疑うことを放棄したせいで失敗したお話

2011年8月 3日(水) 01:18 | 日記

「信用する」ということは、自分で考え判断すべきことを何者かにゆだねる行為であり、それがきわめて危険な行為だということに、今日あらためて気づかされました。
いつでも、どんなことに対してでも疑いの目を向けることを忘れてはいけない。ものごとを安易に信用してはいけない。これまで何回も苦い経験をしているはずなのに、どうして自分は疑うことをしなかったんだろう。

信用することはとても楽です。自分の頭を使わなくていいわけですから。
疑うことはとても面倒で、とても疲れます。何でもかんでも疑いまくっていたら、いつか心が壊れてしまいます。
だから、自分とあまり関係ないことに対しては信用することも疑うこともせず、関心すら払わないようにして、疲れる原因を少しでも減らそうとします。そのために僕は好奇心が減退して、すっかりつまらない人間になりました。

1週間前の自分は、精神的にも物理的にも追い込まれていました。自分にとって差し迫った問題以外にはなるべく無関心でいたいという思いと、問題が差し迫ったときでも信用する理由を探そうとする心理がいつもより強く働き、結果として大きな問題にぎりぎりになってから気づくという、最悪の事態を招いてしまいました。
自分ひとりが悪いわけではありません。ある人に対して「どうして先に気づいてくれなかったのか」という思いも正直あります。だけど、僕がちゃんと疑うことさえしていれば、1週間前に気づくことができました。そして、自分はこのような問題にすぐさま気づかなければいけない立場です。
なぜ自分がこの問題を放置したのかを明日説明しなければいけないと思うと、暗い気持ちになります。「先方を信用していたから」「○○くんを信用していたから」なんて言うのは、自分は無能だと表明することと同義です。でも信用すべきでないものを信用したこと、疑わなかったことは事実だから、そう言うしかありません。もっとも、ここ2週間ほどで嫌というほど自分の無能さをさらしたので、今さら失うものはないですが。

またひとつ、ストレスの種が増えてしまいました。あー、どうしようかなこの先。

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