「読み逃げ」の話に、僕もひとこと

2007年3月23日(金) 02:27 | 日記

mixiのようなソーシャルネットワーキングサービス(SNS)で、誰かの日記を読んでコメントを書かずに立ち去ることは「読み逃げ」といって、一部のユーザーに嫌われているそうです。
そんな話がネットで盛り上がっていて、ヤフーのトピックスでも紹介されていました。
元ネタはITmedia Newsの、
「mixi読み逃げ」ってダメなの?
という記事です。

ご存じのように、mixiには「足あと」という機能があって、自分のページに誰がアクセスしたかがひと目で分かるようになっています。当然、コメントを書かずに立ち去った人がいれば、すぐに分かります。
そして、コメントを書かない人、つまり「読み逃げ」をする人の存在を許せないユーザーというのが一定数いるらしいんですね。

トピックスを見て、正直言ってものすごく驚きました。
「読み逃げ」という言葉自体、初めて見ましたし。こんなことを考えている人が世の中にいるんだなぁ。カルチャーショックです。

僕はネットで日記を書き始めてもうすぐ3年になりますが、自分の日記にコメントを書いてくれること自体、たいへんありがたいと思っています。間違っても「なんで毎日100人前後の人が読んでいるのに、コメントを書いてくれないのか」なんて思ったことは一度たりともありません。
そもそも、読者の方がコメントを書くということは、限られた時間と労力を自分のために割いてくれているということです。自分の書いたことに対して何かを考え、何かを伝えたいと思ってくれたということです。そのことが、ネットで日記を書く人にとってどれだけうれしいか。
ご自身で日記やサイトを運営したことのある方なら、分かっていただけると思います。
「コメントを書いていただく」という行為は、それだけ重いものなんですよ。
それを「コメントを書かないなんて腹が立つ」なんて、自己中もいいとこ。お前は何様なんだと言いたくなります。そもそも、その人の日記が読者にとってコメントを書くのに値しない程度の内容、つまり面白くないから、コメントが集まらないだけの話で。読者とコミュニケーションを取ろうと思えば、文章の書き方もそれなりに工夫するのが当然。それを怠っているから誰もコメントをくれないだけの話です。ちゃんと読者の方を向いて日記を書けば、きっとメッセージを残してくれますよ。それよりもむしろ、コメントこそ書かないものの毎日見に来てくれる人がいるという事実に目を向けるべき。ネットで物を書く場合は、読んでくれるだけで幸せだと思うべきなんですよ。読者に「見る価値すらない」と思われたら本当に終わりなので。

…というのが、ネットで物を書く人間のあるべき姿勢だと個人的に思っているのですが、SNSの広がりやネットユーザーの移り変わりによって、そのあたりの認識も変わってきたのかなぁ、というのがカルチャーショックの中身です。
僕にとってこのサイトはコミュニケーションの手段というよりは、「表現の場」なんですよね。かつての非商用個人サイトはほとんどが「表現の場」として生み出され、ここ数年ではブログというCMSツールがそれをより身近にしました。ちょっと大げさな話をすると、かつては個人がメディアを持ち、マスに対して情報発信することは非常に難しかったわけですが、ネットという媒体がそれを可能にした。手軽な「表現の場」ができたことに、僕らは計り知れないほどの大きな喜びを感じたわけです。
表現できるだけで幸せ。それは今でも変わりません。
僕らのような個人サイト運営者は、表現を通じて読者とつながるという考え方が根底にあって、だからある意味で「お客様は神様」であり、掲示板やコメント欄にメッセージを書き込んでくれたり、メールで直接感想を伝えてくれたりするのは、そういう意味で本当にうれしいわけです。

SNSの世界は違うみたいなんですよね。開かれたウェブの世界とは違った空気が流れているような気がします。たとえそれが、会員数日本一のmixiであっても。
僕もいちおうmixiの会員ではありますが、ほとんど利用していません。mixi内のそうした空気が肌に合わないのもひとつの理由です。あるコミュニティーで、昔の知り合いだと思われる人を見つけたのですが、その人のページを見るのをどうしても躊躇してしまいます。「足あと」で自分のことがばれると、いろいろ面倒なことになるかもしれないという恐怖感がぬぐえないので。
たまに使うのは、気になるキーワードで日記を検索して、その話題についてどんなことが語られているのかを調べる時ぐらい。mixiでしか日記を書いていない人がいるので、mixiでしか読めない文章もあるわけです。その時はたいてい検索に引っかかるのは「全く接点のない赤の他人」なので、アクセスの履歴が残っても何も困ることはありません。自分のページには、知られて困るような個人情報は一切載せていないので。

そもそも「主に知り合いとコンタクトを取るためにSNSを利用する」という人にとっては、「表現」なんていう概念はほぼ皆無なのでしょう。たとえ見に来る人が知り合いばかりであっても、文章を書く時は読む人のことを最低限気づかうべきだと僕は思っていますが、おたがいがそんな面倒な手続きを必要としていないとしたら、それはそれでいいのかもしれません。ゆるい日記とゆるいコメントのやり取りを媒介として、おたがいの距離を確認すること自体が目的だというのなら。
確かにそういう考え方なら、「コメントを書いてもらえないのは自分の日記がつまらないからだ」という発想にはたどり着きにくいのかもしれませんね。

誰かにとっての「思いやり」が、誰かにとっては「押しつけ」となってしまうことはよくあります。その構図をメタ的な視点で見られる、つまり「どんな場合は思いやりとして作用して、逆にどのような条件下では押しつけとして作用するのか」というところまで考えがおよぶのが本当の「思いやり」だと思います。
「読み逃げうざい」などと誰に対しても平気で言える人は、思いやりと押しつけの区別がつかない、つまりは「思いやりの足りない人」だと、僕なんかは判断してしまいます。

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