盛岡競馬場と地方競馬のこと

2007年12月 3日(月) 02:23 | スポーツ

土曜日はレンタカーだけ借りて、どこへ行くかほとんど決めていなかったのですが、前日にクライアントの方から「いい温泉がある」と聞いたので、そこへ行ってみることにしました。それが当日の日記でも書いた「松川温泉」です。
もうひとつ、行ってみたいところがありました。それがこの盛岡競馬場です。
盛岡競馬場正面
僕が競馬にのめりこんでいたのは、1993年から2003年くらいまで。その間、数々の名馬を見てきましたが、印象に残る一頭がメイセイオペラという馬でした。
メイセイオペラは、岩手の水沢競馬場に所属する馬でした。
1999年当時、「競馬ファン」のほとんどが中央競馬のファンであって、地方競馬のことを知っている人はごくわずかでした。
僕はといえば、98年ごろから地方競馬にも興味を持ち始めました。グリーンチャンネルの情報番組を見たり、時には実際に競馬場に行くこともありました。99年には笠松競馬場の「オグリキャップ記念」を生で見ました。
情報誌は、名古屋の尾頭橋にある「村田書店」で買いました。地方競馬情報誌の「ハロン」と、もうひとつは岩手競馬専門誌の「テシオ」でした。
「テシオ」は、基本的に盛岡と水沢の情報のみを扱っているだけなのに、作りがものすごくしっかりしていて、写真もきれいで、かなり気合いの入った雑誌でした。

メイセイオペラという馬が活躍したのはちょうどその頃でした。目の肥えたファンなら、交流競走でその存在を知っていたと思います。南部杯、東京大賞典といった地方の大レースで活躍した後、1999年のフェブラリーステークスに出走しました。
メイセイオペラを知る地方競馬ファンにとって、勝負服の色はブルーでなければいけません。菅原勲騎手の勝負服の色です。しかし、メイセイオペラの馬主は中央の馬主資格がなかったため、規定により枠番の色に従った勝負服を着ることになりました。5枠9番だったため、黄色と白の格子模様の勝負服です。騎手の服が違うだけで、テレビや雑誌で見ていたメイセイオペラとずいぶん印象が変わります。
人気はかなり割れました。データを調べたのですが、1番人気はワシントンカラーだったんですね。驚きました。メイセイオペラは僅差の2番人気。なめられたものです。
当時、ダート界の実力を二分していたのは、中央馬ではなく、地方の2頭でした。1頭はもちろんメイセイオペラ。そしてもう1頭は、南関東のアブクマポーロという馬でした。フェブラリーSにアブクマポーロが出なかった時点で、メイセイオペラの勝ちはほぼ決まったようなものでした。
確か、馬券は買っていなかったと思います。買っていても馬連を当てるのは無理でした。2着に入ったエムアイブランは買えなかったから。けれど、単勝なら間違いなく当てていたでしょう。エムアイブランの2馬身前でゴールに入ったのが、メイセイオペラでした。

1999年に大学を卒業して、その年の7月にはフリーライターとして、出版業界に足を踏み入れることとなりました。翌2000年には某出版社で正社員として働くことに。
この頃から、忙しさのため、競馬から少しずつ足が遠のいていきました。
今では、たまにテレビで大きなレースを見る程度。結果をネットで見て、勝った馬の父や母がかつて生で見たことがある馬だったりすると、懐かしい気持ちになります。

盛岡競馬場・馬場
盛岡競馬場のダートコースです。開催期間ではないのですが、砂はきれいにならされていました。

盛岡競馬場・スタンド
JRAの競馬場と比べても遜色ないほど立派なスタンドです。

盛岡競馬場・入り口そばの像
しかし、現実はかなり厳しいようです。正面入り口のところに馬の像があるのですが、その下には「走り続けよう 岩手競馬」の文字。
多大な負債を抱え、存続が危ぶまれている岩手競馬。こんなにきれいで立派な競馬場が、このまま消えてしまうのはあまりにも惜しいと思います。
岩手競馬の情報誌「テシオ」も2006年を最後に、雑誌の発行は止まっているようです。
あの歴史的なフェブラリーSからもうすぐ8年。いろいろなことが変わってしまいました。

競馬を見なくなり、馬券を買わなくなった僕がこんなことを言う資格はありませんが、昔みたいに競馬が盛り上がって、これ以上地方競馬が廃止されないことを願います。

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