釜ヶ崎

2008年6月20日(金) 02:22 | 日記

「冬には毎日人が死んでるからな」

深夜0時を過ぎた帰りの中央線に、関西弁を話す若い男女数人の姿がありました。
女性のひとりが、過去に大阪の西成区に住んだことがあるようです。

「あいりん地区が怖いってことが分かった」

あいりん地区とは、「釜ヶ崎」と呼ばれる日雇い労働者の寄せ場として知られる場所です。

「あそこでは、人間が売買されてる」

まるで、自分とは関係のない別世界のように、あるいはフィクションのように、釜ヶ崎のことを話していたことが印象的でした。

先週末に、釜ヶ崎で日雇い労働者による暴動があったそうです。
しかし、テレビのニュースではほとんど話題にならなかったようです。
確かに、時を同じくして東北で大きな地震があったので、それどころではなかったのかもしれません。
一方で、東京に新しくできた地下鉄がああだこうだ言う時間があったら、もっと伝えなきゃいけないことがあるだろう、という意見もありました。

よくニュースについて言われる言葉に、「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛むとニュースになる」というものがあります。
釜ヶ崎で起きた暴動は、「犬が人を噛む」ようなものと、地元の人やマスコミは認識しているようです。

僕が通っていた京都市内の大学には、こうした問題に取り組む学生がいて、学校の中に釜ヶ崎での闘争がどうのこうのという看板を立てていたりしたので、かなり早くから釜ヶ崎のことを知っていました。
ところが、僕を含むほとんどの学生は、この問題に関心を向けませんでした。やっぱり「自分とは関係ない、遠い世界」という思いがあったんだと思います。
実際に大阪出身の人たちを見てみても、この問題に対しては無関心か、突き放した態度を取るのがほとんど。被差別部落問題と同様に、「触れてはいけないこと」として扱われているようでした。

事情を知らない人が見たら、現場はかなりひどいことになっていると思います。そもそも、そんなにしょっちゅう「暴動」が起きるような国ではないので、こういうことが起きただけで大きなニュースになりそうなものですが、それでも釜ヶ崎では「犬が人を噛む」レベルのことだとみなされているようです。

いつのまにかそこで人が死んでいるのがあたりまえになり
殺されるにんげんの苦しみがきこえてこないと
生きていると信じなくなり

中川五郎さんの「いつのまにか」という歌の歌詞です。
人がみんな考えることを放棄して、当たり前であってはならないことが当たり前になったら、こんなに恐ろしいことはありません。
「無関心」が最も怖い。だから、たとえうざいと言われても、社会の関心を常に喚起するように、個人も組織も声を上げ続けることが必要なのかなぁ、なんてことを考えました。

10人の敵がいても、ひとりの味方がいれば、きっと生きていけると思うんですよ。呼べば、誰かが答えてくれるかもしれない。
黙っていたら、敵を作らなくてすむ代わりに、味方もできない。そうやって寂しい思いをしているのが今の僕です。

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