中学生のときに自転車でレースをして遊んでいた公園

2019年8月31日(土) 23:58 | 日記

8月11日の夜から14日の朝まで、里帰りということで愛知県高浜市の実家にいました。

ふらりと実家の近所の公園に立ち寄ってみました。僕が中学生のときに、公園内の道をサーキットに見立てて、みんなで自転車のレースをして遊んでいた場所です。

碧海GP(高浜市・碧海公園)

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高浜市の碧海公園。図書館や体育館の近くにある小さな公園です。ここの外周がサーキットでした。
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地図をトレースして、サーキットの路線図を書いてみました。右上と右下のコーナーがやや急なので、ここをいかにスピードを落とさず抜けられるかがタイムを削るポイントとなります。
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公園の入り口のところがスタート。
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しばらく行くとゆるやかな右コーナーがあります。左に見えるのは公衆トイレです。
路面にはところどころ芝が生えていて、歩いてみたらかなり凹凸がありました。レースをしていた1990年には平らな道だったのですが。
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コーナーを抜けたらバックストレート。気持ちよく加速していきます。
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右手側に東屋が見えます。公園らしい風景です。
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東屋の奥は、細かいコーナーが連続するシケインです。
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まずは右に曲がり……。
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すぐに左に曲がります。砂場が見えます。
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難所の右コーナー。奥に見える茶色い建物は図書館です。
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短いストレート。最終コーナーに向かいます。
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最終コーナー。
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ホームストレートに戻ってきました。これで1周です。

西端GP(碧南市・油ヶ淵公園)

続いては、碧南市の油ヶ淵公園です。
油ヶ淵というのは複数の川が合流する湖沼で、かつては日本一水質が汚いくらいな言われ方をしていましたが、近年この地域では、油ヶ淵の水の浄化を進めながら、周辺一帯に「油ヶ淵水辺公園」という、碧南市と安城市にまたがる大規模な公園を造営しています。さすがは全国有数のお金持ちな自治体です。
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公園の全景の写真を撮るのを忘れてしまったので、まずはサーキットレイアウトから。トレースできる地図がなかったので、フリーハンドで書いています。
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ここがスタート地点です。
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路面のひびが目印。
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西端GPは碧海GPと違って左回りのコース。公衆トイレのところがヘアピンカーブです。
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行き先は右奥の道ではなく、トイレの右にある茂みを回り込むようにします。
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別角度から見るとこういう感じです。
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トイレの裏の道はゆるやかに左方向のカーブになっていますが、ほぼ直線なので全速力で漕いでいく場所です。
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このへんは直線。ここでがんばってタイムを稼ぎます。
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当時はカラーコーンなんてありませんでした。
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バックストレートを抜けると左コーナー。ここはトイレのところと違ってゆるやかなので、スピードを落とさずに曲がっていきます。
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コーナーの入り口。
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コーナーを抜けて、ホームストレートに戻ります。
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ホームストレート上にベンチ。これも当時はありませんでした。自転車で全速力で走ってコーナーを抜けたところにいきなりベンチがあったら危険です。
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ストレートの先に小さなコーナーがありますが、そこがスタート地点です。
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これで1周終わりです。

F1に影響された中途半端に本格的なレース

この2つのコースを中心に、油ヶ淵公園の近くにある別の公園や、ときには公道を使ってレースを楽しんでいました。
最初はみんなママチャリで走っていましたが、3年生になるとみんなマウンテンバイクを親から買ってもらい、なぜかオンロードなのにマウンテンバイクでレースをしていました。
レースの内容は中途半端に本格的で、本物のレースのように、予選をして1周のタイムを計測してスターティンググリッドを決めて、5周のレースで順位を決めるというルール。いちおうドライバーズポイントを数えたりもしていました。当時F1がはやっていたので、その影響です。
僕はそんなに速くはなかったのですが、油ヶ淵のコースだけは得意で、何度か勝った記憶があります。

2人チームで1時間耐久レースをやったこともあります。油ヶ淵では快調にトップを走っていたところ、レース終盤で片足がつってしまい、これはまずいと思ったらすぐにもう片方の足もつるというアクシデントに見舞われたけれど、どうにかピットに戻り、ドライバーを交代して1位のまま逃げ切ったという、個人的にはとてもドラマチックなレースです。

以上、僕も中学生らしくアホなことをしていたという話でした。

2019年の参議院選挙

2019年7月21日(日) 23:59 | 日記

6年前の参議院選挙について何か書いてたかなと思ってたら書いてた。

参議院選挙のこと

僕の思いは6年前と基本的に変わってないし、今回の選挙でも6年前と同じく比例は共産党、選挙区(東京)は吉良佳子さんに投票しました。吉良さんは当確ということで安心しました。

変わったのは世の中の方で、政策がどうこうより、「権力を根拠として一方的にものごとを決める独裁的な姿勢」を肯定的に受け入れる風潮が、6年前より強まったように思います。
みんな、自分で考えて選択して、その選択に責任を負うことより、誰かに決めてもらうことを選びたがるんですね。
僕らのようにちょっと知恵を付けた人なら、自分で考えて自分で選択できる範囲が広ければ広いほどうれしいし、そういう権利はできる限り尊重したいから、他者にもそうであることを願うけど、そういう「選択肢が豊富にある」という状況をありがたく思わない人が世の中にはいる。
選択肢があるということは、いずれかを選べる自由があるけれど、それと引き換えに「いずれかを選んだ責任」が生じる。その責任を負わされるのが嫌だから、選択肢など最初から与えてくれるなという人がいる。たとえば選択的夫婦別姓は、僕らにとっては「選択的」なんだから誰も不幸にならないはずだと考えるけれど、実際にはこれまで「選択」の対象ではなかった「夫婦が同じ名字になる」ということが「選択」の結果とみなされ、そこには「選択した責任」がついて回るようになる。そのことを嫌がる人がいる。

共産党は学歴を偏重する傾向があって、今の委員長の志位さんも、ナンバー2の小池さんも旧帝大卒。豊富な選択肢から適切なものを選び取る能力がある人です。
かつての自民党もわりとそうで、トップは東京大や早慶の出身者がほとんど。だけど現トップの安倍氏は高学歴ではなく、もちろんかつての田中角栄のように学歴で知性を測れない人もいるけれど、安倍晋三は実際の知性も低く、選択肢を適切に選び取る能力があるとは思えない。それを本人も自覚しているから、知性がある人たちに対する嫉妬心がものすごい。
そういう人間だからこそ人々の共感を呼ぶというのは、アメリカでトランプ大統領が当選したことが象徴するように世界的な現象で、僕らからすると薄気味悪いというか、実際にとても困るんですけど、僕らと立場が違う人にとっては別の景色が見えているんでしょうね。

もっとも、20年前と比べると現代は情報過多な世の中だから、「自分にとって都合のいいやり方で選択肢を狭めてくれる根拠」に対するニーズは強いだろうし、その根拠を何らかの権威や権力に求める人がいるのも分からない話ではありません。そのニーズをすくい取るのが結果的にうまかったのがアメリカのトランプであり、今の安倍政権だということなのでしょう。慎重に議論を尽くすわけではなく、いつでも高圧的に、ときには嘘も使いながら、速やかに決断を下す。ちょっと知恵を付けた人なら忌避するようなことを、ちゅうちょなくやれてしまう。その姿を見て、「知性を持つ人々への妬み」というカタルシスを解消する人もいるのかもしれない。

参議院選挙は政権選択選挙ではないし、与党はどうやら選挙前の勢力を確保できないから、国政の現状が大きく変わることはなさそうだし、自公政権の支持率は今後も株価と連動するんでしょうけど、先に述べたような「選択肢があるという状況をありがたく思わない人のうち、安倍政権の方針をおおむね肯定している人」は、経済がどれだけ悪くなっても現政権を支持しそうだし、そういう層が広がっていくことを、個人的に懸念しています。もしそんな風潮になったら、絶対に日本の社会は今以上に悪くなる。

4KディスプレイとスケーリングとDisplayPort

2019年6月30日(日) 21:24 | 日記

きのう、パソコンの新しいモニターを買いました。
Acerの、CB281HKAbmiiprxという型番。28インチで解像度は4K(3840×2160px)です。
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こちらが箱です。今回初めてヨドバシ・ドット・コムで買いました。
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モニターはこんな感じ。写真では大きさが伝わらないですが、これまで使っていたのが確か24インチなので、ずいぶん大きいです。
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取り付けてみました。写真では伝わらないですが、今までのモニターよりずいぶん大きいので圧迫感があります。

さて、モニターの解像度が今までの2倍になりましたが、モニターそのものの大きさはせいぜい1.3倍程度なので、これまでと同じ設定で使うと、文字が細かすぎてとても読めたものではなくなります。
そこで、Windowsの設定画面の「ディスプレイ設定」から、「スケーリング」を150%にします。写真や動画以外のほとんどのものを1.5倍で表示させるという設定です。
これで今までのモニターとそんなに違和感なく、ウェブブラウザーなどのアプリを使えるようになるのですが、フォントの扱いが今までとは異なるところがあり、見栄えが変わってしまうところがあります。
たとえば「MS ゴシック」に対するアンチエイリアスのかかり方がスケーリング100%の場合と異なるために、そんなに大きくないフォントでも太い文字で表示されたりします。このへんはそのうち慣れるとは思いますが。

困っているのは、一部のアプリが、文字がぼやけた感じに見えてしまうことです。よく使うものではOpenOfficeとかTeraPadとか。設定でどうにかなるのでしょうか。

さらには、スケーリングに対応しないアプリもあって、地味に困っています。「8GadgetPack」という、Windows 7のデスクトップガジェットをWindows 10で無理やり使えるようにするアプリで、セキュリティなどの面で使わない方がいいのですが、アナログ時計とか、CPUとメモリーの使用量を示すモニターとか、付箋紙とか、ものすごく使い勝手がいいのでずっと愛用してきました。そろそろほかのデスクトップガジェットを探そうと思います。

以上が高解像度のディスプレイならではの仕様変更なのですが、今回ディスプレイを交換するにあたって、もうひとつ困ったことが発生しました。
以前に使っていたフルハイビジョンのディスプレイはDVI端子で接続していました。今回はDisplayPortという端子でつないでいます。そもそも新しいモニターにはDVI端子はありません。
このDisplayPortが実に困った仕様で、モニターの電源ボタンを押して画面を消すと、パソコンがモニターを認識しなくなってしまうのです。電源を切ると、マウスやUSBメモリーを抜いたときと同じ音がして、「ディスプレイが外れた」とパソコンが認識してしまうわけです。
そうするとどうなるかというと、サブモニターとしてHDMIで接続しているテレビの方がメインモニターになり、これまで4Kの解像度で150%のスケーリングで表示されていたメインモニターの各アプリの設定が、一時的とはいえフルハイビジョンで100%のスケーリングの表示に変わってしまうのです。なお、HDMIについてはモニターの電源を消しても、モニター自体が通電されていれば(コンセントを抜かなければ)パソコンはモニターを認識し続けます。
4Kモニターの電源を入れると、4Kの方がメインモニターになるわけですが、一部のアプリはフルハイビジョンの仕様がそのまま残り、デスクトップガジェットやウィンドウの位置が変わったり、大きさが変わったりしてしまいます。それをいちいち自分で戻さなければいけないという手間が発生します。

さらに言うと、僕は「PV4」というのを使っていまして、これは外部のレコーダーなどからD端子経由で動画をパソコンに取り込むハードおよびソフトなのですが、これがモニターの設定の変化に弱くて、PV4で録画したまま4Kモニターを切り、再び電源を入れて、PV4を最大化するとソフトがフリーズして録画が止まるというめんどうなことが起きてしまいます。

これはなんとかしたいと思い、調べてみたら「DisplayPortと、HDMIなどの別の方法とで、パソコンとモニターを2本のケーブルで接続する」という方法が示されていました。さっそくDVIとHDMIの変換コネクターを買い、グラフィックボードの余ったDVIを4KモニターのHDMIに接続しました。このままだと3画面表示になってしまうので、設定画面でHDMI接続を無効にしました。
その後、モニターの電源を切ってみたところ、デバイスが外れるときの音はしませんでした。ただメインモニターがテレビ側に移る仕様はそのまま。もう一度電源を入れてみたら、一部のアプリの設定は変わっていましたが、設定が変わらないところもあったので、いちおう効果はあるようです。

問題は再起動したときにどうなるか。またトリプルモニター状態になってしまうと、かえってめんどくさいことになりそうです。
モニターそのものはまあまあ快適に使えているので、うまい設定を見つけたいと思います。

遠藤ミチロウさんを悼む祝春一番2019の2日め

2019年5月 5日(日) 22:15 | フォーク

今年もいつものように大阪の服部緑地へ行きました。2006年から毎年なので、今回で14回めです。
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「祝春一番2019」というライブ。今回は5月3日から5日までの3日間行われ、僕は中日の4日のみ行きました。
開場と同時に開演というシステムなので、みんな早くから並んでいます。僕が公園に着いたのは開場から50分前の10時10分頃でしたが、すでに長い列ができていました。僕の後ろにもどんどん列が伸びていきます。
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ミチロウさんのことを語る出演者

春一番は1971年に第1回が行われて、ライブ音源が残っているのは1972年から79年。その後長期間の休止を経て阪神大震災後の1995年に復活し、以後今年まで毎年この時期に行われています。

1972年の春一番に出たミュージシャンで、47年後に当たる今年も歌っていた人もいました。僕が行った5月4日では、いとうたかおさん、大塚まさじさん、友部正人さんがそうでした。70年代の春一番で歌って、95年以降の春一番でも歌っていたミュージシャンで、向こうへ旅立ってしまった人もいます。西岡恭蔵さん。高田渡さん。石田長生さん。加川良さん。

70年代の春一番には間に合いませんでしたが、ゼロ年代の春一番を盛り上げてくれたミュージシャンもいます。
遠藤ミチロウさん。
僕も春一番ではその歌とパフォーマンスで、何度も楽しませてもらいました。
去年は羊歯明神という民謡パンクバンドとして、スターリン時代の楽曲や、民謡風のメロディーに乗せて安倍晋三をダイレクトに非難する歌を歌っていました。そのパフォーマンスとはうらはらに、ただ片手には杖を持っていて、体はかなり悪そうでした。

春一番の初日には、夕凪というバンドが、この日の最初の曲にミチロウさんの曲を歌ったそうです。
僕が見た2日めのステージでは、小谷美紗子さんがミチロウさんの音楽とその影響について語り、ミチロウさんを知ったきっかけだというAZUMIさんの「ホワイトソング」という歌を、出番は前日なのにこの日も来ていたAZUMIさんといっしょに歌っていました。
ミチロウさんと親交の深い友部正人さんは、ミチロウさんがカバーして歌った曲「誰もぼくの絵を描けないだろう」を歌ってくれました。
ミチロウさんとあまり接点のなさそうな大塚まさじさんも、意外なエピソードを語りました。ミチロウさんが山形大学の学生だったときに、学園祭にザ・ディランII(大塚まさじさんと永井洋さんのユニット)を呼んで、そのときに会っていたんだそうです。

客席ではミチロウさんのTシャツを着ていた人を何人か見かけました。
月並みな言葉ですが、ミチロウさんの歌は生きています。心は生きています。
祝春一番2019会場

推せる小谷美紗子さん、大昔の曲を歌う友部正人さん

個人的に思い出に残ったこと、気になったことのメモです。

キング堀内さん。「いいんだぜ」という中島らもさんの曲のカバー、前には宮里ひろしさんが歌っていたのを見たこともあるのですが、そのときともまた違う、情念のこもった絶唱。歌詞も時代に合わせてアレンジされています。多様性の時代です。

いとうたかおさんは、いつものように飄々とした歌いっぷりで、大塚まさじさんとのコラボもよかった。物販でアルバムを買おうと思ったら、もう売り切れていたようです。

小谷美紗子さんも毎年のように春一番で見ている気がします。同学年のミュージシャンとして、1998年頃に初めて曲を聴いたときから、心をえぐるような詞の世界がずっと気になっていて、ワンマンライブも見に行ったことがあるし、「古参」と自称しても差し支えないだろうと勝手に思っています。
この日は「母の日」という重いテーマの曲も歌ったのですが、どんな曲でも歌い終えたあとに見せる満面の笑顔が本当に推せます。

遠くから聞こえる救急車の音に「ピーポーピーポーうるさいわ」と曲の途中なのに突っ込んでみせるヤスムロコウイチさんは実に春一番っぽいと思ったし、DEEP COUNTというバンドは「遠藤ミチロウさんが好きだと言ってくれた曲」と言って5拍子の曲を演奏するし、いろんな音楽、いろんなパフォーマンスがあります。

友部正人さんは、1974年頃の曲「誰もぼくの絵を描けないだろう」を歌っただけでなく、AZUMIさんとのコラボで、さらに古い1971年頃の曲「大阪へやって来た」も歌ってくれました。昔の歌だけでなく、最近作った鮎川誠さんと三宅伸治さんとのユニット「3KINGS」の曲も。伝説を更新し続ける友部さんです。
客席では小谷美紗子さんがとても楽しそうな顔で、友部さんの弾き語りやAZUMIさんとのかけ合いを眺めていました。

大塚まさじさんは、最近元号が新しくなったことに触れつつ「そんなんどっちでもええんですが」と切り捨てて、「それより僕の住んでる街の名前が長くなったのがいやだ。丹波篠山市。住所書くときめんどくさい」と嘆いてみせました。世間は新元号で盛り上がっていますが、そんなんどこ吹く風なのが春一番です。「令和最初の春一番」だなんて誰も言わない。
昨年に西岡恭蔵さんの故郷の志摩で、恭蔵さんの没後20年を記念したライブを開催したことに触れたあとで、最後は恭蔵さんが作った名曲「プカプカ」で、客席のおじさんおばさんたちを盛り上げてくれました。歌は生きています。心は生きています。
木村充揮
トリは木村充揮さん。客席のヤジとのかけ合いは木村さんだけの世界。憂歌団時代の曲「胸が痛い」や、今だとなかなかおおっぴらに歌えなさそうな「おそうじオバチャン」をひさびさに聴けて楽しかったです。

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この先どんな世の中になっても、歌うことはどこまでも自由だし、語ることはどこまでも自由だし、信じることはどこまでも自由だから、自分で自分を縛ることなく、もちろん他人を縛ることもなく、何があっても自由という軸だけは持ち続けたい。今年もそんな思いを強くさせてくれるライブでした。

アイドルとの遭遇からの実家からの心斎橋

2019年5月 4日(土) 01:39 | 日記

10連休の後半は、連休らしく遠出をしています。

1日は会社へ行く用事があったので少しだけ会社にいて、そのあと東京駅から新幹線に乗って実家へ行きました。
その新幹線で、おもしろいことがありました。

通路をはさんですぐ横の席に、品川駅から若い女性の集団が乗ってきました。なんかみんな顔が小さいしばっちりメイクしてるし、これ絶対アイドルだろうと思ったら、その中のひとりが、あるアイドルグループの名前が書かれた黒いシャツを着ていました。物販で売っている公式グッズです。やっぱりこの女の子たちはアイドルだと確信しました。
しかもそのアイドルは、1年以上前に初めてライブを見たときにすごくかっこいいと思って、それ以来個人的になんとなく気になっていたグループ。グッズのTシャツもメンバーが移動中に着ているくらいだから普段着としても使えるくらいかっこよくて、若い世代を中心にファンの動員も順調に増えているようです。さすがにメンバーの顔までは知らなかったので、すぐに特定できませんでしたが、今が旬のアイドルにこんなところでお目にかかれるなんてびっくりしました。

アイドルファンとしては、すぐ近くに移動中のアイドルがいるとなるとどうしても気になってしまうもの。道中、メンバーは売店で買ったパンなどを食べながらスマホを見ていたり、前髪のチェックをしたりしていて、でも静岡県に入ったあたりでみんな寝てしまいました。連休はほぼフル稼働なので、疲れていたんでしょうね。
調べたらそのアイドルは、5月1日は名古屋でライブで、その後もしばらく遠征が続くとのこと。みんなやたらと大きなスーツケースを持っていたのはそういうことだったんですね。

アイドルの皆さんは僕と同じく名古屋駅で降りていったのですが、席を立つときに「新幹線は疲れる」「グリーン車に乗ってみたい」というような会話が聞こえてきました。売れたいという野望なのか、ただの好奇心なのか。いずれにしても、僕らサラリーマンと違ってアイドルは連休中働きずくめなので、報われてほしいと思います。

1日の夕方から3日の午前までは実家で過ごしました。おたがいが元気であることを確認する時間です。

そして大阪に移動して、こんなところへ行ってきました。
道頓堀1
道頓堀。大阪といって大阪民以外の人が真っ先に思い浮かべる、ベタ中のベタな風景です。夜9時をすぎていたのですが、ものすごい人の数。特に外国人観光客の姿が目立ちました。
道頓堀2
個人的にはグリコより、その右にあるスーパー玉出の電光掲示板に惹かれました。
道頓堀3
カメラを持つ欧米人やアジア人。みんな記念撮影をしていました。
道頓堀4
観光客がグリコの看板をバックに写真を撮るために、機材で光を当てる業者の人の姿もありました。パリピな人たちが記念撮影をしていました。
こういう「ベタ」があることが、観光地にとってはものすごく重要なんでしょうね。

ラーメン屋
心斎橋あたりでは、ラーメン屋さんの様子をアジア人の観光客がこぞってスマホで撮るという謎の光景も見られました。ラーメンを作る人がざるを振って麺の水を切る姿が、外国人にはエスニックに映るのかもしれません。

それで僕がなぜ心斎橋へ行ったのかというと、ここの店へ行きたかったからです。
龍の巣
このお店にはこれまでにも何度か行っています。最初に行ったのは今から6年前でした。梅田のお店にも2回行ったことがあります。

ホルモンと油かす(2013年5月4日)

どて煮
どて煮。
ホルモン
ホルモン2人前とテッチャン1人前。ちょっと食べすぎた。ホルモン1人前でもけっこうなボリュームでした。1人前でよかった。
焼いたホルモン
焼くとこうなります。油が多いので勢いよく炎が上がります。
かすうどん
かすうどん。「油かす」が入ったうどんです。今回は「卵とじかすうどん」という少しぜいたくなメニューにしました。
油かすという食材については、先日更新した日記の「京都駅らへんの地域」の歴史とも関連するディープな話があったりします。

そして今回も動物園前駅周辺のホテルに泊まります。
ホテル街
この界隈は安いホテルが密集していて、最近は欧米人の宿泊客をよく見かけます。どのホテルにも英語の案内があります。今年は去年にはなかった、欧米人を対象にした飲食店もできていました。
ただし安いホテルといっても2種類あって、おおざっぱに言うと1000円台前半の価格帯と、1000円台後半以上の価格帯に大別されます。あびこ筋(新今宮から天王寺へ行く東西の通り)に面している、住所でいうと西成区太子に位置するのが高い価格帯、そこから堺筋を少し南へ下ったところが安い価格帯となります。住所でいうと西成区萩之茶屋などです。あのあたりは釜ヶ崎と呼ばれる日雇い労働者が集まる地域で、飛田新地なんてところも近くにあったりします。

僕はいつも「高い価格帯」のホテルを選んでいます。一度だけ「安い価格帯」のホテルに泊まったことがあるのですが、ホテルの設備も周辺の環境も厳しかったので懲りました。高い価格帯でも通常なら2000円台前半で宿泊できるのに、近年はゴールデンウィークだけ値上げするようになったようで、軒並み3000円超えという強気な価格設定をしていました。

そんな中でようやく見つけた、「高い価格帯」の所在地にありながら、1泊税込み1500円という激安なホテルに今夜は泊まります。

部屋はこんな感じ。もちろんシャワーもトイレもありません。共同です。
ホテル1
廊下の暗さがいかにもな感じです。
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いちばんの問題は、アメニティがほとんどないこと。実はこれが「高い価格帯」と「安い価格帯」の大きな違いで、普通の「高い価格帯」のホテルにはタオルがついています。歯ブラシもあります。さすがに1500円ではそこまでは望めません。
ホテルには風呂はあるのですが、タオルはありません。仕方がないので、家から持ってきたフェイスタオルでどうにかしました。
スパワールド
すぐ近くにはスパワールドがあるので、ここへ行くという手もあるのですが。機会があったら行ってみたいと思います。

去年のゴールデンウィークの思い出4・京都駅から岩倉まで

2019年5月 2日(木) 10:48 | 日記

去年のゴールデンウィークの思い出1・春一番ライブと京都の風景
去年のゴールデンウィークの思い出2・京都大学の立て看板
去年のゴールデンウィークの思い出3・京大から京都駅らへんまで

京都の地理を知っている人なら分かるかと思いますが、この「京都駅から岩倉」というのは自転車とはいえなかなかヘビーな距離です。木野駅あたりまで行ったのですが、地図で測ると京都駅から直線距離でも9.6キロあるうえ、基本的に登り坂です。20歳そこそこの学生でもたいへんなのに、40過ぎたおっさんがやることではありません。
そんなハードな自転車の旅を、1年ぶりに振り返ってみたいと思います。

京都といえば鴨川

鴨川を自転車で走るのが好きでした。今も好きです。
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こちらは前回の記事で紹介した、京都駅の東側の鴨川です。上が奈良線の線路を南にのぞむ風景で、下が東海道本線と東海道新幹線の線路を塩小路橋あたりから撮影したものです。

鴨川といえばこれから紹介する三条大橋から四条大橋にかけての風景が有名で、昔から観光地としてきれいに整備されてきたのですが、1995年当時は川がきれいだったのは七条大橋あたりまでで、その南の塩小路橋やJRの線路の下にはたくさんのゴミが浮いていて、水もよどんでいました。同じ京都、同じ川なのに、まるっきり異なる光景。これもまた観光都市・京都のリアルでした。
その後、京都市は本腰を入れて川の清掃に乗り出して、1997年頃には上の写真のようなきれいな川になっていたと記憶しています。

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こちらがよく知られる鴨川の風景です。川に面した座敷、いわゆる納涼床が見えます。右側にあるのは「鴨川をどり」の会場ですね。
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同じ場所から角度を変えて撮影。奥の方に見えるのが三条大橋です。
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三条大橋から北は川に面した町家や店舗がなく、サイクリングにも最適な散歩道になっています。学生の頃も、気分転換のためによくここを自転車で走っていました。
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ここは確か丸太町通りの橋の下だと思うんですけど、いつのまにか整備されていました。こんな案内板いつできたんだろう。
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右岸(西側)になにやら若者が集っています。これもいつもの鴨川の風景です。
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こちらは有名な鴨川デルタ。向かって右(東側)が高野川で、左が加茂川。このふたつの川が合流して鴨川になる地点がここです。今出川通りの加茂大橋から撮影しました。前回の記事で紹介した「餃子の王将出町店」もこのすぐ近くにあります。
奥に見える森の向こうにあるのが、世界遺産にも登録されている下鴨神社です。

ここからは加茂川を北上します。
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この写真は確か、北大路通りの北大路橋から加茂川を北向きに撮影したものです。両岸とも木しか見えないのが美しいですね。

宝ヶ池公園への道を間違える

北山大橋から道路に戻って、地下鉄の北山駅のところを北上します。
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深泥池。貴重な動植物の生息地です。心霊スポットでもあるそうです。確かに夜ひとりでこのへんを自転車で走るとちょっと不気味かもしれない。

僕の記憶だと、ここからさらに北上したところに宝ヶ池公園があった気がしたのですが、記憶違いでした。北山から深泥池への道と、宝ヶ池公園への道は別でした。それに気づかず北上を続けたところ、学生の頃にも来たことのないところまで来てしまいました。
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叡山電鉄の木野駅です。電車には2年前に京都を訪れたときに乗ったので、駅は通過しているのですが。
そのときのことを書いた日記がこちらです。

不運の鈴(2017年8月13日)

夕暮れが迫っていたので道に迷うわけにはいかず、地図アプリで現在地を調べて、あらためて目的地に向かいました。
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宝ヶ池公園。ここのボートには乗ったことがあります。

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この自転車も、ここまでハードに走らされるとは思っていなかったはず。1日で30キロ近く走ったと思います。
このあと自転車は、出町柳のお店に無事に返却しました。

三条へ行かなくちゃ

帰りの新幹線まで時間があったので、最後は徒歩で京都の街をめぐります。
立ち寄ったのはこちら。
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あの高田渡さんも「三条へ行かなくちゃ、三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね」と歌った、有名な「イノダコーヒ」の本店です。
時間があればひさしぶりに中に入ってゆっくり食事をしたかったのですが、閉店時間が迫っていたので、コーヒー豆だけ買うことにしました。
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「アラビアの真珠」という豆。そこそこ値が張るのですが、香りの良さはガチです。

以上が1年前の思い出です。今年の連休も大阪と京都へ行きます。天気も良さそうですし、今からとても楽しみです。

去年のゴールデンウィークの思い出3・京大から京都駅らへんまで

2019年5月 2日(木) 09:50 | 日記

去年のゴールデンウィークの思い出1・春一番ライブと京都の風景
去年のゴールデンウィークの思い出2・京都大学の立て看板

2018年5月5日。朝に出町柳で自転車を借りて、一乗寺や北白川をめぐったあとで京都大学の立て看板を眺めました。ここからいったん京都御所方面に向かったあと、再び東に戻って平安神宮を経て、東大路通りを南下していきます。

学生時代の生活圏と観光地

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まずは「餃子の王将出町店」。ご存知のように王将はチェーン店でありながら、店舗によって餃子以外のメニューが大きく異なるのが特徴です。中でもこの出町店は、定食の量が多いことで知られています。
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この写真では伝わりにくいですけど、餃子2枚に山盛りのご飯、それに唐揚げ。値段は忘れましたが、量のわりにはかなり安かったはず。
ここは大学からもそんなに遠くないですが、現役の頃に行ったのは一度だけ。そのあと確か2001年の秋に京都へ旅行に行ったときにも行ったので、このときが3回めになります。
料理にはとても満足したのですが、店主が学生アルバイトを怒鳴るような態度を取っていたのは気になりました。

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京都御所。とにかく広い公園です。学生時代のサイクリングコースでした。ひとりで考えごとをすることが多くて、自転車に乗って外の風に当たるのが好きでした。90年代の京都は今ほど観光客も多くなかったので。ただここは砂利道なので、スムーズに走れないのがたいへんでしたが。

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平安神宮周辺は観光客がいっぱいでした。近隣の店舗には行列。甘味処的なお店だったと思います。たたずまいがいかにも京都って感じがします。

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東山三条の「マルシン飯店」にも行列。
ここにはふたつの思い出があって、ひとつは学生の頃に東大路通りを自転車で走っていたときに、タクシーの横を抜けようとしたらそのタクシーのドアが突然開いて、ドアが指にぶつかって転んでけがをしたことがあったんですけど、そのときに警察を呼んだりしてくれたのがここのマルシン飯店の店員さんだったこと。もうひとつは、大学を卒業して名古屋でフリーライター的な仕事をしていたときに、某雑誌のグルメコーナーのために、なぜかこのお店に電話取材をしたこと。
学生の頃はわりとこの近くに住んでいて、これだけ縁があるのに、なぜか今まで一度もお店に入ったことがありません。近々京都へ行くので、行けたら行ってみたいと思います。

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東大路通りにある「かに家」というかに料理専門店。ここで1年ほど、厨房で「かに寿司」を作るアルバイトをしていました。節分の日は巻き寿司を一日中巻きまくったことを覚えています。当時、恵方巻きは関西地方のみの風習で、愛知県出身の僕はそんな習慣があることを大学1年の2月に初めて知りました。

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学生の頃にたびたび訪れていたのが、東福寺というお寺です。先ほどの「かに家」から東大路通りを南下して、2.5キロほど行ったところにあります。上の写真は、寺へ行く手前にある木製の橋です。
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この橋から見える風景がこちら。写真の奥に見えるのも木の橋で、こちらは東福寺が管轄する有料エリアとなっています。上の写真の橋よりさらに風情があります。
10年以上前に京都を訪れたとき、僕が撮ったその橋の写真がとてもきれいだったので、それ以来ずっと携帯電話の待ち受け画面にしています。そんな「映える」スポットなので、最近は写真を撮りたい観光客が滞留するのが問題になっているようです。

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東福寺の境内の風景。学生の頃、たまに夜中ひとりで境内へ行って鐘の近くに座り、ぼーっと考えごとをするのが好きでした。別に病んでいたわけではないのですが、若さゆえ割り切ったりあきらめたりすることができないために、いろいろと悩んでいました。

古都のもうひとつの顔

初めて京都駅で降りたのは、今から24年前の1995年。京都大学の受験のときでした。
京都といえば世界的な観光都市であるとともに日本有数の大都市でもあり、ターミナル駅の周りも当然発展しているのだろうと、世間を知らない18歳になりたての僕は思っていたので、駅に向かって速度をゆるめる新幹線の窓から見える風景はなかなか衝撃的でした。
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京都駅の北東、塩小路通り沿いのこんな風景は、24年前に見たのとほとんど同じでした。
なぜ「皮」なのかと不思議に思ったものですが、その理由が分かるまでに時間はかかりませんでした。

詳細は書きませんが、この地域にある大規模な集合住宅では人口が急激に減っていて、地域にあった小学校も閉校になりました。確か去年は、その小学校の校舎で展示会のようなイベントが開かれていました。
この小学校を含む京都駅の東側一帯には京都市立芸術大学が西京区から移転することが決まっていて、2023年までの移転を目指しています。京都市としても大学を核とした地域の再開発を考えていて、京都駅の徒歩圏内という恵まれた立地を観光やビジネスにも活用しようともくろんでいるようです。
このへんの事情に詳しくない方は「柳原銀行」で検索してみると、いろいろな情報が見つかると思います。

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こちらはその柳原銀行ゆかりの「柳原銀行記念資料館」という施設の近くで見かけた、地域の歴史がつづられた看板です。

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閉鎖された土地。さびたフェンスと手入れされていない建物。文字が書かれた看板がありますが、土地の所有権でもめているのでしょうか。この廃墟のような光景も、京都駅まで歩いて10分もかからない場所にありました。

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地域内にある市営の公衆浴場です。詳細は書きませんが、こうした公衆浴場があるのもこの地域や、ここと同じような事情を抱えた地域の特徴です。
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浴場の横には高級車が止まっています。詳しい事情は分かりませんが、「あの地域の住民は必要以上に優遇されている」というイメージも、地域と地域外の間で断絶を生む要因となったようです。

この地域の風景が90年代とそれほど大きく変わっていないことも、京都という街の現実です。ここに大学が移転して、商業施設ができたりすると様変わりするんでしょうかね。

ここからは北に向かって自転車を走らせます。

去年のゴールデンウィークの思い出4・京都駅から岩倉まで