明らかに天災ではないのに

2006年8月25日(金) 00:07 | 日記

きのう、新宿の京王百貨店で、女性の店員さんが客に傘で眼球を突かれるという事件がありました。
最悪の場合、義眼になってしまうそうです。
犯人が奪ったのは、店員さんの片目だけではありません。今後の幸せな生活のすべてが奪われてしまったのです。

犯人は、今日逮捕されました。
しかし、どのマスコミも、顔も名前も報じませんでした。

被害者と、被害者のことを大切に思っている人たちの怒りや悲しみは、どこにぶつけたらいいのでしょうか。
その気持ちを思うと、僕も悲しくなってしまいます。

歩道を歩いていたら、突然トラックが突っ込んできて、ぶつかって大けがを負った。運転手は泥酔していた。
この場合、運転手は罪に問われます。飲酒運転は、きわめて重い罪です。
今回の店員さんも、全く非がないのに、突然大きな被害を受けたわけです。しかし、どうやら犯人は罪に問われないようです。
前者は人災ですが、後者は天災と同じ扱いです。

だけど、生身の人間に傘で目を刺されることを「天災」だと思えるような人は絶対にいないですよね。
何とかならないんですかね、こういうの。
「運が悪かった」で片付けちゃいけない。このようなことが二度と起きないよう、社会全体が有効な対策をしなければいけません。
じゃあどうするか、というと非常に難しいですが。
「一度も犯罪をしたことがない、ある種類に属する人間たち」を、いくら「ある種類」だからって、どこかに閉じこめておくわけにもいかないし。
それに「ある種類」に属するのにも関わらず、それと正式に判定される前の人も多いわけで、そういった人に対して事前に対策を打つことは不可能ですから。

それでも今回の場合、犯した罪はあまりにも大きいので、今後のことを考えて顔写真付きで実名報道すべきだと思います。少なくとも被害者にとっては、たとえ相手が健常者であろうがそうでなかろうが、「耐えがたい苦しみと悲しみを与えた人間」である事実は変わりません。明らかに天災ではないわけですから。
何より僕自身、重大な犯罪を犯した人間が、顔も名前も明かされないようなところで生きていくのは嫌です。
少年犯罪もそうですが、社会全体に大きな衝撃を与えるような罪を犯した場合は、通常の犯罪と分けて考えるべきではないかと思います。
ただ、少年の場合と違って、罪を重くしたりしたところで、それが抑止力にならないのが「ある種類に属する人間」の難しいところなんですよね。

地震や水害などの天災と、「ある種類に属する人間」の暴走の前では、僕らは無力です。そして、何が起きても誰かに対して責任を問えません。
自らの無事を、ただ毎日祈るしかないんでしょうかね。
本当に心が締め付けられるような事件でした。

コメントを投稿

※サーバーの状況によって、投稿完了まで時間がかかることがあります。
※投稿内容がすぐに反映されないことがありますが、ページを再読み込みするとコメントが表示されます。
※入力したURLは公開されますが、メールアドレスは公開されません(管理者に対してのみ通知されます)。