生きることを甘く見ていた

2007年3月 9日(金) 01:43 | 日記

100個の案件があれば、100個成功させるのは当たり前。それがボーダーライン。
1個失敗すれば、その失敗は責められる。失敗の規模が大きければ、それ相応の責任を負うことになる。
たとえ、残り99個をすべて成功させたとしても。
社会人とは、そういうものです。
でも、若いうちは失敗も貴重な経験です。よほど大きな失敗や、同じことを二度繰り返すことのない限り、それが原因で評価が大きく下がることはあまりありません。むしろ、失敗を恐れずに挑戦したことが評価されます。
ただやはり、30歳にもなると、そんなことは言っていられません。淡々と結果を出し続けることだけが、そこで働いてお金をもらうことを許される、唯一無二の方法なのです。

仕事で、大きなミスをしてしまいました。
とある雑誌に掲載するための文章を書いたのですが、その内容に不適切な部分があると指摘されました。
その仕事の直接の責任者は僕ではありませんが、文章を書いたのはまぎれもなく自分です。突発的なミスではなく、やるべきことを怠り、独善的な判断で進めたために起きたことです。一切の言い訳も言い逃れもできません。

この件で、僕個人が強く糾弾されるわけではありません。「会社が受けた仕事を、会社組織として、不完全な結果に終わらせてしまった」ということで、当事者がこんな書き方をするのはよくないですが、ある意味で「僕を使った人の責任」になるからです。僕ももちろん怒られますが、もっと怒られるのは直接の担当者です。
最悪の場合、その雑誌社との関係が切れてしまい、仕事そのものがなくなることも考えられます。
結果はまだ出ていませんが、問題が大きくならないことを祈るばかりです。

僕は直接の責任を負わないかわりに、別のものを負うことになります。
「あいつにはもう、あの手の仕事は任せられない」
雑誌社との折衝がうまくいったとしても、僕に対する評価や印象は変わりません。
失った信頼を取り戻すのは、簡単ではありません。
とはいえ、ここで生活の手段を絶たれるわけにもいきません。今はただ、二度と失敗をしないように、結果を出し続けることだけを考えたいと思います。

生きることを、甘く見ていました。
「生きたい」と心から願っていたのなら、あんなミスは起きなかったと思います。
こんな自分に生きる場所を与えてくれている人たちに対して、感謝の気持ちを忘れなかったのなら、あんなミスは起きなかったと思います。
このごろ日記で他人のことを叩いてばかりいますが、その前に自分自身に生きる価値はあるのか、あるいは本当に生きたいのか、今一度問い直したいと思います。

この世の中に自分の居場所を確保することの難しさと、安全な場所なんてどこにもないという現実を、今日あらためて思い知らされました。
もっと強くならないと。せめて、他の人の半分くらいの強さがほしい。あんなミスをしないですむ程度の力でいいから…。

いつまでたっても少年のような悩みを抱える、少年の心を忘れないオッサンの日記でした。

コメント

フォーキーさんの日記を見ていると社会の厳しさが伝わり
まだそんな厳しさを知らない青い僕にとっては
とても有意義なものになってると思います。
これからも日記を書き続けていただきたく思います。


しかしQMAでマッチしないっすねー。
もう昨日で自分も賢者になったのに。

感情のおもむくままに書いてしまって、たまに後悔することもあったりしますが、今後もごひいきにしていただけるとうれしいです。
当たりませんねぇ…。

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