善人が報われて、悪人が駆逐される世の中であってほしいと強く願う

2007年9月28日(金) 03:30 | 日記

ある大企業のある部署で、17歳の新入社員が仕事中に亡くなりました。
その部署は全寮制で、同じ部署の社員は全員、同じ宿舎で寝食をともにすることになっていました。
17歳の新入社員は、ある時から先輩たちに暴力をふるわれるようになりました。彼は先輩からのリンチに耐えかねて何度も寮から逃げようとしましたが、そのたびに先輩社員に捕まり、さらに凄惨なリンチを受けました。それも、仕事中にです。
仕事中だから当然、部署の責任者もそこにいました。ところがその責任者、リンチを止めるどころか自らも加担。金属バットで新入社員を殴る同僚とともに、責任者の立場でありながら、ビール瓶で新入社員を殴るという蛮行に出ました。
この時のリンチが直接の原因となり、新入社員は命を失いました。責任者も先輩社員も明確な殺意こそなかったかもしれませんが、「二度と逃げようなんて思えないほどの強い恐怖感を植え付ける」という目的があったことは疑いようがありませんでした。

部署の責任者は、このことを「仕事中にやむなく起きた事故」として、企業のトップに報告しました。自分の会社の社員が亡くなっているというのに、企業もそれ以上のことを調べようとはしませんでした。
マスコミにもこの事件はすぐに知られるところとなりましたが、当初は企業側の「事故」という報告を真に受けたため、第一報の後は特に大きく報じられることはありませんでした。

遺体は、通常はすぐに両親のところに戻るのですが、驚くことにこの部署の責任者は、両親の了解を取り付けることなく、火葬しようと考えました。葬儀業者から両親のもとに連絡があり、両親は当然これを拒否。遺体を家族のもとに戻してもらいます。もし業者から連絡がなかったら、両親の知らないところで遺体は灰になってしまったのでしょうか。

遺体が家族のもとに戻ったとき、企業の関係者は誰ひとりとして付き添いませんでした。
その遺体は、とても人に見せられるような状態ではなかったといいます。顔は原型をとどめないほどに痛めつけられていました。
業務中の事故で亡くなったと聞かされていたのに、どうしてこんなことになるのか…。不審に思った両親は、彼の遺体を司法解剖してもらうことにしました。
解剖の結果を受けて、事件性ありと判断した警察が動きました。企業の該当部署やその責任者、同僚らに対して、慎重に捜査を進めます。

新入社員が亡くなってから3か月、警察の捜査により、事実が明らかになりました。
責任者の言うような「事故」などではなく、責任者と同僚がグルになって彼をリンチしたこと。つまりは、殺人に限りなく近い傷害致死だったこと。
遺体を両親に無断で火葬しようとしたこと。つまりは、部署ぐるみで事実を隠蔽しようと画策したこと。
この企業はつい最近まで、別の問題でマスコミに騒がれていました。けれどそれは「ひとりの社員が職務放棄をした」というだけの小さな問題に過ぎませんでした。その裏では、これとは比べものにならないほど重大な問題が、3か月にわたって隠蔽され続けてきたのです。

さて、事実が発覚して、企業のトップはどのような対応を取ったのか。
驚くことに、部署の責任者および社員に対して何の処分も下さず、ただ「警察の捜査を待つ」と言うのみ。自分の企業で仕事中に人をひとり殺しておいて、殺した人間を企業として処分しない。コンプライアンスもへったくれもあったものではありません。仮に、もしこれが本当に事故だったとしても、部署の責任者が何の処分も受けないなんてことは普通あり得ないでしょう。自浄作用ゼロの、最低の企業です。
そもそも、企業のトップはこの事実を本当に知らなかったのか。また、知らなかったとしても「知らない」で済まされることなのか。通常ならば、トップとしての相応の責任があるわけだから、「知らない」というのは許されない。企業とは社会的存在であるから、社会に対して一定の責任を負っている。そのことに対する自覚が著しく欠けていると断言できます。

これらのことから、該当部署は「人殺し集団」であり、人殺し集団を野放しにした企業は「人殺し企業」である、という結論が導かれます。
新入社員がもし本当に使えない人間だったら、解雇すればいい話。もちろん企業が労働者を簡単に解雇することはできませんが、たとえば逃げたところを捕まえたりせずに、むしろ逃げたことで職務放棄とみなして、クビにする口実にすればいい。それをなぜ、わざわざ捕まえてリンチする必要があったのか。新入社員と上司という関係性において、そんなことをする必然性はゼロです。必然性がないのに人を殺したのだから、情状酌量も認められるべきではないでしょう。

読者の皆様においてはきっと、2行目あたりから該当部署を「時津風部屋」、企業を「相撲協会」に変換して読んでいただいたことと思います。
人の未来を奪った鬼畜が、今も人の顔をして生きている。その事実に憤りを感じます。
神戸の滝川高校の自殺もそうですが、どうして悪人が人間の顔をして、大手を振って生きていられるのか。
もちろん、大半の悪人はそれにふさわしい裁きを受けます。ペッパーランチで女性を襲った鬼畜男は、懲役12年の実刑となりました。これが通常の姿です。
ところが、世の中には「制裁されない悪人」がいます。ライブドア堀江と日興コーディアルの例を持ち出すまでもなく、ひどい悪事を働いたのにも関わらず、それにふさわしい制裁を受けた人間と受けていない人間がいます。
つまり、金と権力を持ってさえいれば、国家権力やマスコミを押さえ込むことができるわけです。滝川高校にしても、バックに大企業がいるとかいないとか。結局はリンチに加担した下っ端数名にすべての責任を押しつけて終了、ということにならないことを祈るばかりです。
ただ、相撲協会の場合、曲がりなりにもこれだけテレビで騒がれるということは、協会の影響力が低下したということでしょうか。かつて、八百長の告発にからんで相撲関係者が相次いで謎の死を遂げるという事件がありましたが、その話題はテレビでは一度も見たことがありません。「週刊文春」か何かで読んだだけです。
今回の事件についても、昔なら金と暴力を背景に、被害者家族との一方的な示談に持ち込むことで、マスコミに漏れないようにできたのかもしれません。しかし、今回は隠蔽しきれませんでした。

警察は各方面からの圧力に屈することなく、徹底的に捜査してもらいたい。裁判所にもしっかりと裁いてもらいたい。そのうえで、時津風をはじめリンチに加担した鬼畜どもには、実刑判決が出ることを望みます。
善人が報われて、悪人が駆逐される世の中であってほしい。そのための条件は以下の2つだと思います。
ひとつは、悪人は必ず相応の制裁を受けること。法が適切に運用されることで初めて、悪事に対する抑止力となり得る。大人だろうが子供だろうが同じ。
もうひとつは、社会に参加するすべての人が、悪人の存在を排除するように働きかけること。悪人を許容することは、結果として自分の所属する社会を自ら危うくする。悪は徹底的に憎むべきで、そうした態度を普段から表明すべき。
悪人がでかい顔をして生きていけるような世界には、僕は住みたくありません。

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