懐かしい人からの電話

2008年3月10日(月) 22:20 | 日記

先週木曜の夜0時近く、中野駅で電車を待っていると、電話がかかってきました。
メモリーに登録されていない番号。こんな時間に誰なんだろう。
「Hです。ひさしぶり」
なんと、昔の職場でいっしょだったHという男でした。

僕が名古屋の出版社で働いていたのは、2000年7月から04年3月までのこと。H氏は僕と同じ日に入社し、学年も同じでしたが、編集と営業で部署が別々だったため、あまり仕事でからむ機会はありませんでした。
そんなH氏から電話が来たことはもちろん、携帯のメモリーに僕の番号が残っていたことに驚きました。
辞めてから4年も経つのに。それとも、誰かから聞いたのでしょうか。

なんでも、彼は東京に転勤したとのこと。1か月前から中野区に住んでいるみたい。
でも、そのことより、彼がまだあの会社で働いていた事実に驚きました。
彼は一度会社を辞めて、その後復帰しているから、そのブランクを引いても6年以上勤めていることになります。
僕は入社から3年半経っても、給料は総額で20万を切っていました。手取りではなく、総額で20万弱。仕事は毎日深夜までおよぶのにも関わらず。よくもまあ4年近く続いたものです。
営業の給料はもっと高いはずですが、忙しさやストレスは編集の比ではありません。なにせ、裏社会の本職の人と直接お金をやり取りするわけですから。
あちらの業界の人たちは、お金の授受に関して記録が残るような方法を避けます。雑誌の広告掲載料は銀行振り込みではなく、現金で、しかも手渡しで営業担当に渡されます。場合によっては、何百万円という現金を持ったまま夜の街を歩かなければいけない。恐ろしい仕事です。

その出版社は名古屋に本社があり、僕が辞めた時点では大阪、札幌、福岡、横浜に支社を持っていました。当時から東京進出の話はありましたが、裏社会のパワーバランスの問題で、なかなか実現できずにいたようです。

「最近、山口がイケイケだから」
彼は言いました。
山口組六代目組長の司忍は、名古屋に本部がある二次団体、弘道会の会長でした。五代目組長は大阪の山健組出身で、つい最近まで山口組の最大派閥でしたが、名古屋の経済の好調さを背景に、立場は逆転したようです。
六代目体制が確立してからの山口組は、徐々に東京にも地歩を固めつつあるようです。
あの会社は弘道会と深い関係があります。弘道会=山口組の躍進が、フロント企業である出版社の東京進出を後押ししたというわけです。
ヤクザのことはあまりよく分かりませんが、どうやらこうした背景があるようです。

彼は今、勝手の分からない東京の地で、すでにライバル社の手垢がこびりついた風俗店に対して、地道に営業をかけているわけです。名古屋でのルート営業に比べると、はるかにつらい仕事だと思います。
大役を任されたわけですから、それだけの実力があるのでしょう。でも、あの仕事に耐えられる能力と忍耐力があるなら、もっといい会社でいい給料をもらえるような気がします。

かつての僕は決して優秀な編集者ではなく、原稿が締め切りに間に合わないことさえ日常茶飯事。デザイナーにはかなり恨まれていたと思います。そのくせ、毎日のように理不尽な労働環境に対する愚痴や文句ばかり吐いて、幹部から見ても実にうっとうしい存在だったことでしょう。後輩に対しても「労働組合を作る!」なんて息巻いておいて、結局は何もせずに逃げ出しました。彼らからも決してよく思われていないはずです。
そんな僕でも、今では曲がりなりに編集者として東京で生きています。給料も、当時に比べたら段違いに増えました。

大きなお世話ですが、H氏がなぜ今の会社にとどまっているのか、とても興味があります。
今度、機会があったらじっくり話してみたいと思います。

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