「もう誹謗中傷をしない」と言えない心理と「本音至上主義」の考察

2021年5月31日(月) 22:00 | 日記

過去の行いを明確に否定しない態度

なんとも興味深いニュースがありました。

ネット中傷の啓発団体「この指とめよう」小竹代表、自らの暴言ツイートが問題視され謝罪(弁護士ドットコムニュース)

この「この指とめよう」というのは「SNSでの誹謗中傷を減らすことを目標とした一般社団法人」ということなので、その代表者が過去にしていたなかなかにひどい誹謗中傷について、何かしらのメッセージを発することは当然でしょう。
問題は、そのメッセージが適切だったかどうかですが、個人的には適切ではなかったと思います。

過去の行為に対して、本人は「自分の未熟さを後悔し、反省しております」とは語っています。
でも、それだけじゃ足りないんじゃないの?

自分の過去は消せません。反省は今からでもできるかもしれませんが、それより重要なのは「これからどうするのか?」です。
「SNSでの誹謗中傷を減らす」という活動をしているのであれば、今後は自分から誹謗中傷をしないことを誓うのが筋ですよね。
そして、過去の行いに対しては、「あのときの自分の行動と考え方は間違っていた」と、明確に否定すること。
このふたつが最低ラインであろうと思っています。

だけど、この小竹海広という人は、どちらもしていない。
今やるべきことは「猛省を深め」ることではなくて、「もう誹謗中傷をしないという表明と、そのための最大限の努力」だと思うけど、そこを本人は意識的に避けているように見えます。
そして、「反省」「猛省」という抽象的な言葉だけを並べて、「過去の自分を否定すること」も意識的に避けている。
「私は誹謗中傷をしない」「過去に誹謗中傷をした自分は間違っていた」とは言えない。言いたくない理由があるんでしょうね。

他人を傷つけても「本音」を優先したがる利己的な態度

ではなぜ小竹海広という人は、「私は誹謗中傷をしない」と言えないのか。

ここから先は、完全に想像ですが。

ある界隈の人たちの特徴に、「本音で生きることはいいことだ」という価値観があるように思います。
本音を隠すのは、自分にうそをつき、他人にうそをつくことだから良くない。人間は常に正直であるべきだ……。本音至上主義とでもいうのか、とにかく「思ったことを言わないでいること」に耐えられない。言いたいことはがまんせずに言うのが、人としてあるべき姿だと思っている。
だから、悪口であったり、差別であったり、他人の心を傷つけるような言葉でも、「人間は常に正直であるべきだから」という理由で、平気で発してしまう。

たぶん、この小竹海広という人も、「本音で生きたい人」なんだろうと想像します。
自分の思うままに、欲望にあらがうことなく、他人を傷つけるような発言もしてきた。そんな過去の発言が蒸し返されたときに、自分自身の過去を否定することを拒んだ。
彼が頑なに拒んでいるのは、「本音で生きたいという自身の価値観を否定すること」なのでしょう。なんとなくそんな気がします。

そして、未来に対する「誹謗中傷をしない」という誓いも、それが必ず「本音で生きる」という価値観と衝突してしまうと感じて、できなかった。
たとえ誹謗中傷によって誰かを傷つけてしまうとしても、「本音で生きたい」という自分の都合を優先しようとする。しかも、自分が誹謗中傷を受ける側になるのは許せない(だから「この指とめよう」を立ち上げた)。きわめて利己的で、身勝手で、傲慢な態度だと、僕には思えました。

「本音で生きないこと」が誹謗中傷や差別をなくす

誹謗中傷や差別、あるいはいわゆるポリコレのような問題は、「本音」というやつとは相性が悪いものです。

人間として長く生きていれば、「嫌な奴」のひとりやふたりいても当然だし、ある属性の人たちに対して差別的な感情を持つこともあるでしょう。
だけど、その「嫌な奴」に対してSNSなどで不当な攻撃を行えば「誹謗中傷」とみなされるし、差別的な感情を公の場で表明した時点で、それは差別行為です。
そして、どちらも本人にとっては「本音で生きた」結果です。本音を隠すのは嘘をつくことだから良くないと考えて、正直な感情を表明した結果です。

「本音」を大切にする社会では、誹謗中傷や差別が発生しやすくなります。
逆に言えば、誹謗中傷や差別を減らすためには、「本音を隠す」ことが求められます。
「本音で生きたい」という自分勝手な都合のために、関係ない人を傷つけていいはずがありません。

誰かを不当に叩きたい、差別したいといった「本音」があるなら、それを表明せずに隠し続ける、つまり「本音で生きない」ことが、「この指とめよう」という団体が求める「SNSでの誹謗中傷を減らす」ことにつながります。
場合によっては本音を隠すこと、本音で生きないように努めることが、良い社会につながります。

本音で生きないことは、自分を偽ることかもしれませんが、それは決して他人を偽ることではありません。「差別をしたい自分」が本心であっても、他人に見せる顔は「差別をしない自分」であるべきだし、それで誰も困ることはありません。自分がちょっと言いたいことをがまんして抑えて、それで誰も差別されず、傷つく人がいなくなるのなら、それは全面的に良いことです。

「いつでも本音で生きたい」というひとりよがりの欲求を捨てて、他者に危害を与えうるような本音があるならそれを偽って生きることを、すべての差別主義者たちに求めたいと思っています。

「本音」をありがたがるのは、もうやめましょう。

「さびしい」という感覚の欠落

2021年5月30日(日) 21:16 | 日記

足の指を柱にぶつけたり、カッターナイフで間違えて指を切ったりしたときに「痛い」と感じるのは、肉体への衝撃は場合によっては生命の危機に直結するから、それを避けるために備わっている人間の本能です。
同様に、孤独なときに「さびしい」と感じるのも、人間は集団で生きる社会的な存在であり、孤独は場合によっては生命の危機に直結するから、それを避けるために備わっている人間の本能なのかもしれません。もっと言うと、「さびしい」という感情は「種の保存」を実現するための本能でもあるのかもしれません。

その「さびしい」という感情が、いつからかずいぶん鈍ってしまいました。
どうしようもないさびしさを感じた最後の記憶が19歳くらいの頃で、大学生になってひとり暮らしを始めて1年ほど経ったあたりです。週4で時間も長めのアルバイトを入れるなど、環境を変えてさびしさを紛らわせた記憶があります。

2005年の終わりに東京へ引っ越して、学生以来のひとり暮らしを始めて、それからずいぶん経ちましたが、「さびしい」と感じたことはほとんどありません。
いわゆる浮いた話など一切なく、仕事中以外はほぼひとりで過ごしてきたのですが、それでもこの生活が嫌になったりはしませんでした。
たぶんほかの人なら、出会い系のアプリでいい相手を見つけようとしたりして、実際にそれで相手を見つけた人も周りにいたりするのですが、それはきっと「さびしい」というネガティブな感情と、そのネガティブな感情から逃れようとする行動が、結果として自分の幸せにつながったりするわけです(もちろん、うまくいかずに何度もくっついたり離れたりを繰り返す人もいますが)。

「さびしい」という感情や、さびしさを嫌って何かを始めようとする行動力も人間のひとつの才能というか、持って生まれた重要な資質なのかもしれなくて、なぜか自分にはそれが欠落している、もしくはどこかの段階でなくしてしまったのはいったいどうしてなんだろうと、ときどき考えたりします。

もちろん、ひとりで家にいるときにいちいち「さびしい」と感じていたらたいへんなので、いつでも平穏な心でいられるのはありがたいことでもあるのですが、果たして10年後、20年後も(もし生きていたら)同じことを言っていられるのかと思うと少し不安になります。

子供の頃は本当に性格が悪くて(今も決して良くはありません)、他人を怒らせるようなことを言っては殴られて泣かされた思い出があります。
その苦い経験から「思いのままに生きていたら、自分は嫌われる」という自覚に至って、20代になっても対人関係でいろいろ失敗しているので、今も積極的に他人と関わろうとは思えず、「いかにひとりの時間を快適にするか」という考え方で今まで生きてきました。
「さびしい」という感情が薄いことは、悪い性格に生まれてしまった自分への「神様の贈り物」なのかもしれません。性格が悪いうえにさびしがりだと、やたらと他人に絡んではうざがられて敵を増やすばかりのつらい人生になってしまいます。

性格が悪いのなら、せめて他人との関わりを最小限にする。今のところはなんとかそれができています。でも、世の中はひとりでできることには限りがあるし、自分だけがひとりでいることがつらくなる瞬間もありますが、それは仕方ないことです。高望みしないよう、自分を戒めることにします。

長時間歩くと足に魚の目やタコができるのをどうにかしたい

2021年4月29日(木) 23:08 | 日記

1月末にこんなことを書きました。

なんとなく渋谷から自由が丘まで歩いてきた

実はこの後も、日頃の運動不足を解消する目的と、近所だけどほとんど行ったことがない都内の街を歩いて観光気分を味わおうと、週1くらいのペースで長時間の歩行を続けています。
だいたい4時間前後、トイレ以外の休憩はなしで、歩数にして2万~3万歩くらいを一気に歩きます。
直近だと、先週末に「東急池上線の沿線を歩こう」という企画を立てて、ひとりで五反田から蒲田まで歩きました。

洗足池
洗足池は緊急事態宣言の前日なので、ボートは営業していました。

実際にいい運動になるし、東京の街を歩くのは決して退屈しないのですが、毎回困ってしまうのが足の痛みです。
1月に買ったばかりの靴を履いて歩くと、決まって左足の人差し指の付け根あたりに魚の目ができます。最初の2時間くらいは何ともないのですが、それを超えるとだんだん足の裏が痛むようになってきます。

足に魚の目などができる原因は、合わない靴を履いていることだといわれます。靴のサイズと自分の歩き方の問題で、左足の特定の場所によけいな圧力や摩擦が加わってしまうんですかね。
それじゃあ靴を変えてみようということで、先週は古い靴を履いてみたら、左足の魚の目の跡は痛みませんでした。やはり靴の影響は大きいんですね。ただ、そのかわり今度は左足の親指と小指の外側が擦れて痛くなりました。ひもをきつく締めすぎたせいかもしれません。

5時間くらい歩いても魚の目やタコや擦り傷ができないような、自分の足と完全に合う靴があればいいんですけど、こればかりは良さそうな靴を当たりが出るまで試すしかないですかね。

東京は緊急事態宣言が出てしまいましたが、この「東京都内ウォーキング」という試みは電車で移動する以外はひとりで黙って歩くだけなので、安全なレジャーです。

東京・お花見の風景2021

2021年3月31日(水) 23:17 | 日記

2021年3月27日。いつもの年であればとても暖かく、絶好のお花見びよりな一日でしたが、世界はそれどころではなく、たいへんなことになっています。
それでも桜はいつものように咲くわけで、東京都内の公園は花見に訪れる人たちで、それなりににぎわっていました。

野川公園

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そうはいっても、やはり例年と比べれば人は少なめです。「緊急事態宣言」はいったん解除されましたが、ビールや酎ハイを飲んでできあがってる人もほとんどいません。

野川(武蔵野公園)

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野川沿いも桜の木が植えられていますが、集団ごとにソーシャルディスタンスを取れる程度には人はまばらでした。

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武蔵野公園には桜は少ないのですが、大きな公園ではどこへ行ってもこんな感じで注意を促していました。

小金井公園

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自宅の近くで最もにぎわう花見スポットが、ここ小金井公園です。
お花見はいいけど宴会は禁止というルールで、さすがに堂々と酒盛りをしている集団は見かけませんでした。

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公園の中はこんな風景でした。

では、新型コロナがやってくる前の2019年はどんな感じだったかというと……。
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ずいぶんと雰囲気が違いますね。

今年も売店や屋台は営業していたのですが、そもそもお酒を売ってないし長居もできないので、いつもよりずいぶんと控えめな営業でした。
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写真に指が入っちゃいました。すみません。
まあ去年はお店自体が営業していなかったので、それに比べたらずいぶんましですけど、でもやっぱりさびしいものですね。

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江戸東京たてもの館も休園でした。

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ちなみに小金井公園は、都内ではわりと貴重な凧あげができる公園です。上の写真、中央寄り右上あたりに小さな点がありますが、これが凧です。

武蔵野中央公園

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いつもは賑わっているグリーンパークもこんな感じです。

井の頭公園

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井の頭池のボートはずいぶんと賑わっていました。公園内も人通りも多くて、ここだけはずいぶんと混雑していました。

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それでも、こんな感じで人が密集しないように立ち入り禁止区域が各所に設けられていました。

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それでもやっぱり飲みたい人は飲んでいます。

去年の段階では、まさか1年後もこういう状況が続くとは思ってもいませんでした。早く元の世界に戻ってほしいですね。

誕生日と「武蔵野市くらし地域応援券」

2021年2月20日(土) 22:24 | 日記

ケーキ

44回めのバースデイです。今年もひとりでケーキを食べて、心の中だけでひっそりと誕生日を祝いました。
いろいろたいへんな世の中で、こうして無事に誕生日を迎えられたことを、関わったすべての人たちに感謝します。

ところで、武蔵野市では住民や小売店などへの支援策として、「武蔵野市くらし地域応援券」という商品券を各家庭に配っていて、今日からその券が使えるようになりました。

武蔵野市くらし地域応援券

500円分の商品券が10枚で、合計5000円。1000円以上の買い物で1枚使えるという仕組みで、武蔵野市の多くの店で使えます。
写真の「A券」は、ヨドバシカメラや丸井、東急百貨店、ドン・キホーテ、イトーヨーカドーなど大型店でも使える券で、これが4枚2000円分。残り6枚3000円分の「B券」が、大型店を除く加盟店で使えるという仕組みです。

ちょうどパソコンのマウスとベッド用の蛍光灯の調子が悪かったので、さっそく吉祥寺のヨドバシカメラへ行って、応援券を使って買ってきました。
マウスは地下1階、蛍光灯は4階で買って、それぞれのフロアで応援券を使ったのですが、どちらのレジでもすぐに対応してもらえず、レジの人が別のスタッフにどう処理するのかを確認していました。応援券の取り扱いについて、店舗スタッフに話が行き渡っていなかったんですかね。
多少の混乱はありましたが、結果的には合計1000円分安く買えました。

そのあとは武蔵境駅の近所でコーヒー豆と冒頭のケーキを買って、それぞれ500円ずつ応援券を使いました。
券は1000円以上じゃないと使えないので、ケーキも普通なら2個ですませるところを、1000円を超えるように3個にしました。確かに応援券を使えば2個より3個の方が支払いは少なくなるのですが、消費カロリーのことを考えたら褒められた判断ではありません。

明日は暖かくなりそうなので、運動しようと思います。

なんとなく渋谷から自由が丘まで歩いてきた

2021年1月31日(日) 23:59 | 日記

遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
新型コロナウイルスでいろいろたいへんな時期ですが、なんとか元気で生きています。今年もよろしくお願いします。

愛知から東京に引っ越してきて15年が過ぎました。プライベートでも仕事でも都内のいろいろな場所を訪れてきましたが、なにせ東京都は人口1400万人、23区内だけでも950万人という大都市であり、この15年の間にほとんど行ったことがない場所もたくさん残っています。
僕もいつまで東京に住むかわからないので、いつか東京を離れたときに「あそこへ行っておけばよかった」と思い残すことがないように、時間があるときは都内の街や観光地を積極的に巡ろうと思います。電車の中では声を発さず、駅から出たら無言で外を歩くだけなので、新型コロナの感染の拡大には寄与しません。

というわけで、今日は都内の街巡りの第1弾。個人的に今までまるっきり縁がなかった、東急東横線の沿線を軽く歩いてみました。渋谷から出発して、目的地は自由が丘です。
新型コロナウイルスのせいでライブやイベントがなくなり、ここ1年ほど休日は家に引きこもりがちだったので、運動不足の解消も兼ねています。

14:08 渋谷駅新南口

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渋谷駅までは電車で来ました。新南口で降りたのも、もしかしたら初めてかもしれません。

ここからしばらく山手線に沿って南へ歩き、歩道橋で山手線を越えて代官山へ向かいます。山手線と東急の間の高級住宅街は小高い丘になっていました。さすがは「山」という地名だけあります。渋谷も「谷」なので、名前が示すとおり土地に高低差があります。

14:27 代官山駅

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シャレオツな街、代官山です。初めて来ました。ここから先、中目黒以外の駅はすべて今日初めて訪れる場所です。

代官山駅の周りには飲食店やファッションの店がたくさんあるのですが、とにかくアルファベットが多い。大半が英語で、フランスやスペインなどラテン系の単語から取った店名も目立ちました。都内だと横田基地がある福生市の国道16号添いの次ぐらいに英語が多いかもしれません。

そんなシャレオツなはずの街なんですけど、こういう汚い落書きを見ると引いてしまいます。ダサい。絶望的にダサい。隣駅の渋谷でもよく見かけるのですが、代官山にもたくさんありました。
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街の住人に対して、15年前と同じ嫌がらせをいまだにやっているのかとあきれてしまうのですが、実はこういう落書きの文字にもはやり廃りがあったりするんですかね。「これが今流行の書体」「これは5年前にはやった書体だけど今は古い」とか、見る人が見たらわかるのでしょうか。
我々のような一般人にしてみたら、興味や知識がない人にとっての「演歌はどれも同じに聞こえる」みたいな感覚です。

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代官山駅前では、郵便ポストに書かれた落書きを消している人たちがいました。書くのは簡単だけど、消すのは何倍もたいへんです。街の景観を守る仕事をする人たちを尊敬します。

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代官山駅の近くの大通りでも、落書きを消す人たちの姿を見ました。
公共物に落書きをする人間は、景観を汚し、人に迷惑をかけることの何が楽しいのか、理解に苦しみますね。
あの手の落書きは、僕が住む武蔵境駅の周辺ではほとんど見かけません。いいことです。

14:52 中目黒駅

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中目黒にはプライベートで1回、仕事で1回来たことがあります。
プライベートでは、2015年にアイドリング!!!がキンケロ・シアターで演劇をやっていたのを見に行きました。舞台の演出はラサール石井さんでした。

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中目黒といえば目黒川。両岸の景色がとても上品です。
駅前は代官山とは違って、庶民的なチェーン店も多いのですが。

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駅前の商店街。奥に見える45階建ての高層マンションと、下町っぽさを感じる街並みの対比がまさに東京です。

15:14 祐天寺駅

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駅前には商店街、周りは住宅街。典型的な東京23区の私鉄沿線の風景でした。

15:28 学芸大学駅

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大学がないのに駅名はそのままでおなじみの学芸大学駅です。
ナゴヤ球場前駅がナゴヤドームのオープンと中日ドラゴンズの本拠地の移転に伴って、ナゴヤ球場は今もあるのに山王駅になったことを思うと、なんで変えないんだろうといつも思ってしまいます。駅名を変えたら駅前のいろいろな「学芸大学店」も名前を変えなきゃいけなくなって影響が大きいのもわかりますが、でも名が体を表さないのは公共性の高い鉄道駅としてはよろしくないと個人的には思っています。
開業当初の「碑文谷駅」でいいと思うんですけどね。かっこいいし。

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駅周辺の風景は、ひとつ前の祐天寺駅と似た印象でした。

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学芸大学駅から少し歩いた先にある、碑文谷公園の池。補正なしで撮ったら暗く写ってしまいました。だんだん日が傾いてきました。

このあたりから、足の裏が痛くなってきました。たくさん歩く日は厚手の靴下にすべきでした。旅行やライブの日はいつもそうしているのに、ひさしぶりだったので忘れていました。

15:56 都立大学駅

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写真がぶれてしまいましたが、都立大学駅です。ここも先ほどの学芸大学駅と同じく、名が体を表さない駅です。

駅を出て、気になったのがこれ。樹木と自転車だけが整然と並ぶ、ほかの場所では見たことがない光景でした。
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三鷹駅から武蔵野中央公園へ向かう遊歩道がそうだったように、昔はここに鉄道が敷かれていたのかなと思ったら、そういうわけではないみたいです。

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東京都が整備した散歩道のようですね。
この看板には、都立大学駅が開業した当初は「柿の木坂駅」だったと書かれていました、もう大学はないんだし、すごくいい駅名だから戻せばいいのにと思いました。

都立大学駅から自由が丘駅へ向かう途中、足の裏に続いて、太もものあたりも痛くなってきました。意識的に早足で歩いてきたのですが、それにしても2時間そこそこ歩いただけで足が痛いなんて、どんだけ運動不足なんだよって思いました。それなりに歩く機会が多かった1年前は、ここまでひどくはありませんでした。

16:20 自由が丘駅

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今回の目的地、自由が丘駅に着きました。

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東急のターミナル駅ということで、駅前の商店街の規模はかなり大きく、知ってる駅でたとえるなら蒲田と同じくらいでしょうか。
規模のわりに、デパートや家電量販店のような大型店舗がないのがちょっと不便かもと思いましたが、電車で渋谷まですぐに出られるので、この街はこれでいいのかもしれません。

ここまで、祐天寺駅でのトイレ休憩以外は一度も座ることなく、写真を撮るときと信号待ち以外はずっと早足で歩いてきました。
渋谷から自由が丘までの営業キロ数は7キロほどですが、線路に沿って歩いたわけでもなく、駅の周りを散策したりもしたので、たぶん合計で10キロ以上歩いたと思います。それなりにいい運動になりました。

次回は東急の別の路線を歩いてみようと思います。

Windowsのシステムディスクの交換はOSの標準機能が最強だったという話

2020年12月31日(木) 22:21 | 日記

SSDの換装自体はわりとあっさり成功

先日、自作パソコンのM.2のSSDを換装しました。
換装を思い立ったのは1年前で、交換用のSSDもそのときに買いました。ところが、市販のソフトを使って新しいSSDにシステムディスクのクローンを作成したところ、なぜか失敗してWindowsが起動せず、その後何度か挑戦しても無理でした。そこで今回初めてやり方を変えて挑戦したところ、1年越しでようやく成功したという話です。

メーカー製のパソコンだと何年かしたら買い替えるのが普通なので、システムディスクの換装は普通はしません。ただ、買い替えるたびに必要なソフトを入れ直したり環境設定をやり直したりする必要があり、なかなかたいへんです。
僕のデスクトップパソコンは自作で、もともと2011年に買ったものを、2016年にOSとマザーボードとCPUをアップグレードして今も使っています。パソコンを買い直さずにアップグレードを続けていけば、ソフトを入れ直さなくてすむので楽です。とはいえ、CPUやマザーボードだけでなく、グラフィックボード、メモリー、電源ユニット、冷却装置やハードディスク、SSD、光学ドライブなどのハードウェアは物理的な寿命があるので、定期的に入れ替える必要があります。
CPUやマザーボードは単に取り替えるだけでいいし、最近のWindowsは優秀なのでトラブルなくスムーズに交換できるのですが、システムディスクが入ったSSDの交換は、データのコピーがうまくいかないと起動すらままならず、正しい手順でやらないといけません。

「システムディスクの換装に失敗したときの市販のソフト」については詳しい言及を避けますが、2018年に書いた日記のリンクを貼っておきます。このときに使ったのと同じソフトです。

こんな夜中にパソコンが壊れかけて焦りまくった話

有料のソフトを使ってSSDのクローンを作ってもだめなのに、どうすればいいのかと思っていろいろ調べてみたところ、「ソフトなしでSSDの換装ができる」という情報がありました。僕が見つけて参考にしたサイトはこちらです。

【Windows10】OS標準機能だけでSSDクローン作製する方法。「バックアップと復元」を使えばソフトなしで引越し可能 | ARUTORA

こちらで紹介されている手順に沿ってやってみたら、あっさり換装に成功しました。
システムディスクを交換するだけなら、Windowsの標準機能が最強でした。今まで何をやってきたんだろうという話です。

移動させると消えてしまう回復パーティション

問題はここからです。SSDを換装するのは目的の半分で、もう半分の目的は、システムディスク(Cドライブ)の容量を増やすことです。これがなかなかたいへんでした。

換装前のSSDのパーティションはこんな感じになっていました。
旧システムディスク
交換前のSSDを交換後に認識させたためにドライブレターがありませんが、左から2番めの135.17GBの領域がシステムディスク(Cドライブ)でした。Cドライブの右隣に回復パーティションが550MB。その右側には102.48GBの未割り当ての領域がありますが、以前はここをDドライブとして、ドキュメントファイル(デスクトップなど)やページングファイル、Tempファイルなどのデータ置き場として使っていました。換装前にDドライブは別のSSDに移行しました。
換装直後のSSDも同じ構成ですが、全体の容量が500GBなので、右の「未割り当て」の部分が旧SSDより大きくなっています。

Windows10のシステムディスクとして135GBの領域があれば現状で問題はないのですが、大量のソフトをインストールしようとすると、この容量ではとても足りません。数年後にいきなりPCゲームにはまる可能性もゼロではないので、Cドライブはもう少し増やした方がいいと思い、換装後のSSDはCドライブの容量を大きく取ることにしました。
そのためには、「回復パーティション」の場所を右側に移動させる必要があります。

ところが、どうやらシステムディスクのパーティションの移動はWindowsの標準の機能だけでは難しいので、ここでは前述の市販のソフトの力を借りることになります。
もしまた失敗して起動しなくなれば、そのときは前のSSDに戻せばいいということで、勇気を出して回復パーティションの移動を試みます。

移動自体はできました。Windowsも起動しました。しかし、Windowsの「ディスクの管理」で移動後のパーティションを見てみると、そこは「回復パーティション」ではなく、ドライブレターがないただの「ベーシック データ パーティション」となっていました。

ドライブレターを付与して、フォルダーのオプションから「保護されたオペレーティングシステムファイルを表示しない」のチェックを外して中身を確かめたら、必要なファイルは入っていたので、データの移動自体はうまくいっていました。OSが回復パーティションを正しく認識していないだけのようでした。

コマンドラインから回復パーティションを認識させる

別に「回復パーティション」は必須というわけではなく、なくてもWindowsは動くようですが、上述のように2018年にパーティションの移動に失敗してからしばらく、OSの大型アップデートができなくなってしまった経験があるので、システムディスクは正しい状態に保つことを心がけています。

回復パーティションを認識させる方法は、下記のサイトを参考にしました。

Windows 10の回復パーティションを新しく作る [クソゲ~製作所]

PowerShellから(コマンドプロンプトでも可)「DiskPart」を起動させて、該当するパーティションを選択した状態で、

set id="de94bba4-06d1-4d40-a16a-bfd50179d6ac"
gpt attributes=0x8000000000000001

のふたつのコマンドを入力したら、無事に回復パーティションができました。

以上の手順を経て、新しいSSDのパーティションはこんなふうになりました。
新システムディスク

まだ容量に余裕はあるのですが、Cドライブの容量をぴったり400GBにそろえたかったので、あえて64GBほど余らせています。

最後に、旧SSDの情報を「CrystalDiskInfo」でチェックしてみたところ、以下のようになりました。
systemdisk_smart.png

まだまだ使えそうでもったいない感じもしますが、2017年からほぼ休まず起動させ続けたので(実際には3万時間以上動き続けていたはず)、早めに交換することは決して悪くないと思います。