センター試験のこと

2006年1月22日(日) 07:20 | 日記

もう11年も前のことです。
当時の日記に詳しいことが書いてあると思うのですが、日記は実家に置いてきてしまいました。高校2年から大学2年の途中まで、3年以上も書き続けた日記です。よくもまあ飽きずに続けたものです。さすがに今読み返すと恥ずかしいので、持ってくるのをやめました。でも実は今書いている日記より、当時の日記の方がおもしろかったりします。
それはともかく。

1995年、1月14日の土曜日。当時、高校3年生。17歳でした。
センター試験の会場は、愛知県刈谷市にある某高校でした。僕と同じ高校の人は、みんなそこで試験を受けます。
名鉄知立駅からバスに乗ります。小雪がちらつく、とても寒い日でした。
バス停で、同じ大学を志望していた友人、Oくんに会いました。ものすごい厚着で、マスクをつけていました。風邪をひいて、熱を出したようです。
学校へ行くわけじゃないのに、周りはみんな学校の制服を着ていました。僕とその友人は、普段着でした。
会場となる高校に着きました。同じ大学を志望していた別の友人、Fくんに会いました。彼も制服を着ていませんでした。僕ら三人だけが仲間はずれでした。若かった僕は「こんなところにまで制服を着て来るなんて、何を考えているんだろう」と、半ば見下したような態度で「その他大勢の生徒」を見ていました。生意気なガキでした。

試験がどんな順番で行われたのか、全く覚えていません。
自分が志望していた大学は、センター試験の配点が低いところでした。センターと二次試験の比率が1:4か、あるいはそれよりもさらにセンターの割合が低いという、極端な比率です。そのため「センターで失敗したら後がない」という危機感はありませんでした。もちろんそれなりに勉強をして臨んだつもりでしたが、あくまで本番は二次試験だと思っていました。だから、正直言ってセンター試験の中身についての記憶はあまり残っていません。
知っての通り、センター試験はマークシート方式です。数学以外は5択、6択の問題ばかりです。数学の計算問題は、実際に0から9までの数字を、時にはaやbなどの文字を選んで塗りつぶすので、勘では答えられません。
答えはすべて問題用紙に書き残しておきます。後で自己採点をするためです。

センター試験は土曜と日曜、2日間の日程で行われました。
16日の月曜は振替休日でした。当時は成人の日が15日で、日曜日と重なったために16日が休日となったわけです。
記憶があいまいですが、この日は学校へ行ったような気がします。センター試験の自己採点をするためです。
点数は、あまり良くありませんでした。僕は理系でしたが、とりわけ世界史の点数が壊滅的でした。それでも「まぁ二次試験で余分に点数を取ればすむでしょ」くらいにしか考えていませんでした。どこまでも世の中をなめたガキでした。

同じ学校を志望していたFくんに、軽い気持ちで打ち明けました。
「本当は理系の学部へ行くより、文系の学部に興味があるんだよね」
「じゃあ、○○学部を受けてみれば?」
何気ない会話の、何気ない彼の一言で、受験する学部を変えました。二次試験まで1か月という、差し迫った時期に。自分の将来を大きく変えてしまいかねない重要な決断を、あまりにも軽い気持ちで下してしまう、本当に世の中をなめたガキでした。

志望校こそ変えなかったけれど、学部を変えるという決断をした次の朝。大きな揺れで目が覚めました。
1995年1月17日。
遠く離れた愛知県でも、震度4を記録しました。
テレビで見た光景は、センターで何点取ったとか、どこの大学を受けるとか、そんな小さなことをすべて吹き飛ばすような、あまりにも大きな衝撃でした。

その後、運良く志望校に現役で合格し、大学も4年で卒業。さまざまな紆余曲折を経て、現在に至ります。
Oくんも、Fくんも、疎遠になってしまいました。忙しさにかまけて連絡をよこさなかった僕が悪いのですが…。本当にごめんなさい。
いい思い出が何ひとつなかった高校時代で、彼らは数少ない理解者でした。また会える時が来たら、昔のように生意気なビッグマウスを叩いてみたいです。

それにしても、あの時のFくんとの会話がなければ、今ごろは編集プロダクションではなく、どこかのメーカーで研究者として働いていたかもしれません。
人生は、どこでどう転ぶか分かりません。センター試験の結果ではなく、その翌日の何気ない会話が、大げさに言えば僕の未来を決定付けました。

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