今日はうれしい誕生日

2019年2月20日(水) 22:16 | 日記

今年も誕生日を迎えることができました。
1年前とほとんど境遇が変わることなく、1年前と同じ部屋で、1年前と同じようにひとりで誕生日の夜を過ごしています。
この1年、大きな病気や大きなけがどころか、小さな病気も小さなけがもなく、事故もなければ事件に巻き込まれることもなく、恐ろしいくらいに平穏な日々を過ごしてきました。この1年でいちばんつらかったことは、去年の5月に自宅のパソコンのWindowsが起動しなくなったこと。今もそのときの不具合が残っていて、「October 2018 Update」を適用できずにいます。悩みらしい悩みはそのくらいです。人としてもっと悩まなきゃまずいことはたくさんありそうな気がしますが。

毎年同じようなことを言っているような気がしますが、自分は本当に恵まれているし、運がよかったし、なにより周りのみなさんが僕のような人間を見捨てず生かしてくれたおかげです。ありがとうございます。

ケーキ1
先日の日曜日には、六本木でケーキを食べる機会がありました。

ケーキ2
こちらは今日食べたケーキ。お店が開いている時間に間に合ってよかったです。

1年前との違いは、アイドルのライブやイベントへ行く機会が減ったこと。何か新しい趣味を見つけなければと思いつつ、なかなか重い腰を上げられないでいます。
ダイエットも年明け以降ややさぼり気味で、去年の秋頃より2キロほど重くなってしまっています。春に向けてもう一度体を絞りたいと思います。

来年の誕生日も無事に迎えられればいいのですが、遠くない未来に訪れるであろう不景気に耐えられるかどうか、正直あまり自信がありません。それまでに何か生き延びるための手段を見つけたいところです。

里帰りと「ボートレースチケットショップ高浜」のこと

2019年1月 6日(日) 15:30 | 日記

今年は1月2日と3日に「ニューイヤープレミアムパーティー」というアイドルのライブに出かけていたのと、翌4日は会社で仕事があったため、年末年始恒例の里帰りは4日の夜から6日までの2泊3日でした。
きのうの夜は弟夫婦とその子供たちも愛知県高浜市の実家に来ていました。今日の夕方に実家を出て、夜に東京の自宅へ帰ります。

最近のホットなトピックといえば、実家の近所に「ボートレースチケットショップ高浜」がオープンしたことです。南中学校の西側の道を碧南方面に行くと、右手側にあります。
ボートレースチケットショップ高浜

去年の8月の時点で建物は完成していて、オープンしたのは10月1日。愛知県には競艇場が常滑と蒲郡の2か所にありますが、その2場の全レースの舟券のほか、他場のレースも買えるそうです。

ボートレースチケットショップ高浜についての詳細は、下記のサイトに載っていました。

ボートレースチケットショップ高浜(愛知県高浜市) 愛知県で4箇所目となる場外舟券発売場オープン! - SG競艇予想

県内では4か所めの場外ということですけど、名古屋2か所と中部国際空港の次が高浜市って、どういう判断でこうなったんだろう。豊橋や豊田や岡崎という中核市を差し置いて、愛知県民にすら存在を知られていない高浜を選ぶなんて。
上のサイトでは「車でのアクセスが便利」と書いてあるけど別にそんなこともなく、高速道路や自動車専用道路からかなり離れているうえ、国道23号からも少し離れていて、現地は片側1車線の県道からさらに入ったところです。車での来場者を見込むなら高浜市の外れではなく、刈谷ハイウェイオアシスの周辺や豊田南インターの近くにでも作ればよさそうなものなのに、なぜ高浜にしたんだろう。常滑競艇がそこそこ近いから(親もたまに遊びに行きます)、高浜や碧南あたりは意外と競艇に親しんでいる人が多い地域なのかも。

それでも高浜市は人口4.5万程度の田舎であり、隣の碧南市と合わせても11.5万人。ほかに刈谷安城半田東浦あたりが商圏になっているとはいえ、こんなところに場外舟券売り場なんて作ってお客さんが来るのかと思ったら、きのうは大盛況だったようで、臨時駐車場も満車でした。でも今は正月休みの何もやることがない時期であって、普段の平日はどうなんでしょうね。近所の事業所で働いている人が休憩時間にちょっと立ち寄って1レースだけ買う、みたいな使い方もありそうですが。

実家の周りにはここ何年かでコンビニが2件もできたり、家も増えてきたりと、このご時世なのにポジティブな方向で変化を遂げています。実家の地価が上がったときに、相続にどんな影響があるのかは注視したいところですが。

調布の深大寺へ初詣見物に行きました

2019年1月 1日(火) 23:56 | 日記

「初詣」ではなく「初詣見物」です。仏も神も信じていないので、もとより参拝するつもりはありません。
東京に引っ越してずいぶん経ちますが、そういえばプライベートで正月に正月らしいことを一度もしたことがないと思い、今年はせっかく実家ではなく自宅にいるので、初めて近所の初詣スポットへ出かけることにしました。

目的地は調布市内にある深大寺(じんだいじ)。自宅からそれほど離れていないので、自転車で行くことにしました。真冬なのでかなり厚着をしたのですが、今日の昼は気温がそれほど下がらず、自転車をこいだら汗をかくくらいでした。
自転車が止められるか心配でしたが、現地にはそこそこ広い駐輪場がありました。

今日は絶対に混んでるんだろうなと思って事前に調べたところ、中に入るための長い行列ができているとのこと。実際に行ってみたら、なかなかの混みっぷりでした。本堂に向かう行列は、写真ではちょっと分かりにくいですけど、午後3時台でこんな感じでした。奥が本堂への入り口です。
行列1
ちょっと引いたところからの写真がこれ。左側にパトカーの姿も見えます。警察官の姿も見えました。ここから本堂までは80メートルくらい。
行列2
こんな感じで入場規制をかけていました。本堂が空いたら、列の前の方から順番に中に入り、いっぱいになったらまた規制するというシステムです。
入場規制
行列は境内におさまらず、道路まで伸びていました。最後尾はここ。「矢田部茶屋」の駐車場あたり。行列の総延長は150メートルほどに達していました。
行列3
僕の前を歩いていた人が「ここ2、3年でいちばん並んでる」と話していました。今年は例年以上の大盛況だったんですかね。
これからの世の中は、こういう「人をリアルに集められる物理的なコンテンツ」を持つプレイヤーが強くなるのかなとか思いました。もっと言えば「スマホで代替できないコンテンツ」。いわゆるパワースポットのブームはそういう位置づけだと思うけれど、あらゆるものが電子データで置き換えられる世の中で、パワースポットのようなフィジカルかつスピリチュアルなものの需要は相対的に高まっていくのかもしれないと、この行列を眺めながら考えていました。

せっかく深大寺に来たんだから本堂も見たかったけれど、さすがにこの行列に延々と並ぶのもつらいので、今回はメインステージをあきらめてサブステージと物販のみを楽しむことにしました。

本堂以外の風景はこんな感じです。
深大寺1
深大寺2
深大寺3

こちらは物販エリア。境内には本当にたくさんのお店がありました。この地域の名物である「深大寺そば」や、そばにちなんだ和菓子が売られていて、焼いた団子やおでんには行列ができていました。
下の写真のショップでは店内でそばも食べられます。日章旗のところの帯には「奉祝 天皇陛下御即位三十年」と書かれていました。古くから皇室と交流がある寺社です。
売店
せっかくなので「そばまんじゅう」を買ってみました。そば粉が入った皮がなかなかいいお味。ダイエット中なので今日の夕食はこれでおしまいです。
そばまんじゅう

こちらは深大寺の境内から少し離れたところにある、深大寺そばのお店「湧水」。元日から営業しているんですね。午後3時台なのにこんなに並んでいました。機会があったら、オフシーズンのすいてるときにでも行ってみたいと思います。
湧水

以上の写真は、12月に買ったばかりのスマートフォン「Xperia XZ Premium」で撮影しました。これまで使っていたスマホと比べると、カメラの撮りやすさも写真の画質も段違いです。さすがに高いお金を出して買っただけあります。

2018年を振り返る

2018年12月31日(月) 18:57 | 日記

職業も住居も去年と同じ。2006年から同じだから13年間ずっと同じ。今年もとりたてて大きな変化のない1年でしたが、ひとつだけ変わったことがありました。
体重を減らしたことです。
本格的にダイエットをしたのは生まれて初めてのことでした。今年2月から始めて、10キロほど減らしました。
やり方は単純で、「基本的に夕食は食べない」というもの。運動は特にせず、食事制限のみ。

体重が減ったのはとても大きな変化で、まず見た目が変わりました。特に、横から見たときのシルエットがようやく人間の範囲内におさまるレベルになりました。
それから、慢性的な体の不調が治りました。たとえば、去年の5月頃の忙しい時期に舌の裏にいきなり突起物ができて、痛くはないけれど取り除くことができず、ずっと異物感を抱えたまま生活していたのですが、ダイエットを始めて2週間くらいで突起物は消えました。もうひとつ、太ももの肌荒れに悩まされていましたが、こちらもほぼ消えました。今思えば、当時はカロリーオーバーの生活でよほど栄養が偏っていたんでしょうね。もしあのままの生活を続けていたら、何らかの病気にかかっていたかもしれません。
もうひとつメリットをあげるとしたら、「ズボンの股のところがすり切れて穴が空く」という現象が起きなくなったことです。知らない間にデニムの股に穴が空いて、太ももの内側が擦れて痛い思いをするという、あのつらい状況がなくなるのはありがたいこと。スーツを買い替える回数も減るので、経済的にも大きな効果がありました。

ただ秋以降は体重がまったく落ちず、10月7日に記録した直近の最低体重を上回る状態が続いています。寒くなって汗をかかなくなり、運動する機会も減ったことと、11月以降は忙しくなって食事制限をゆるくしたことが要因だと思われます。今後は食事を少し制限するくらいでは体重を減らすのは難しそうです。食事制限をさらに厳しくするか、もしくは運動するか、いずれかの方法を取る必要がありそうです。食べ物を減らすのはつらいから、運動する習慣をつけるのがいいんでしょうね。
とにかく、太っているころの生活には二度と戻りたくないので、「基本的に夕食は食べない」という習慣は今後も続けるつもりです。

2018年の変化としてもうひとつだけ挙げるとしたら、アイドルに対する興味が少し薄れてしまったことです。
今年はとにかくアイドルグループの解散が多い年でした。
個人的に大好きだったアイドルも今年9月に、長年にわたる活動を終えることとなりました。

アイドルの解散に立ち会った報告(2018年9月30日)

振り返ると、若い頃にはまっていた「競馬」という趣味もだいたい10年くらいで落ち着きました。アイドルを本格的に見始めたのも今から10年前なので、アイドルの解散が続いたことは自分にとってあまり関係なく、もともとそういう周期なのかもしれません。
もう人生も半分を過ぎたし、今みたいに体が満足に動くのもあと10年くらいでしょうから、もうのんびりしていられません。2019年は新しい趣味を見つけて、年末に「今年もとりたてて大きな変化のない1年でした」などと言わなくてもすむような生き方を探りたいと思います。

新しいスマートフォンと過去の携帯電話の変遷

2018年12月16日(日) 02:01 | 日記

4年ぶりの新機種

Xperia箱
今日、新しいスマートフォンが届きました。
ソニーの「Xperia XZ Premium」という機種です。
J-PHONEの頃から長年使い続けてきたソフトバンクモバイルをやめて、nuroモバイルに乗り換えました。ソフトバンクは少し前に電話もネットもつながらなくなる事故がありましたけど、それとは関係なく、前から解約を予定していた時期がたまたま先日の事故と重なっただけです。

シャープの「304SH」は、さすがに4年も使っていると電池の減りが早くなってきたのと、動画のサイトを見たりアプリを使ったりするとメモリーが足らなくなることが増えてきたので、次の更新期間で買い替えようと思っていました。月額料金を下げるために、次はSIMフリーにしようと思って調べてみたところ、自分のほしいスペックに合うものがnuroモバイルのXperia XZ Premiumしかなかったので、機種そのものが1年半落ちという点は目をつぶって、これを選ぶことにしました。

Xperia本体
さっそくヨドバシカメラで画面にガラスフィルムを貼ってもらいました。これまで扱ってきた携帯電話の中でいちばん大きな画面にフィルムをうまく貼り付ける自信がなく、失敗すると取り返しがつかないので、今回初めてお店に任せました。貼り付けの料金は650円でした。
まだ使ってないんですけど、5.5インチの画面の大きさにちょっと驚いています。304SHも初めて使ったときは片手で文字を入力するのがたいへんでしたが、さらにひと回り大きい新機種は慣れるまで時間がかかりそうです。それと304SHに比べて筐体が滑りやすいので、片手で使っているときは今まで以上に落とさないように気をつけないとまずそうです。でもカバーは重くなるので使わない主義です。

月曜にソフトバンクの解約の手続きをしたのですが、ウェブで手続きを進めようとすると自社のサービスの案内がしつこいくらい出てきて、なかなか最後までたどり着けないような仕組みになっていました。途中で離脱させるように仕向けてるんですね。ウェブだけでなく電話での確認も必要だったんですけど、そこでも解約の理由とか移転先とかいろいろ聞かれたりして、めんどくさい思いをしました。

19年間で使った携帯電話たちの思い出

ここで、僕が今まで使った携帯電話の変遷を振り返ってみます。
今回のXperia XZ Premiumが通算9台めで、過去の8台はこんな感じでした。

(1) J-D01(三菱)1999年春~2001年夏頃

記念すべき初携帯電話は、J-PHONEの「J-D01」という機種でした。
手元に現物がなく、ネットにも使えそうな写真がなかったので、ここでは写真は載せられませんが、ボタンのところはふたが閉まるようになっていて、ふたを閉じた状態でも2つのボタンでメールの確認ができるような造りになっていました。
J-PHONEの代名詞といえば「写メール」ですが、この機種にはまだカメラはありません。ディスプレイはモノクロ。インターネットを見る機能もありません。「着うた」も始まってなくて、着メロは和音すらありませんでした。その代わり、単音という縛りはありながらも着信音を編集できる機能はあったので、自分で音階を打ち込んで、高田渡さんの「自衛隊に入ろう」のサビを着メロにしていました。

僕はポケベル世代なので、文字を打つのはいつも「ベル打ち」でした。知らない人のために説明すると、たとえば「おはよう」と入力する場合、通常は「111116888111」と打ち込むところ、ベル打ちでは「15618513」となります。ベル打ちをしていた人は1999年当時でもたぶん少数派だと思うのですが、僕は完全にベル打ちに慣れてしまっていたので、スマートフォンに切り替える2012年までベル打ちを貫きました。

J-D01はかなり使い勝手がよかったのですが、残念なことに、2001年夏ごろにどこかで紛失してしまいました。

(2) 不明(松下電器のJ-P02か三菱のJ-D04)2001年夏頃~2003年秋

前の携帯電話をなくしたので、急きょ入手したのがこれ。実家で探せばたぶんどこかにあると思いますが、あまり思い入れのない機種だったためか、明確な記憶がありません。
おまけに当時は会社でも携帯電話を持たされて、それがわりと似たような機種だったので、よけいに記憶があいまいになっています。

先のJ-D01と違ってボタンを覆うふたはなく、折りたたみ式でもないので、ディスプレイもボタンもむき出しの状態。ディスプレイはモノクロではなかったと記憶していますが、フルカラーでもなく、昔の雑誌でよくあった2色刷りみたいな色だった気がします(このへんも会社用の携帯と記憶がごっちゃになっているかもしれません)。カメラがなかったのは確実です。インターネットはかろうじて使えましたが、機種が古いために表示できないホームページがほとんどでした。
2003年夏にゲーセンの「クイズマジックアカデミー」というゲームをやり始めて、そのプレイヤーデータを確認できるホームページがこの機種では見られなかったので、インターネットが使える機種に変更することにしました。

(3) J-SH53(シャープ)2003年秋~2005年夏

買ったのは2003年10月頃だったと思います。当時の最新鋭機種。J-PHONEを買収したばかりのボーダフォンのフラッグシップモデルとして、かなり気合いの入ったキャンペーンを行っていた記憶があります。
2002年頃から携帯電話は折りたたみ型が主流になり、J-SH53もこのタイプ。もちろんカメラもインターネットもばりばりに使えます。

当時の紹介記事があったので掲載します。

ケータイ新製品SHOW CASE J-フォン J-SH53(ケータイWatch)

この頃が「クイズマジックアカデミー」にいちばんはまっていた時期で、この携帯とともに各地のゲーセンを巡ったものです。当時撮った写真もいくつか残っていますが、サイズが240×320pxなのが時代を感じさせます。この「フォーキー☆カーニバル」の前身となる日記サイトを2004年5月から始めたのですが、当時はディスプレイの性能や、電波が3Gのさらに前の2G回線だったことを考えると、携帯電話でサイトを見るには写真のサイズはこれくらい小さくないと不親切だったんですよね。

(4) V603SH(シャープ)2005年夏~2008年2月

V603SH
ここからは手元に現物があります。
J-SH53はとても使い勝手がよくて気に入っていたのですが、2005年の夏のある日、何の前触れもなくいきなり故障してしまいました。
そこであわてて入手したのがこちら。この分厚さが2005年のクオリティです。

V603SH2
今思うととてもユニークな機種でした。カメラのレンズは光学2倍ズーム。テレビはワンセグではなくアナログを受信できます(当時の地上波テレビはアナログからデジタルへの過渡期でした)。ディスプレイ部分は回転できるので、携帯電話を閉じて横に置いた状態でテレビを見ることもできました。
ただこの機種は2005年夏時点にはすでに実用化されていた3G回線には対応しておらず、2Gだったので、回線速度の遅さが致命的でした。

ケータイ新製品SHOW CASE V603SH(ケータイWatch)

(5) 822SH(シャープ)2008年2月~2010年3月

822SH
ここからは過去の日記にも記録があります。

携帯電話を買い替えてみた(2008年2月17日)

2006年にボーダフォンはソフトバンクに買収されて、この機種以降はソフトバンクモバイルです。
ようやく3Gに対応して、ワンセグも使えるようになりました。上の日記に書いてあるのですが、前の機種では見られなかったホームページがあったんですね。当時のウェブ担当者は新しい携帯電話が出るごとに動作をチェックしたり必要に応じて修正したりする必要があったので、めちゃめちゃたいへんだったと思います。
前の機種からパワーダウンしたのはカメラ機能のみ。そのほかはまあまあ快適に使えました。

_822SH2
画面は横方向に回転するので、テレビを見るのには便利です。

(6) 943SH(シャープ)2010年3月~2012年10月

943SH
943SH2

機種変エクスタシィ(2010年3月15日)

いわゆるガラケーはこの機種が最後となりました。画面の解像度が上がり、Wi-Fiにも対応するなど、かなり現代的です。
しかし2012年頃になると世の中の趨勢がスマートフォンになり、ウェブサービスもだんだんとスマホに移り始めたので、ガラケーを使い続けるのは難しくなりました。

(7) ARROWS A 101F(富士通)2012年10月~2014年10月

101F

ついにスマートフォンにしました(2012年10月17日)

初スマホはこの機種。世間的にはあまり評判のよろしくなかった富士通のスマホです。
ここまで9年間シャープの機種を使っていたのですが、ちょうど会社に不祥事があったタイミングで、シャープだけは使いたくないということで選んだ結果が富士通でした。
個人的には決して悪いマシンではなかったと思うし、自分で電池を交換できるところはすごくいいと思うのですが、使っているとすぐ熱くなってしまうのはマイナスポイントでした。

101F2
この機種もJ-SH53と同じく突然電源が入らなくなり、買い換えを強いられることになりました。

(8) AQUOS Xx 304SH(シャープ)2014年10月~2018年12月

304SH

新しい携帯電話(2014年10月27日)

J-PHONE→ボーダフォン→ソフトバンクの機種としてはこれが最後。結果としていちばん長く使うことになったのがこの機種です。4年間もよく持ちこたえました。終わりの方は電池の減りが早くなったとはいえ、まだ実用に耐えるレベルでした。

どんどん大きくなっていく携帯電話

手元にある歴代の6台の携帯電話を並べてみたのがこちらです。
6台

右に行くほど新しい機種です。最新のXperiaの大きさが突出しています。
携帯電話は読んで字のごとく携帯する道具なので、手軽に持ち運べることが重要です。それなのに時代を追うごとにどんどん大きくなっていくのは、2005年当時の人が見たら時代に逆行しているように見えるかもしれません。
個人的には、右から3つめの101Fくらいの大きさの方が使いやすいんですけど、今のスマホの性能や電池の持ち時間のままでこのサイズにすることは難しいんですかね。

XperiaはまだSIMを有効にすらしていないので、これから設定したいと思います。

忘年会2018

2018年12月11日(火) 00:17 | 日記

アンコウ鍋
今年も無事に一年が終わろうとしています。
築地でアンコウ鍋。今ではほとんど年に一度しか会わない大学時代の友人たち。今年はいつも幹事をしてくれている人が来られなかったのですが、その代わりに、今日たまたま出張で東京に来ていた大阪在住の友人とひさしぶりに会うことができました。

40歳をとうに過ぎて、みんなそれぞれの会社でそれなりの地位についています。
僕が本当に恵まれていると思うのは、そうして名のある会社で年相応の役割を果たしている友人たちに対して、自分もそれなりに成長している姿というか、1年前とは違う新しい価値を想像できている自分を見せられている、というとおこがましいですが、引け目を感じずに宴の場にいられることです。
自分の力だけでここにいるわけではありません。本当にありがたいと思っています。

そもそも、大学に合格することは学力さえあれば叶いますが、大学に通うのは別問題です。親が学費や生活費を払ってくれたから、無事に卒業できました。
今の会社に就職できたのも、その後も同じ会社で働き続けていられるのも、「京都大学卒」という強烈な学歴と大学で学んだことのおかげだし、それで今日まで生きてこられて、そのうえ決して安くはない宴会のお金を払えるくらいには裕福になれたのだから、老い先が決して長くはない両親のために今の稼ぎを費やして、少しでも「報われた」と思ってもらえるようにしたいと思いました。

余談ですけど、最近話題になっている京都大学の立て看の文化は「必要だ」というのが、今日集まった5人の共通認識でした。そのうちひとりは早稲田大学のすぐ近くに住んでいて、早稲田の立て看も毎日目にしているけど、早稲田のはまじめすぎる、京大のような遊びが足りないと評していました。あくまで個人の感想です。

八事ゲートウェイ

2018年12月 9日(日) 19:39 | 日記

ゲートウェイのユーザーでした

JR山手線に新設される駅の名前が話題になっています。僕は山手線沿線の住民ではないので、駅名が何であろうが直接の影響はないのですが、駅名が決められる経緯や決めた人たちの意図を思うと、日本の政財界の嫌なところがいろいろと凝縮されているように見えて、不快なものを一方的に押しつけられた感じがしています。

ところで我々の世代にとって「ゲートウェイ」といえば、牛柄のロゴのパソコンですよね。持田香織さんがテレビCMに出ていたやつです。
CPUやメモリーやハードディスクなどのスペックを自分で選べる「BTO」のはしりのようなメーカーで、ユーザーの間では当時かなり高評価でした。大都市には「ゲートウェイカントリー」という実店舗がありましたが、店舗というよりはショールームのような位置づけで、メインは通信販売でした。

昔は僕もゲートウェイのパソコンを使っていました。この日記にもいくつか写真を載せました。今もケースは実家に残っているはず。

Gateway2000
パソコンを買うことにしました(2006年7月24日)

ゲートウェイのキーボード
さよならゲートウェイ(2016年1月31日)

このパソコンを買ったのは2000年8月ですから、今から18年以上も前のことです。
当時は名古屋に住んでいて、最寄り駅は地下鉄鶴舞線の八事と塩釜口でした。風俗情報誌の編集者として働き始めた直後で、入社したてなので一括で払えるお金がなく、3回の分割で支払いました。

当時の注文確認メールが残っていたので、長いですが全文転載します(個人情報に関わるところを一部修正しています)。

       ***************************************
       GATEWAY オンラインショップ ご注文確認書
       ***************************************

拝啓
本日はご注文のご依頼をいただき誠にありがとうございました。


ご注文内容の確認後、日本信販株式会社よりご指定の時間にご連絡差し上げて
おりますが、混み合っている場合、オーダ当日にご連絡できない場合もござい
ます。予めご了承ください。

ご契約内容につきまして、事前照会手続き後に日本信販株式会社よりご指定さ
れた日時(土日祝祭日を除く)ご連絡を差し上げます。混み合っている場合は
ご指定日にご連絡できない場合もございます。予めご了承ください。

承認がおり次第、契約書を送付いたしますので、必要事項をご記入・ご捺印の
うえ返送して頂きます。万が一承認がおりない場合は、書類送付の前に、営業
担当よりご連絡致します。お客様と日本信販株式会社との契約締結を以って正
式受注手続きの完了とさせて頂きますので、多少の日数がかかります。又、契
約書による正式契約締結前に諸般の事情により、商品の構成及び価格変更が発
生し、ご注文いただきました構成及び価格で承ることが出来ない場合もござい
ます。事前にご案内させて頂きます。重ねてご了承下さい。

※ 現在納期は正式手続き完了後、2~3週間前後となっており、サーバーに関
  しましては5週間前後となっております。多少前後する場合がございます。
  予めご了承下さい。

構成内容等の変更の場合は再度インターネットにてお申し込み頂き、最終
ページのオーダー変更・キャンセルボタンを利用して受付番号(XXoooooooo)
を入力して下さい。
誤ってオーダした場合も同様に、再度オーダー入力して下さい。
その際、通信欄に誤って入力された受付番号を記載されましても受付致しませ
んのでご注意下さい。

TimeMarketでご購入の方はWeb上に記載されておりますように、変更オーダー
を行うことはできません。

正式契約締結後に、"注文請書"がご請求先のお客様の元へ郵送されますので、
再度必ず注文内容をご確認下さい。記載されていますIDナンバーとオーダーナ
ンバーを保管して下さい。今後、お問い合わせの際に必要となります。


敬具
以下はご依頼頂いたシステムの詳細です。ご確認下さい。

受付日:2000年8月18日 1時 40分
受付番号:PL0000XXXX
基本モデル名:Performance

Performance
ゲートウェイ ネット オプション なし
Intel(R) Pentium(R) III プロセッサ 733MHz (256KBキャッシュ)
Intel 815E チップセット
128MB SDRAM (128MB x1)
15インチ EV500 カラーモニタ
Intel 815Eチップセット内蔵ビデオアクセラレータ (オンボード)
30GB Ultra ATA 100 HDD
増設用HDDなし
3.5インチ フロッピードライブ
20x min/48x max CD-ROM ドライブ
CD-RW
Sound Blaster Audio PCI 64D サウンドカード (no MIDI port)& Boston Acoustics BA735 スピーカ
56K PCI モデム
SMC 10/100 PCI TP ネットワークカード
LAN 周辺機器なし
ISDN TA なし
プリンタ なし
スキャナ なし
ミッドタワーケース
109 Key 日本語 キーボード
MSインテリマウス & Gatewayマウスパッド
Windows(R) 98 SECOND EDITION
アプリケーションなし
Norton AntiVirus (TM) OEM版
追加ソフトウェアなし(↓↓↓ 「一太郎 10」選択可能です ↓↓↓)
ゲートウェイCRTフィルター なし
デジタルカメラ なし
109Key日本語キーボードカバー
PC動産総合保険なし
Gateway インターネット・スタートアップサポートなし
基本ソフトレッスンなし
パソコンスクール6ヶ月 なし
モーモータイムセレクト便 (時間帯指定配送サービス)を希望しない
モーモーコレクト便 (代金着払いサービス [現金のみ])を希望しない
モーモーおまかせ便(組み立てサービス)を希望しない (地域限定)
トータルPCサポートプランを選択しない
サービスを希望しない
■ 商品合計金額 (消費税込み) : 168840円

<各種お問い合わせ>
●お問い合わせに関しましては、本メールへの「返信」の形でご連絡ください。
E-MAIL: websales@site.gw2k.co.jp (業務時間:平日 10:00~17:00)
●お急ぎの場合は、0120-54-2000までご連絡ください。
その際には、本メールの「受付番号」、注文請書の「カスタマーID番号」
「受注番号」が 必要となります。
●納期につきましては注文請書に記載されている専用ダイヤルまでご連絡ください。


以上


日本ゲートウェイ株式会社
〒240-8520 神奈川県横浜市保土ヶ谷区神戸町134
横浜ビジネスパーク Hi-Tech センター
http://www.gw2k.co.jp/

品質確認には万全を期しておりますが、万が一、製品にご満足いただけない場
合には、製品受領後10日以内に、お電話にて日本ゲートウェイまでご連絡
ください。また、製品の返却手続き(運送業者への引き渡し)を、製品受領後12
日以内に完了して下さい。当社にお客様からの返送製品が到着後、当社からの
配送費用を除く代金をお返しいたします。なお、返品送料はお客様のご負担と
なりますのでご了承ください。

このメールでは少し分かりにくいですが、基本スペックはこんな感じです。

(イ) OS - Windows(R) 98 SECOND EDITION
(ロ) CPU - Intel Pentium III 733MHz
(ハ) チップセット - Intel 815E チップセット
(ニ) グラフィック - (チップセット内蔵)
(ホ) メモリー - 128MB SDRAM (128MB x1)
(ヘ) HDD - 30GB Ultra ATA 100 HDD
(ト) フロッピー - 3.5インチ フロッピードライブ (x1)
(チ) 光学ドライブ1 - 20x min/48x max CD-ROM
(リ) 光学ドライブ2 - CD-RW
(ヌ) サウンド - Sound Blaster Audio PCI 64D サウンドカード (no MIDI port)
(ル) スピーカー - Boston Acoustics BA735 スピーカ
(ヲ) LAN - SMC 10/100 PCI TP ネットワークカード
(ワ) アナログモデム - 56K PCI モデム
(カ) モニター - 15インチ EV500 カラーモニタ(ブラウン管)
(ヨ) キーボード - 109 Key 日本語 キーボード
(タ) マウス - MSインテリマウス & Gatewayマウスパッド
(レ) ソフトウェア - なし

これの代金が16万8840円でした。確か送料込み。

その後、パソコン本体について以下のような増強を行いました(外付けの周辺機器は除く)。

(ソ) OSをWindows 98SEからWindows 2000にアップグレード
(ツ) メモリーを256MB追加して、384MBに増量
(ネ) USB2.0の端子を追加

2000年時点ではそこそこハイスペックだったのに

若い人には何のことだかよく分からない項目もあると思うので、スペックについて順番に解説していきたいと思います。

(イ) OS - Windows(R) 98 SECOND EDITION
一般人にとってのWindowsの元祖が1995年に発売された「Windows 95」で、ここからパソコンの歴史が始まったと言ってもいいくらいの革命的なOSでした。その次作にあたるのが1998年に発売されたWindows 98で、その翌年に出された改良版がWindows 98 Second Edition(98SE)です。
Windows 95も使ったことがありますが(使っていたのは1997年に買ったNECのVALUESTARというパソコン)、98SEは95ほどではないけれど不安定で、たまに落ちたり固まったりしたものでした。(ソ)で示したように、後年にWindows 2000を買ったのはそのためです。

(ロ) CPU - Intel Pentium III 733MHz
この頃からWindowsといえばインテルでした(他社のCPUもあったと思いますしもちろん今もありますが)。2000年当時ではPentium IIIの733MHzといえばそこそこハイスペックでした。せっかくローンを組んでまでパソコンを買うのだから、長く使おうと思って性能には妥協しませんでした(実際に2006年まで使いました)。
数字だけ比較すると、今自宅で使っているパソコンのCPUは2016年に買ったインテルのCore i7-6700Kで、周波数は4.0GHz。Pentium IIIは1コア、Core i7は4コアなので、16年で21倍くらいの性能になっている、という計算でいいんですかね。

(ハ) チップセット - Intel 815E チップセット
(ニ) グラフィック - (チップセット内蔵)

グラフィックボードは別売りのものを付けずに、オンボードとしました。そもそも当時はグラフィックボードの存在すら知らず、別売りのグラフィックボードを取り付けるオプションがあったかもしれないけれど、検討すらしませんでした。
別に、マザーボードにくっついているグラフィックの性能で何の不自由もなかったからいいのですが。ハイスペックなゲームをやる人やグラフィック関係のソフトを扱う人でなければ、オンボードでじゅうぶんだと思います。

(ホ) メモリー - 128MB SDRAM (128MB x1)
これはさすがに隔世の感です。現行OSのWindows10だと2GBでは遅すぎ、4GBでもちょっと足りないくらいですが、Windows98の時代はその20分の1、40分の1のメモリーで動かしていました。
もっと言うと、ゲートウェイのパソコンを買った2000年からさらに9年さかのぼった1991年、僕が中学3年生のときに初めて「PC-9801DX」というNEC製のパソコンを買ってもらえたのですが、このときのメインメモリーは640KBでした。128MBのなんと200分の1。当時は「限られた640MBというメモリーをどこにどう割り当てるか?」ということで、CONFIG.SYSというファイルをいじってそれこそ1KB単位での調整をやったりしたものです。一例を挙げると、「Ctrl+Alt+Deleteを同時に押すとシステムをリセットできる」という仕様を有効化させるためにも何KBかの確保が必要で、その何KBのせいでメモリー不足で動かないゲームがあるから、特定のゲームを起動させるときにはそういうよけいなプログラムを常駐させない設定にする、なんてことを往年のPC98ユーザーはみんなやっていました。
そのへんの昔話は、僕よりずっと詳しいおじさんたちがネットの片隅で語っていることと思います。

(ヘ) HDD - 30GB Ultra ATA 100 HDD
ハードディスクの容量が30GB。今となってはUSBメモリーやマイクロSDカード並みの容量ですが、当時はこれだけあれば困ることはありませんでした。

(ト) フロッピー - 3.5インチ フロッピードライブ (x1)
最近の人だと、フロッピーディスクやディスクドライブの実物を見たことがない人も多いんでしょうね。僕は5インチのフロッピーの現物も普通に見たことがあります。
2000年当時でもフロッピーはなくなりつつあったんですけど、Windowsの非常時の起動ディスクがフロッピーで提供されていたりする事情からなのか、当時も標準でドライブが付いているパソコンは多かったみたいです。
ちなみにCD-ROMが標準装備になる前の1990年代初頭には、パソコンにはフロッピードライブが2個付いているのが普通でした。慣例としてAドライブとBドライブがフロッピーディスクに割り当てられていたために、ハードディスクがAドライブではなくCドライブから始まるというのはよく知られた話です。

(チ) 光学ドライブ1 - 20x min/48x max CD-ROM
(リ) 光学ドライブ2 - CD-RW

なぜかCDドライブを2個付けていました。片方は読み込みのみ、もう片方はCD-RやCD-RWに書き込みができるドライブ。今思えば別に1個でよかった。
DVDは書き込みはおろか、読み込みすらできませんでした。

(ヌ) サウンド - Sound Blaster Audio PCI 64D サウンドカード (no MIDI port)
(ル) スピーカー - Boston Acoustics BA735 スピーカ

サウンドカードはこれが標準装備なのか、あえて選んだものなのかは覚えていません。
スピーカーはオプションで選びました。左右だけでなくセンタースピーカーもあるというちょっとぜいたくな構成。今はもうそのスピーカーは使っていません。

(ヲ) LAN - SMC 10/100 PCI TP ネットワークカード
(ワ) アナログモデム - 56K PCI モデム

LANは標準装備ですが、当時はモデムも標準装備でした。ソフトバンクがヤフーBBモデムを配るのはもう少しあとのことで、当時は電話回線でインターネットをやっている人も珍しくありませんでした。
僕はその頃フレッツISDNだったので、電話回線ではなくLANケーブルを使っていました。通信速度は、今の光回線と比べたらさすがにかわいそうなレベルでしたが。

(カ) モニター - 15インチ EV500 カラーモニタ(ブラウン管)
前のパソコンのモニターがブラウン管の17インチだったので、サイズも解像度も低い15インチのモニターは必要なかったのですが、前のパソコンも使い続ける必要があったので、モニターもいっしょに買いました。
2000年当時は液晶モニターがそこまで普及していなくて、当時務めていた会社でもモニターはみんなブラウン管でした。当時最新鋭だったiMacもブラウン管でしたし。2001~2002年頃が、ブラウン管から液晶に置き換えられる過渡期だったと思います。
当時のモニターの事情については、以下の記事が参考になります。

価格破壊の2001年液晶ディスプレイ市場──2002年は解像度に注目(2001年12月29日 ITmedia)

(ヨ) キーボード - 109 Key 日本語 キーボード
(タ) マウス - MSインテリマウス & Gatewayマウスパッド

ゲートウェイのロゴが入ったキーボードは2016年まで使い続けていました。今でも非常用のキーボードとして自宅に置いてあります。
マウスとマウスパッドはとっくの昔にどこかへ行ってしまいました。消耗品だから仕方ありません。

(レ) ソフトウェア - なし
Microsoft Excelとかあると便利なんですけど、自宅のパソコンを仕事に使うわけではないので特に買いませんでした。
国内メーカー製のパソコンだと、あまり必要のないソフトが最初からいろいろと入っていたりするのですが、ゲートウェイのようなBTOのパソコンは必要最小限のソフトしか入っていなくて、そこはとてもありがたいところです。

(ソ) OSをWindows 98SEからWindows 2000にアップグレード
当時Windowsは2系統あって、一般ユーザー向けの95→98のラインと、サーバー向けのNTのラインがありました。2000年、先にNT系の「Windows 2000」が出て、そのあとに98の後継の「Windows Me」が出たのですが、翌2001年には2系統のWindowsを統合した「Windows XP」が発売されました。
僕がWindows 2000を買ったのは確かXPが発売されたあとでしたが、「2000は動作が軽く安定している」という話を聞いていたので、あえて1世代前のOSを選びました。Meは検討材料にすらしませんでした。
実際に、98SEと比べると安定的で軽くて快適なOSでした。

(ツ) メモリーを256MB追加して、384MBに増量
OSを新しくするのに合わせてメモリーも増強しました。Windows 2000ではたった384MBのメモリーでも快適に動きます。今みたいに高い処理能力を要求するようなソフトもなければ、動画サイトでハイビジョン動画を普通に見るような時代でもなかったので。

(ネ) USB2.0の端子を追加
今どきのパソコンには標準でUSB3.0の端子がついています。転送速度がさらに速いUSB3.1という規格もあります。今となってはUSB2.0の転送速度では外付けハードディスクを動かすのがつらいレベルですが、2000年当時はさらに低速なUSB1.1という規格が標準でした。
外付けハードディスクを使うために、当時の基準ではじゅうぶんに高速なUSB2.0の端子を、本体の拡張スロットで追加しました。

日本から突然の撤退。サポートもよかったのに

僕がパソコンを買ってからわずか1年後、ゲートウェイは日本市場から突然撤退してしまいます。

ゲートウェイカントリーを訪れる人びと(2001年8月30日 ITmedia)

名古屋にもゲートウェイカントリーはありました。大津通沿いの、今の矢場とんがあるあたりです。ここも東京の店舗と同じく、いきなり店じまいしてしまいました。
直接の原因はアメリカでの経営不振ですが、日本でも2000年の時点であの光通信と手を組むなど、迷走は始まっていたようです。

ある社員が語る“ゲートウェイの最期”(2001年8月31日 ITmedia)

ゲートウェイはユーザーサポートで高い評価を得ていました。僕も買ったばかりのパソコンのOSがうまく立ち上がらないなどの不具合が発生したときに、深夜2時すぎにサポートに電話をかけたら親切に対応してくれて、すぐに不具合を修正したシステムCDを送ってくれたという経験があります。
その後も、「電源ボタンがめり込んで電源を入れるのが難しくなった」という物理的な不具合を除いて、パソコンはとても快適に動いてくれました。
本当にだめなメーカーだったら撤退しても仕方ないよねと思えたのですが、しっかりしたパソコンを作っていたので、こういう終わり方はとても残念でした。

ゲートウェイは会社として破綻したわけではなく、その後も存続してパソコンを作り続けて、2004年頃には再び日本市場に進出したのですが、2009年に台湾のエイサー社に買収されて、会社としての歴史は終わったということです。

「高輪ゲートウェイ」という駅名はいつまで存続できるんですかね。