自分自身を過度に客観視する話し方

2012年4月21日(土) 02:05 | 日記

「長い話になってしまいますが」
「キザな言い方をすると」
「抽象的な言い方になってしまいますが」
いちいちこんな前置きをしてから話し始めるのって、人としてどうなんだろう。

先日、インタビュー取材を受ける機会がありました。
今勤務している会社が求人広告を出すのですが、その広告を作るにあたり、「前職が雑誌の編集者」という社員の話を載せたいということで、会社を代表して僕がインタビューを受けたというわけです。
求人サイトのライターさんに、今の会社を選んだ理由や、苦労したこと、前職での経験が生かせたこと、今後の目標など、仕事に関するいろいろなことを聞かれました。

「長い話になってしまいますが」と前置きしたのは、質問に対してきちんと順序立てて答えようと思ったら、話が長くなると判断したから。
「キザな言い方をすると」と前置きしたのは、質問に対して短くインパクトのある言葉で答えようと思ったものの、そのとき思いついた表現がキザで、先にそう言っておかないと照れくさいから。
「抽象的な言い方になってしまいますが」と前置きしたのは、質問に対して具体的な事例を伝える前に、複数の事例をひとまとめにするような概念を先に伝えた方がいいと思ったから。抽象的な概念を伝えたあとで具体例を示すと話が長くなるので、先に抽象的なことを話すと宣言しておいた方が親切だろうと判断したから。

僕の中にはふたつの感情があって、ひとつはインタビュアーに対する親切心。たとえば、先に「今から長い話をしますよ」と言っておけば、相手は心の準備ができて、多少話が長くなっても我慢して聞いてくれます。普段は自分がインタビューをする側の立場なので、どんな話なら聞きやすいか、あるいは聞きにくいかということに人一倍敏感なのです。
もうひとつは、親切心と表裏一体の「保身」という心理です。自分は悪者になりたくない。よけいなところでよけいな摩擦を生みたくない。先に言い訳をしておくことで、仮に不適切なことを言ったとしても、不適切だという自覚があるから大目に見てもらおうという考えです。あるいは、相手に突っ込まれそうなことを先回りしてつぶしておくことで、隙を与えず、なめられないようにしたいという心理もあります。

そんな僕の話し方について、指摘されたことがあります。
風俗誌の編集者を辞めてニートをしていた8年くらい前に、ある会社へ面接に行ったときのこと。面接の相手は、50歳前後の男性が3人くらい。そこでこんなことを言われました。
「考えてから話すくせがある。最初に結論を決めないと話せない」
その会社には採用されませんでした。

「はい」か「いいえ」で答えられない複雑な質問を投げかけられたとき、まず「どんな結論にすべきか」を考えます。結論めいたものが思い浮かんだら、次に「どうやったらその結論をうまく伝えられるか」を考えます。ある程度話の筋道が立ったところで話し始めます。
そのこと自体は、おそらく間違っていません。
問題があるとしたら、話す内容です。
こういうとき、僕は「第三者の俯瞰的な視点」で話すくせがあります。相手と自分とを同じ客観的な対象として見て、自分のことなのに人ごとのように語ってしまいます。相手の問いかけに対して、よくいえば誠実に、悪くいえば「なるべく粗が出ないように」答えようとすると、自分の思い込みや感情が出すぎるのを避けようと思い、そうした「匂い」を言葉から消そうとする心理が働くようです。
これでは、話の内容は筋道が通っていて理解しやすいかもしれませんが、僕の「思い」はほとんど伝わりません。
それならば、言われたことに対して思ったことを率直に返した方がいい。伝えるべき内容が整理されていなくても。相手は「模範解答」を聞きたいのではなく、「あなたはどう思うか」を聞きたいわけです。商談ではなく、面接なんですから。

自分が発する言葉を自分の心から遠ざけるメリットは、言葉の不備や誤りに気づきやすくなり、何かあっても軌道修正がしやすくなることです。逆に、言葉と心の距離が近いと、時として自分で何が言いたいのかわからなくなることがあります。
若いころ、ある女性に対して自分の感情のおもむくままに話したら、「何が言いたいの?」と露骨に嫌がられたことが何度かありました。確かにそのときの会話は愚痴っぽいネガティブな内容でしたが、結論が見えない会話がよほど耐えられなかったのでしょう。そのうち僕も話すことをやめました。
そんなことがあったから、話すときは常に「自分の言葉は客観的に見てわかりやすいか、興味を持ってもらえる内容か」を気にするようになりました。そして、わかりやすいこと、おもしろいことが言えないのなら、話すことそのものを放棄してしまおうという思いに行き着きました。たとえばもし誰かに悩みを聞いてほしいと思っても、わかりやすい言葉で伝える自信がなかったり、相手にとって「聞いてよかった」と思える内容にならないと考えたら、こちらから話すことはしません。自分のつまらない話のせいで相手に不快感を与えてしまったら、結果として誰も幸せにならないですから。

冒頭の「前置き」は、まさに「自分の言葉を自分自身から突き放す」という宣言です。「自分の言葉を客観視しているんですよ」というアピールです。
しかし、前置きの多用は、「この人は本心を隠そうとしてるんだな」という印象を与えてしまいます。
チームワークを重視する職場において、心を開かないメンバーは扱いにくい存在です。おそらく、これが面接で落とされた理由のひとつです。
先ほど、会話で前置きをするときの心理を「親切心」および「保身」と書きましたが、実はそんな表層的なことはどうでもよくて、最大の問題は「相手に心を開きたくない」という心理が背景にあることです。会話の端々からそうした人間性が見えてしまうことが、僕があまり人に好かれない理由のひとつだと思います。

小さいころの僕は、思いのままに言葉を発しては他人を傷つけていました。生まれつきの資質として、ほかの人と比べて思いやりが著しく欠けているため、相手の心を踏みにじるような言葉を平気でぶつけてしまい、最後はキレられて殴られるという、本当にどうしようもないクソガキでした。
もちろん今の僕は、相手を傷つけるような言葉を発して平気でいられるようなデリカシーのない人間ではありません。曲がりなりにも社会人として生きていられる程度にはまともな性格になりました。それでも同じ人間である以上、根本的な資質は変わりようがありません。だから、自分の心と言葉を過剰なくらい制御しておかないと不安なのです。
言葉が足りないことで相手に不信感を与えたこともありますが、感情に任せて不適切な言葉を発して、それで相手を傷つけるよりはましだと思っています。

僕もさすがに問題意識がないわけではないし、会話する相手が自分に何を求めているか、まるっきり無自覚なわけでもありません。先日の求人サイトの取材では、なるべく「自分の思いを素直な言葉で伝える」ということを意識しました。いちいち前置きをはさみつつも、適度に客観的で適度に主観的な、それなりにまとまった話ができたと思います。
そんな求人広告がすでにネットで公開されています。僕のインタビューも、気味の悪い笑顔の写真とともに掲載されています。編集業に興味がある方、自分の能力に自信がある方、僕といっしょに働いてみたいという奇特な方がいらっしゃいましたら、ぜひご応募くださいませ。

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