カテゴリー「スポーツ」 / タイトル一覧

モータースポーツや競馬、ときにはプロ野球やサッカーなど、
スポーツに関する話題について語ります。

2010年3月15日(月)

フェラーリが勝ちました

表彰台
あらためて見てみると、アロンソも年を取りましたね。ルノーでチャンピオンになったころは若さがあふれていましたが、すっかり大人の男になりました。対照的に、ハミルトンはまだ若い感じです。

フェラーリが優勝で、途中までトップだったレッドブルのベッテルはエンジントラブルの影響で4位。それでも速いところは十分に見せてくれました。今後もこの3人と優勝を争うことになりそうです。

2010年3月14日(日)

バーレーンGPの決勝が始まります

ミハエル・シューマッハー
そういえばミハエルの予選7位って、1991年のデビュー戦と同じなんですよね。
ただ、19年前のスパでは新興チームのジョーダンで7位のタイムを出したから驚かれたのであって、今回はトップチームのメルセデスGPで、しかもチームメイトのニコに負けているわけだから、ずいぶんと状況が違います。

フォーメーションラップが始まりました。スタートが楽しみです。

2010年3月13日(土)

最初のポールはベッテルでした

ベッテル
セブくん速かったですねぇ。
ただ決勝では、解説の方々が「フェラーリはレースペースがいい」と言っていたので、ベッテルはスタートダッシュを決めても、すぐにフェラーリの2台に追い回されることになりそうです。
そうするとベッテルは無理してペースを上げようとして、早いうちにタイヤがだめになってしまい、10周めあたりからドライビングスクール状態になってフェラーリの2台とニコあたりを引き連れることになり、タイヤ交換後はずるずると順位を下げてしまうのでしょうか。
すると、ハード側のタイヤでスタートしたフォース・インディアのスーティルがいつの間にかフェラーリの後ろまで来ていて、ちゃっかり表彰台に乗ってしまう、そんなことも考えられなくもありません。
明日の決勝に向けて、いろんな妄想がふくらみます。

2010年のF1が始まりました

ニコ・ロズベルグ
去年のシーズン中にBMWの撤退やアロンソのフェラーリ移籍が発表されて、シーズン後はトヨタの撤退に始まってメルセデスGPがブラウンを買収、バトンのマクラーレン移籍にミハエル・シューマッハーの復帰、小林可夢偉のレギュラーシート獲得など、例年以上にたくさんの話題がありました。新規チームもいくつか参戦します。去年以上の混戦が期待できそうです。
給油の廃止も楽しみなポイントです。うまいドライバーほどピットインのタイミングを自由に選べるので、かなり有利になると思われます。

金曜と土曜のフリー走行を見ました。
たぶんミハエルはニコ・ロズベルグに勝てないだろうと思って見ていましたが、今のところは予想どおりニコがリードしています。マシンがよければチャンピオンも狙えるドライバーだと思っているので、今年は特に注目したいと思います。
今年のチャンピオンは、フェラーリのアロンソとマクラーレンのハミルトンの2人による争いになると思いますが、マッサ、バトン、ベッテルまでチャンスがありそうです。
あとはウィリアムズのニコ・ヒュルケンベルグ、ルノーのクビサとザウバーの小林可夢偉がどこまでやれるかが楽しみです。

2009年11月4日(水)

トヨタがF1から撤退

シーズン前にはホンダが撤退して、シーズン中にはBMWが撤退することを決めて、そして今度はトヨタです。本当に残念に思います。

この前鈴鹿へ行ったとき、向かいの席に座っていた事情通のおじさんが隣の人としゃべっているのを聞いたのですが、この話はトップシークレットだと前置きしてから「トヨタはシーズン後に撤退を表明する」と断言していたんですよね。そのおじさん、日曜日のイベントのシークレットゲストが佐藤琢磨さんだと言い当てていましたし、単なるほら吹きではないようでした。
確かにトヨタの撤退は前から噂されていましたが、こんな話は日記に書けないと思って黙っていました。アブダビでは小林可夢偉くんが6位に入賞して、来年はレギュラードライバーかとちょっと期待したのですが、結果的におじさんの言った通りになってしまいました。

ブリヂストンタイヤも2010年いっぱいで撤退することが決まりました。この不況下で、日本のメーカーも日本人ドライバーもいなくなってしまうと、フジテレビが今後もF1中継を続けるかどうか心配になります。

2009年10月28日(水)

中野真矢さんが引退

中野真矢涙の引退「チームに迷惑かかる」

オートバイの世界選手権シリーズなどで活躍した中野真矢(32)が28日、都内で引退会見を行った。引退を決意した理由を「首の痛みによってモチベーションが保てなくなったこと」と涙ながらに明かした。中野は今年9月のレースを首に痛み感じ途中欠場し、その後最終戦まで首の痛みが引かず完全欠場していた。「このままではチームに迷惑をかけてしまう」と13年のプロライダー生活にピリオドを打った。


中野は99年より世界選手権に参戦し、01年から最高峰クラスへと活躍の場を広げると2度の表彰台を経験した。「日本のファンの前で表彰台に立った、04年の日本GPがベストレースだった」と笑顔で振り返った。今季からはスーパーバイク選手権に参戦したが年間総合成績14位に終わり、「力が発揮できず、ファンに応えられなかった」と悔やんだ。

(nikkansports.com)

思い出すのが、2000年の250ccクラスの最終戦です。
あのシーズンは確か、途中で転倒して負傷して、何戦か出られなかったんですよね。それでも中野真矢さんはチャンピオンになることをあきらめず、復帰後はライバルでチームメイトのオリビエ・ジャックを上回る走りを見せてくれました。迎えた最終戦では最終ラップまでトップを走り、このまま優勝すれば中野さんがチャンピオンだったのに、最後の最後でジャックに抜かれてしまい、あとわずかのところでタイトルを逃してしまいました。
そのレースを僕の隣で見ていた、彼のことを「中野きゅん」と呼んで応援していた女の子が、悔しがる彼の姿を見て泣いていたことを、今でも覚えています。

WGPは、ヴァレンティーノ・ロッシがヤマハに移籍したあたりから見るのをやめてしまいました。その前には加藤大治郎さんの悲しい事故があり、数年前にはノリック(阿部典史)も帰らぬ人となってしまいました。みんな世界で大活躍して、ヨーロッパでは人気も評価も高かったのですが、日本国内ではあまり知られていないのが、バイク乗りの端くれとしてもどかしいところです。

MotoGPでは苦戦していた中野さんでしたが、250ccでは本当に速いライダーでした。最近はその活躍を目にすることはありませんでしたが、僕より若い人が第一線を退いてしまうのを見ると、寂しい気持ちになります。

2009年10月20日(火)

バトンがチャンピオンになりました

ジェンソン・バトン
日曜は疲労と眠気とアルコールのために、しっかり起きてF1を見続けることができませんでした。中嶋一貴が小林可夢偉とクラッシュしたところまでは見ていたのですが、そこからは記憶が飛びまくっています。それでも、マッサがチェッカーフラッグを振る瞬間と、バトンが無線でうれしそうに歌を歌っているところは見ることができました。

開幕直前まで、レースに出られるかどうかすら分からなかったブラウンGPとジェンソン・バトン。ところがシーズンが始まると、圧倒的な速さで優勝。トルコまで7戦6勝で、このままあっさりとチャンピオンが決まってしまうかと思いました。
前年はポイントすら取れなかったバトンが新しいチームでチャンピオンだなんて、彼の過去のことを思うと感慨深かったのですが、93年のプロストや02年のミハエルみたいに、シーズンの早い段階で決まるのは面白くないなぁ、なんて思っていたら急に失速。レッドブルの2台やブラウンのバリチェロが追いかけてきて、さらにはマクラーレンやフェラーリの復調もあったりして、シーズンの後半は勝てないバトンを尻目に、去年以上に面白いレースが続きました。
それでもバトンはどうにか粘りきり、最終戦を残してワールドチャンピオンを決めました。

ブラウンGPの前身はホンダで、その前がBAR。さらにその前はティレルで、僕が初めて見た90年の鈴鹿で中嶋悟さんが6位になったときのチームでした。中嶋さんは91年もティレルに乗りましたが、そのときの「ティレル020」(参考…鈴鹿で撮ったF1の写真)というマシンのプラモデルを買って作ったことがあります。僕がF1マシンのプラモを作ったのは、これが最初で最後です。
ティレルには片山右京さんも乗り、BARには佐藤琢磨さんも乗りました。
そんなこんなで、F1のチャンピオンが決まる瞬間を、20年間も見続けてきたんですよね。僕もずいぶん年を取りました。

バトンはウィリアムズでデビューして、その後ルノーに移籍したのですが、その頃はちゃんとF1を見ていなかったので、あまりその時代の記憶がなかったりします。BARで大活躍して、ウィリアムズとの間で契約問題でもめ続けて、ホンダで優勝して、その直後から長い低迷期に入っていた頃のことはよく覚えているのですが。
去年のバトンを見ていたら、チャンピオンどころか、これでトップチームへ行けるチャンスもなくなったと思っていたのに。何がどう転ぶかわかりませんね。本当に楽しい一年でした。

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