています。
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この写真では伝わりにくいですけど、餃子2枚に山盛りのご飯、それに唐揚げ。値段は忘れましたが、量のわりにはかなり安かったはず。
ここは大学からもそんなに遠くないですが、現役の頃に行ったのは一度だけ。そのあと確か2001年の秋に京都へ旅行に行ったときにも行ったので、このときが3回めになります。
料理にはとても満足したのですが、店主が学生アルバイトを怒鳴るような態度を取っていたのは気になりました。

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京都御所。とにかく広い公園です。学生時代のサイクリングコースでした。ひとりで考えごとをすることが多くて、自転車に乗って外の風に当たるのが好きでした。90年代の京都は今ほど観光客も多くなかったので。ただここは砂利道なので、スムーズに走れないのがたいへんでしたが。

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平安神宮周辺は観光客がいっぱいでした。近隣の店舗には行列。甘味処的なお店だったと思います。たたずまいがいかにも京都って感じがします。

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東山三条の「マルシン飯店」にも行列。
ここにはふたつの思い出があって、ひとつは学生の頃に東大路通りを自転車で走っていたときに、タクシーの横を抜けようとしたらそのタクシーのドアが突然開いて、ドアが指にぶつかって転んでけがをしたことがあったんですけど、そのときに警察を呼んだりしてくれたのがここのマルシン飯店の店員さんだったこと。もうひとつは、大学を卒業して名古屋でフリーライター的な仕事をしていたときに、某雑誌のグルメコーナーのために、なぜかこのお店に電話取材をしたこと。
学生の頃はわりとこの近くに住んでいて、これだけ縁があるのに、なぜか今まで一度もお店に入ったことがありません。近々京都へ行くので、行けたら行ってみたいと思います。

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東大路通りにある「かに家」というかに料理専門店。ここで1年ほど、厨房で「かに寿司」を作るアルバイトをしていました。節分の日は巻き寿司を一日中巻きまくったことを覚えています。当時、恵方巻きは関西地方のみの風習で、愛知県出身の僕はそんな習慣があることを大学1年の2月に初めて知りました。

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学生の頃にたびたび訪れていたのが、東福寺というお寺です。先ほどの「かに家」から東大路通りを南下して、2.5キロほど行ったところにあります。上の写真は、寺へ行く手前にある木製の橋です。
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この橋から見える風景がこちら。写真の奥に見えるのも木の橋で、こちらは東福寺が管轄する有料エリアとなっています。上の写真の橋よりさらに風情があります。
10年以上前に京都を訪れたとき、僕が撮ったその橋の写真がとてもきれいだったので、それ以来ずっと携帯電話の待ち受け画面にしています。そんな「映える」スポットなので、最近は写真を撮りたい観光客が滞留するのが問題になっているようです。

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東福寺の境内の風景。学生の頃、たまに夜中ひとりで境内へ行って鐘の近くに座り、ぼーっと考えごとをするのが好きでした。別に病んでいたわけではないのですが、若さゆえ割り切ったりあきらめたりすることができないために、いろいろと悩んでいました。

古都のもうひとつの顔

初めて京都駅で降りたのは、今から24年前の1995年。京都大学の受験のときでした。
京都といえば世界的な観光都市であるとともに日本有数の大都市でもあり、ターミナル駅の周りも当然発展しているのだろうと、世間を知らない18歳になりたての僕は思っていたので、駅に向かって速度をゆるめる新幹線の窓から見える風景はなかなか衝撃的でした。
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京都駅の北東、塩小路通り沿いのこんな風景は、24年前に見たのとほとんど同じでした。
なぜ「皮」なのかと不思議に思ったものですが、その理由が分かるまでに時間はかかりませんでした。

詳細は書きませんが、この地域にある大規模な集合住宅では人口が急激に減っていて、地域にあった小学校も閉校になりました。確か去年は、その小学校の校舎で展示会のようなイベントが開かれていました。
この小学校を含む京都駅の東側一帯には京都市立芸術大学が西京区から移転することが決まっていて、2023年までの移転を目指しています。京都市としても大学を核とした地域の再開発を考えていて、京都駅の徒歩圏内という恵まれた立地を観光やビジネスにも活用しようともくろんでいるようです。
このへんの事情に詳しくない方は「柳原銀行」で検索してみると、いろいろな情報が見つかると思います。

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こちらはその柳原銀行ゆかりの「柳原銀行記念資料館」という施設の近くで見かけた、地域の歴史がつづられた看板です。

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閉鎖された土地。さびたフェンスと手入れされていない建物。文字が書かれた看板がありますが、土地の所有権でもめているのでしょうか。この廃墟のような光景も、京都駅まで歩いて10分もかからない場所にありました。

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地域内にある市営の公衆浴場です。詳細は書きませんが、こうした公衆浴場があるのもこの地域や、ここと同じような事情を抱えた地域の特徴です。
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浴場の横には高級車が止まっています。詳しい事情は分かりませんが、「あの地域の住民は必要以上に優遇されている」というイメージも、地域と地域外の間で断絶を生む要因となったようです。

この地域の風景が90年代とそれほど大きく変わっていないことも、京都という街の現実です。ここに大学が移転して、商業施設ができたりすると様変わりするんでしょうかね。

ここからは北に向かって自転車を走らせます。

去年のゴールデンウィークの思い出4・京都駅から岩倉まで

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