高校野球について、長々と的外れなことを語ってみる

2006年8月23日(水) 03:28 | 日記

今年3月、駒大苫小牧高校が春の選抜高校野球大会を辞退したことに関して書いたことがありました。
その駒大苫小牧と、僕の住む地域である西東京代表の早稲田実業が2日にわたる熱戦を繰り広げ、早実が勝利しました。もっとも僕は月曜はもちろん、日曜も全く試合を見ていませんが。
とにかくOBの王監督にとっては、何よりの良薬になったことでしょう。王さんには元気になってもらいたいと思っています。

今さらこんなところで「高校野球は日程が過密すぎる」「ピッチャーは肩を酷使しすぎ」などと僕が言っても仕方がないので、言いません。
しかし「再試合」というのは、いくらなんでもひどいと思います。
スタッフや審判はまだいいでしょう。報酬があるから。
決勝の再試合は入場者も見込めるし、テレビ放送もあるから、十分ペイできる。それどころか、収入が増えることになりそうです。
身内はそれでよし。
試合をしている高校生も、当事者だからそれほど気にならないかもしれません。
問題は、北海道や東京から応援に来ている学校関係者たちです。
何百人規模の応援団が、飛行機や宿を取り直さなければいけない。当然、そのための費用は彼らが持つことになります。
その費用だって、きっと学校のOBたちが半ば強引にむしり取られたカンパなどから捻出されていたりするわけです。観光旅行に来ているわけではないので、お金の余裕はありません。そこからさらに出費を強いられるとなると、「出るはずがなかったお金」をどこかから出さなければいけなくなります。手品師でもあるまいし、事はそんなに簡単ではありません。
したがって、高校野球もサッカーにおけるPK戦のように、どうにかしてその日中に決着をつける「最後の手段」を用意すべきです。
あるいは「延長15回で同点の場合は、ヒットの多い方を勝ちとする」など、別のルールを設けるか。
とにかく、引き分け再試合は、高野連が儲けるためのシステムではないかと勘ぐってしまいたくなるくらい、ひどいものだと思っています。犠牲になる人がいたたまれません。
次回からは、15回、いや12回くらいで必ず決着するようなルールを採用すべきです。

そんなわけで、決勝に残ったチームのピッチャーは、ものすごく肩を消耗してしまったわけです。
高校生の投手が本気でプロを目指そうと思ったら、高校ごときで肩をすり減らしたくないというのが本音でしょう。
とはいえ、プロになるためには、高校の野球部、それも強い高校に入ることが近道となります。当然、大会に出れば勝ち進み、地区大会さえも勝ち抜き、酷暑の甲子園へと駒を進めることになります。
ここまで来て「俺はプロを目指すから連投は嫌だ」なんて、絶対に言えません。いっしょに苦楽をともにした部員たちの手前、ひとりだけ勝手な行動を取れるほど図太い神経を持つ人は、中日の落合監督くらいなものでしょう(だから僕は落合さんが大好きです)。普通の高校生にはまず無理です。結果、チームが強ければ強いほど、選手はより多く消耗します。
それでも投げきってしまった、かつての松坂大輔は例外中の例外。いくら彼らが毎日体を鍛えていても、ピッチャーの連投は成長途上の肉体にとって負担があまりにも大きすぎます。

僕はどうしても、高校野球全体を否定的に見てしまうくせがあります。
以前の日記で書いたような、部員の不祥事に対するチームの過剰な連帯責任。炎天下の超過密日程と「引き分け再試合」などというふざけたルール。そしてもうひとつが、「プロ志望届」などというよく分からないシステム。就職先がNPBなのに、どうして志望届を受理するのがNPBじゃなくて高野連なの? 高校生の就職活動に高野連が介入することの意味が分かりません。
「学校」という閉鎖的な社会の内部にある、「野球部」というこれまた閉鎖的な社会。それを統括する閉鎖的な機関としての高野連。こんなに何重にも閉鎖的になっているから、社会通念上変だと思うこともまかり通ってしまうのでしょう。
言うまでもなく最大の犠牲者は、真剣な態度で野球に取り組む高校生たちです。
そして、今彼らが置かれている状況が不幸であるという現実は認識されません。なぜなら「ポスト高野連体制」というべき、現在の体制を相対化できるような体制や概念がまだ生まれていないからです。
そんなことを考えれば考えるほど、高校野球をうがった目で見るようになってしまいます。

たとえば、茨城ゴールデンゴールズでも、NOMOベースボールクラブでも、あるいは既存のプロ野球の球団がU-18のチームを作って、競わせればいい。
本当に野球がうまくなりたい、プロを目指したい若者が、しかるべき指導を受けながら、野球に集中できるのが理想的です。
「学校」という、退学でもしない限り逃れられない社会で、その社会の内部にあるチームにしか所属することが許されないのは、不幸なことです。
野球が強いという理由で高校を選ぶ人もいますが、それでもたとえば指導者の方針が自分と合わなかった、チームの雰囲気が最悪だった、といった場合、「別のチームに所属する」という選択肢がほぼ皆無という状況は、異常です。ほとんどの場合、我慢してそのチームに残るか、あるいは辞めるか、どちらかしか選べません。

とにかく、学校や高野連が絡むと、スポーツがスポーツでなくなってしまうような気がして、僕にとっては見るに堪えないものになってしまいます。
あの松井秀喜が、4打席連続で敬遠された試合。マスコミは騒ぎすぎました。教育の一環としての高校野球だから、あの敬遠は良くない。当時高校1年だった僕は、ふざけるな、と思いました。敬遠の何が悪いんだ。結果的に、明徳義塾は星陵に勝ったではないか。勝ったチームをたたえるのがスポーツだろう。
アマチュアスポーツは、ルールの中で、純粋に勝つことを目指して戦うべきものです。
もしあの試合が「高校野球」ではなく「全日本ユース野球大会」で、チームも学校ではなくクラブチームだったら、僕が高校野球に対して感じていたいろいろな不自然さが吹っ飛ぶような気がします。
いくら敬遠をしたところで、敬遠をされた松井が騒がれることはあっても、敬遠をしたチームがあそこまで叩かれることはなかった気がします。

なんだか思いつきでだらだらと書いてしまいましたが、要は僕が「学校」だとか「部活」だとかドメスティックな世界でもがく若者に対して萌えるような性癖はありませんよ、ということです。
15歳から18歳の若者にとって、高校の部活なんかよりもっと真剣に野球に打ち込める場ができたらいいのに、と思います。

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