僕と高田渡と高田渡生誕会60

2009年4月 6日(月) 04:09 | フォーク

会場の武蔵野市民文化会館までは自転車で10分ちょっとの距離ですが、夕方から雨が降る予報だったので、三鷹駅から1キロほどの道を歩くことにしました。
満開の桜が咲く道を、市民文化会館へ向かって歩く人たちはみんな、僕の両親と同じ世代かその少し下くらい。なにせ、ライブの主役が今年の1月に還暦を迎えたわけだから、そこに集まる人は当然、50代ばかりになるわけです。

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1977年生まれの人が普通に生活していたら、高田渡の歌を聴くどころか、「高田渡」という名前を聴くことすらほとんどないでしょう。
「拓郎、陽水、かぐや姫」。僕らの世代がフォークに対して抱いているイメージは、そんなものです。僕もかつてはそうでした。

1994年、僕は17歳の受験生でした。
かぐや姫の「神田川」や、吉田拓郎の「旅の宿」の歌詞とコードを暗記する程度にフォークソングが好きな少年でした。
父親は日本の音楽にはほとんど興味がなく、母親もグループサウンズは大好きでしたがフォークは知りません。誰からも影響を受けずに、いつの間にかフォークに興味を持つようになっていました。
ある日、「BSフォークソング大全集」というテレビ番組があることを知りました。当時は自宅でBSが見られなかったため、友人に頼んでビデオを撮ってもらいました。
そこには、僕が全く知らなかったフォークの世界がありました。

「値上げはぜんぜん考えぬ 年内値上げは考えぬ…」

この人、もう長くないんじゃないか。
初めて高田渡を見た、僕の偽らざる印象です。
酔っぱらったまま、消え入るような声で「値上げ」を歌う渡さんが、同じ日に出ていた古井戸の加奈崎芳太郎さんと同じ1949年生まれの45歳だと知って、若々しい加奈崎さんとのギャップにひどく驚かされました。

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渋谷毅さんのピアノの演奏でライブが始まりました。
佐久間順平さんや中川イサトさん、いとうたかおさんは昨年1月の「高田渡生誕会59」でも見た、おなじみの方々です。
昨年は2日間行われたライブも、今年は1日のみ。しかも生誕会は今回が最後で、渡さんが還暦を迎える年ということで、たくさんのミュージシャンが出演するため、ひとり1曲のみの演奏です。
早川義夫さんは初めて生で見ました。「この世で一番キレイなもの」、すごくいい曲でした。
斉藤哲夫さんも生で見るのは初めてです。渡さんの「この世に住む家とてなく」を歌ったのですが、できればオリジナル曲を聴きたかったなぁ。
加川良さんが歌ったのは「教訓I」。1970年の中津川でも歌った曲です。
小室等さんは、昨年に引き続き、ゆいさんといっしょに出演。いつまでも過激なフォークシンガーです。

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「BSフォークソング大全集」で初めて高田渡を見たときは、高田渡というミュージシャンに惹かれたわけではなく、ただあまりに老けた風貌と、仙人のような雰囲気だけが強く印象に残っていました。
その後、僕は無事大学に合格しました。18歳の僕が聴いていたのはかぐや姫や風、ガロにNSP。それでも十分「年齢に似合わないフォーク好き」を名乗ることができたわけですが、僕が本当のフォークを知ることになるのは、もう少し先のことでした。

1996年の1月か2月のこと。なんとなく立ち寄ったCD屋さんで、URCレコードの復刻盤を見つけました。
そこで手にしたのが「高田渡/五つの赤い風船」というアルバムでした。
「自衛隊に入ろう」をはじめとする、あまりにもストレートなプロテストソングにやられてしまいました。
ああ、これがフォークなんだ。
これが高田渡なんだ。

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「高田渡生誕会60」は3部構成になっていて、2部ではバーと「いせや」のセットをバックに、いろいろなミュージシャンが入れ替わり立ち替わり歌ったり、演奏したり、渡さんの思い出を語ったりしていました。
渡さんと親交の深いミュージシャンが語る、渡さんのあまりにも魅力的な素顔。つくづく、この人の歌を生で聴けなかったことが悔やまれます。

サプライズゲストは、大分から飛行機で駆けつけたという南こうせつさん。まさか「神田川」を生で聴けるとは思わなかった。加川良さんも参加した、なんとも贅沢なコラボレーションでした。
大阪からは大塚まさじさんも来ました。おそらく、5月の「祝春一番」でもお目にかかることになると思います。
中山ラビさんも初めて見ました。この方も渡さんと同世代のはずなのに、ものすごくパワフルでかっこいい。ラビさんのアルバムが欲しくなりました。

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渡さんが亡くなったのは、2005年の4月16日。
この日とその翌日はちょうど遠出をしていました。亡くなった2日後の月曜日には、ネットのニュースで「高田渡」の文字を見かけることはありませんでした。
訃報を知ったのは、5月6日のことでした。
渡さんがいなくなってしまったことも寂しかったけれど、そのことを僕が半月も知らなかったことが寂しかった。高田渡は、日本の音楽シーンを築いた偉大なミュージシャンのひとり。もっと、話題にのぼってもいいはずなのに。

それからおよそ半年後、僕は東京の武蔵野に引っ越しました。
フォーク関連のライブを見るようになったのはそれからです。中川五郎さんや中川イサトさん、遠藤賢司さん、加川良さん、大塚まさじさん、いとうたかおさん、友部正人さんなど、昔も今も第一線で活躍する方たちを、間近で見ることができました。
ただ、そこに高田渡がいないのがとても残念でした。

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生誕会のライブは第3部へ。
渡辺勝さんのアーリータイムスストリングスバンドに、なぎら健壱さんをはさんで武蔵野たんぽぽ団。おそらく二度と聴けないであろう豪華なラインナップです。
佐藤GWAN博さんは、渡さんが生前使っていたギターで「ブラザー軒」を歌いました。胸が熱くなりました。
そしてGWANさんはギターを置き、次に出演するミュージシャンを紹介します。

「今日最後の出演者です。高田渡くん」

誰もいないステージに、渡さんのギターがスポットライトで照らされる。
渡さんの歌声が、ステージに響く。
鳴りやまない拍手。

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もともとは直接的なプロテストソングだった関西フォーク。そこから高石が抜け、岡林が抜け、高田渡は京都から吉祥寺へ。窮屈だった「フォーク」から抜け出し、みんなが歌いたい歌を歌うようになった。
そんな高田渡の歌は時代を超えて、28歳も年下の僕の心にまで届いてしまった。

もし誰かに、「高田渡のどこがいいの?」と聞かれたら。
いろいろ考えたあげく、「とりあえず聴いてみてよ」と答えると思う。
今はネットが発達しているから、YouTubeなんかで誰でも渡さんの姿を見ることができる。
決して万人受けする歌ではないと思う。でも、僕より若い世代にも、渡さんの歌を気に入る人は絶対にいるはず。
この日記が、誰かにとって、高田渡というミュージシャンを知るきっかけになればうれしいと思う。

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最後はみんなで「生活の柄」を歌い、閉幕。アンコールはありませんでした。
時刻は夜9時。ロビーでは、佐久間順平さんが「林亭」のCDにサインを書いていました。

外に出ました。雨は降っていませんでした。
渡さんの歌と、渡さんを愛するミュージシャンたちの歌を頭の中で何度も再生しながら、桜の咲く夜道を、三鷹駅に向かって歩いていきました。
高田渡生誕会60のパンフレット

コメント

ありがとう。
どこかで会ったら、渡の話をしましょうね。
一杯やりながら。

素敵なライブを僕たちに届けていただいて、本当にありがとうございました。
お会いできる機会があったら、舞い上がって何も言えなくなってしまいそうですが、「高田漣さんよりさらに若い世代が渡さんをどのように見ているか」を聞いていただけるとうれしいです。

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