京都市長の「優先雇用」発言と同和問題について(後編)

2006年7月30日(日) 06:21 | 日記

1995年から99年まで、京都市内にある大学に通っていました。
ゼミのテーマに「部落差別」を選ぶ人が何人かいました。
講義の中で、昔の被差別部落の様子を語る教授もいました。
京都出身の人から、小中学校での「同和教育」についての話を聞きました。
愛知県より東に住む人には感覚的に分からないと思いますが、京都に住む人にとって「同和」とは生活に密着したものであり、それだけに簡単には触れられないものなのです。

僕が住んでいたマンションのすぐ近くにも、いわゆる被差別部落がありました。確かに他の地域と雰囲気が違います。繁華街やターミナル駅が近いのに、そこだけ時間が止まったかのような雰囲気。京都市内には、そうした場所がところどころにあります。

京都における圧力団体は、何も解同だけではありません。たとえば仏教界。各宗派の総本山が集まる京都では、宗教界が大きな影響力を持ちます。そして、こうした大きな力へのアンチテーゼとして、他の地域より強い力を持つ共産党。京都とは、これらが渾然一体となった複雑な街なのです。

鈴木宗男の失脚、野中広務の引退により、このパワーバランスが崩れました。大阪におけるハンナン浅田の逮捕も、事情を知る者にとっては大きな衝撃でした。
そして、桝本市長のあの発言です。おそらく、今年度に逮捕された市職員は8人中全員、あるいは少なくとも6人は同和枠での採用だったのでしょう。
先に書いたとおり、桝本氏は与党相乗りの市長です。部落解放同盟のバックには自民党も民主党も公明党もいます。いくら職員が悪さしようとも、そのことだけで市長があんな発言をするとは考えられません。桝本氏は思いっきり権力寄りの市長です。大阪府の太田知事ほどひどくはないでしょうが、市民のことを気遣った発言とは到底思えません。

つまり今回の発言に関しては、部落解放同盟を上回る別の力が動いた、と考えるのが自然です。
仏教界というのは考えにくいので、財界でしょうかね。
京都といえば任天堂と京セラが有名ですが、部落解放同盟が相対的に力を弱めた今、市に対して莫大な税金を払うこれらの会社が、自分たちの事業で上げた利益の一部がヒロポン購入のために使われているのを見過ごすわけにはいかなかった、と考えることもできます。解同と一心同体のハンナンが警察に屈したのを見て、京都の有力企業も言うべきことをようやく言えるようになった、というのが実際のところではないでしょうかね。あくまで僕の勝手な想像ですが。
京都市としても、弱っていく一方の解同と、ニンテンドーDSの大成功で昇り調子の任天堂、どちらを取るかなんて、考えるまでもないでしょう。それこそ野中が健在であれば、たとえ任天堂クラスの大企業でも、解同に刃向かえばただではすまなかったかもしれませんけど。

今後こうした流れが他の地域にも波及すればいいのですが、京都における任天堂や京セラのような「経済的、あるいは政治的に巨大な力を持つ組織」の後押しがないと、なかなか桝本市長のような思い切った発言はできないかもしれませんね。大阪も、松下電器や阪急阪神ホールディングスあたりががんばってくれないと。もし後ろ盾がないままに先走ったりすると、それこそケネディ大統領のような悲劇も起きかねないわけで。それくらいデリケートな問題です。
だから、かつて京都に住んでいたことのある僕は桝本市長の発言に驚き、こんな長々とした考察をこんな時間に書きたくなってしまったわけです。

同和問題は根が深く、いまだに一般企業による就職差別も存在するようです。かつて「部落地名総鑑」という、全国の被差別部落の地名が掲載された本が秘密裏に出回り、大企業が採用時の選別に使ったことが大きな問題になりました。被差別部落出身者をどうしても採用したくないと考えている経営者は、21世紀の今でも何人かいるみたいです。地名総鑑は、今もひそかに使われているようです。
どうすれば同和問題を根絶できるのか、その方法は見つかっていません。ひとつはっきりしているのは、差別される側のごく一部が圧力団体化して、既得権益を守ろうとしている以上は、差別はなくならないということです。
もともと解同は差別を無くすための団体だったはずですが、今では「部落は怖い」というイメージを人々に植え付け、結果的に差別を助長していることは皮肉です。

事の経緯はともかく、桝本市長にはがんばっていただきたいと思います。バックに誰がいようと、結果として差別がなくなることだけが重要だと思うので。

コメント

京都に住んでます市議会中継を見てますが
この市長はおバカで有名だからそこまでじゃなく軽はずみな一言じゃないかな
前の田辺さんの方がよかったよ個人的希望として共産党市長にナタふるってもらいたい。

あらら、そうなんですか……期待外れでしたw
京都も大阪も、本気で膿を出すためには革新系の人が首長になってもらわないとだめですね。

おっしゃるとおり、本当の意味で差別がなくなって欲しいと思います。
 同和問題はかつての「橋のない川」の時代から変質してきています。差別は人権問題であり、貧困は生活支援の行政問題であると分けて考えなければならないのに、一部部落の人は、それを一緒にして全てを「差別=だれも否定できない問題=行政が責任をもって撲滅するべきこと」として、部落民以外の個人、学校、行政担当者などに圧力をかけて手に入れた既得権益(戦後の自由平等感の高揚期でなんでも受け容れてしまう時期だったのかもしれません)を守ろうとしているのです。こういう状態がこの先も続くなら、残念ながら決して差別はなくならないでしょう。
 現状は確かに昔に比べて良くなっている(そのため過保護とか逆差別とも言われた支援が多額の費用をかけてなされてきたのですが)にもかかわらず、「いまだ差別は現存し、むしろ深刻化している(落書きなど)」などという発言をきくと、一部の部落の人は、既得権益をまもるためにはあえて「部落」の存在を必要としているのではないかとさえ思ってしまいます。三重県でも昨年「こめかみ事件」がありました。牛のこめかみの肉(危険部位)を自分が経営する食肉店で販売していた市議が解放同盟の有力者であったためか、ほんの一部の報道のみで終わってしまいつつある事件です。赤福はあれほど叩かれたのに・・・なんだか複雑な心境です。
 実際一部の部落の人を見ていると「部落は怖い、うるさい」というイメージは確かにあります。これってお互いに不幸なことだと思います。部落の人でも尊敬できる人もいるし、そうでない人もいます。地区外の人についても同じことです。月並みな言い方ですが、要はその人個人によるのです。今のままでは、その人が部落に住んでいるなら、どんないやな人であっても「いや!」といえない息苦しさがあります。本当の意味でおたがい自由になり、差別がなくなってほしいです。

5月に京都へ行ったときに、京都駅の周辺を歩きました。
10年前とほとんど変わらない様子でした。
最近の京都の事情は詳しく知らないのですが、駅のすぐ近くにあれだけ大規模な住宅があるのだから、普通に使えばいいのにと思ってしまうのですが、現実的には難しそうですね。
特に小さな子供のいる家庭の場合、学区があれだからあれだ、なんて言われたりして。地域社会に深く染みついたものを取り除くのは、行政でどうにかすることよりずっと難しいんでしょうね。
完全に街を作り替えるくらいのことをしないと、そうした意識を払拭できないかもしれませんね。

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