高浜市からの帰路

2016年1月 2日(土) 10:20 | 日記

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帰りは新幹線の指定席に乗れました。

実家はお盆以来でした。今回も姪と甥に会ったのですが、子供の成長は早いですね。それに小さい子を持つ親の苦労をいつも思い知らされます。世の母親は本当にすごいと思います。

地元の愛知県高浜市には、続々と新築の家が建っています。かつては三方が田んぼで囲まれていたど田舎な実家も、ついに四方が家で囲まれるまでになりました。
この20年で高浜市の人口は1万人ほど増えました。1万人といっても、36000人から46000人なのでかなりの変化です。この間に小学校がひとつ増えました。隣の碧南市で小学校がひとつ減ったのとは対照的です。いまどき珍しい、勢いのある自治体です。

今は新幹線でひめキュンフルーツ缶のアルバムを聴いていて、東京に着いたらPassCodeのライブを見に赤坂BLITZへ行きます。KSDD生活は今も続いています。

新年の東京の風景

2016年1月 2日(土) 23:26 | 日記

東京駅に着こうとする新幹線の車窓から人だかりが見えたので、何だろうと思って見に行きました。
駅を出た人々が向かうのは皇居。このイベントは「一般参賀」っていうんですね。世間知らずなもので、そういう行事があることを知りませんでした。
旗配り
道中、上の写真のような感じで日章旗を配っていたおじさんがいました。何なんだこれと思いましたが、イベントで天皇に対してこの旗を振るという「お約束」のためだったんですね。
旗を配っていたのはおじさんだけでなく、小学生の女の子と男の子もいました。よりによって、この旗を配るボランティアに子供を駆り出すのは違うんじゃないのと思いました。
護送車
あと気になったのが、この護送車が付近に何十台も止まっていたこと。護送車といえば、大学生の頃に校内で中核派の集会があると必ず外に止まってたあの車というイメージがいまだに強いのですが、ここでは怪しい人を捕まえて連行するためではなく、警察官がここに来るための車だったみたいです。それにしても多すぎやしないかと思ったのですが、去年はいろんなところでテロがあったから、今年はいつも以上に警戒を強めていたということかもしれません。

皇居は近づいただけで中へは行かず、このあと赤坂BLITZにPassCodeというアイドルグループのライブを見に行きました。
その帰りに、千代田線の明治神宮前駅から山手線の原宿駅に乗り換えたときのこと。新宿方面へはいつもの改札ではなく、明治神宮側にある臨時の改札へ回らなければいけません。面倒だなぁと思いつつ向かうと、なんだかゆかいな光景が目に飛び込んできました。
わたしが甦りであり、いのちである。
神は人を愛し、その罪を取り除く。
黄色と黒は勇気のしるし。参拝客でごった返す神社の真ん前でイエス・キリスト。とんがってます。
そういえば2年前にも名古屋で同じようなものを見たのですが(救いってなんだろう)、そのとき看板を持っていたのは日本人のおじさんでした。でも今日見たやつは明らかに欧米人。あれって日本人が独自に作った団体だと思ってたら、実はあちらが本場だったんですね。「あちら」というのがどちらなのか、プロテスタントかカトリックかも分からないですが。

今年も初詣的なことはせず、信じるものは自分自身だけということで、厳かな正月三が日を過ごしています。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

雪の記録

2016年1月19日(火) 02:22 | 日記

雪
1月18日は、雪が積もっていろいろたいへんな日でした。

朝は自転車に乗れないから、雪と雨でぐちゃぐちゃの道を駅まで徒歩。ようやく駅に着いたら、電車がほとんど動いてないから人があふれていました。
電車が少しずつ動き始めて、やっとの思いでホームに入れたと思ったら、到着する電車はやっぱりどれも満員。いつもより本数が少ないうえ、一度の停車で7人くらいしか乗れないから、ホームで延々と待たされる。僕らが待ってるのはビッグサンダーマウンテンではなく、スリルもサスペンスもファンタジーも何もないただの中央線。わくわくしない待ち時間。乗れたのは駅に着いてから90分後のことでした。
首都圏の電車は雪に弱いので、年に一度くらいはこういうことがあります。そういうもんだと思ってあきらめています。朝の武蔵境駅は、みんなあれだけ待たされていたのに、いたって静かで冷静でした。これが東京都民です。

今日は一日寒かったので、自宅の前の雪は夜になってもほとんど残っていました。

さよならゲートウェイ

2016年1月31日(日) 22:59 | 日記

ゲートウェイのキーボード
2000年に買って以来、今日まで15年以上にわたって使い続けてきた「ゲートウェイ」ブランドのキーボードと、お別れすることにしました。
デスクトップのパソコンはゲートウェイ社のパソコン以降で2回買い替えているのですが、キーボードだけは同じものを使い続けていました。今となっては、若い頃から苦楽をともにしてきた貴重なパーツです。

キーボードとしてはまだまだ使えるのに、手放さなければいけない理由はこのシリコンカバーです。
ゲートウェイのキーボードカバー
ゲートウェイのブランドロゴの下、テンキーのところが汚れて黒ずんでいます。
シリコンカバーはとっくの昔に限界を超えていて、表面が劣化してねばねばしています。キーボードを触った感触も良くないし、ほこりが付着してしまい拭いても取れない。こんな状態で何年も使い続けていました。
じゃあカバーを取って使えばいいじゃないかと言われそうですが、それができない理由があります。
シールを貼ったゲートウェイのキーボード
キーの上にシールが貼ってあります。これは「Dvorak配列」というキー配列を示したシールです。僕は2006年に、圧倒的大多数の人が使っているQWERTY配列を捨てて、Dvorak配列というキー配列を習得したのですが、そのときに自作したものです。配列は「DvorakJP」というソフトに準拠しています。

なぜ僕がわざわざ一般的でないキー配列を習得しようと考えたか、習得までにどれだけ苦労したかは、10年前の日記をご覧ください。
さようならQWERTY、こんにちはDvorak(06年4月26日)
Dvorak奮闘記2日目(06年4月27日)
Dvorak奮闘記4日目「本気です」 (06年4月29日)
Dvorak奮闘記5~7日目 (06年5月3日)
Dvorak奮闘記18日目「ようやく慣れてきた」(06年5月14日)

このシールを貼ったままでキーボードを使っていると、すぐにシールがすり減って破れてしまいます。一度貼ったシールがぼろぼろになると、きれいにはがせないし見栄えが悪いし、上から新しいシールを貼ってもキーの表面がでこぼこになってしまうので、キーボードの表面を守るカバーが必要というわけです。
今のゲートウェイのキーボードをカバーなしで使いつぶしてもよかったのですが、シールがぼろぼろになった状態で捨てるのはなんだか忍びないので、きれいな姿のままで引退させようと思いました。

というわけで、新しいキーボードを買ってきました。メーカーはエレコム。ヨドバシカメラで1900円でした。
新キーボード
有線だしよけいなボタンも付いてないし、いたってシンプルなキーボード。シリコンカバーが付いているモデルは限られていたので、選択肢はほとんどありませんでした。

新しいシールをプリンターで印刷します。元のデータはPDFです。そういえばプリンターも2001年に買ったエプソンのPM-950Cという年代物だ。古すぎてWindows7の64bit用のドライバーがないので、PM-920Cという別の機種のドライバーで代用しています。家でプリンターなんてめったに使わないですからね。
Dvorak配列のシール
これを買ったばかりのキーボードに貼ります。枚数が多いので地味にたいへん。
新キーボードにシール
シリコンカバーをかけて完成です。半透明のカバーですが、シールの文字はじゅうぶん見えます。
新キーボードにカバー
もちろんこの記事も新しいキーボードで書いているわけですが、これまでのゲートウェイのキーボードよりサイズが小さくて違和感があります。端の方のキーを打つときに小指がキーの向こうまで動いてしまいます。でもQWERTY配列からDvorak配列に変えるのに比べたら、慣れるのは楽なものです。右手の方向キーやテンキーへの移動が少ないから、かえって負担は減りそうです。

ここからは懐かしい昔話。

ゲートウェイのパソコンってすごく画期的だったんですよね。いわゆるBTOという、購入者がパソコンのスペックを選べる仕組み。注文するときにCPUはPentiumかCeleronにするか、ハードディスクの容量はどうするか、メモリーはどれだけ搭載するかなどをネット上で選ぶと、メーカーがそのとおり組み立てて送ってくれるというものです。今はどのメーカーの通販サイトでもやってることですが、2000年当時の日本ではBTOは一般的でなく、大手メーカーで初めて本格的に展開したのがゲートウェイでした(当時ゲートウェイはアメリカのパソコンメーカーでデルやHPと並ぶ大手でした)。
僕は見た目がキモヲタっぽいのですが、見た目どおりパソコンには昔からそこそこ詳しくて、パソコンのスペックを自分で選べるのはなんて便利なんだろうと思ったものですが、当時はインターネットの常時接続環境はそれほど普及してなくて、ウェブサイト上の手続きだけでパソコンを買うことも一般的ではありませんでした。それでもゲートウェイはCMに持田香織さんを起用したりして、かなり営業活動をがんばっていました。
サポートは過剰といえるくらい良くて、24時間体制で電話を受け付けていました。僕も平日の深夜2時くらいにパソコンの調子が悪くなったときに、サポートセンターに電話したことがあったのですが、ものすごくていねいに対応してくれて、問題を修復するCDをすぐに送ってくれました。

ゲートウェイは名古屋の大須の一等地、矢場とんの近くに「ゲートウェイカントリー」というアンテナショップを構えていました。それが、本社の経営が悪化したために2001年に日本法人が撤退して、ショップもいきなり空っぽになってたから驚いたものです。
僕が買ったゲートウェイのパソコンは2000年の秋から2006年の夏まで、6年近く動かしていました。一度不具合が出た以外は動作が実に安定していて、とても良いパソコンでした。
この6年は今振り返ると、今まで生きていた中でいちばん濃い6年でした。風俗情報誌の出版社で働いたり辞めたり、同棲をしたり別れたり、肌に合わない仕事をしたり、愛知の田舎から東京へ出てきたり。そんなときずっと愛用していた道具を手放すのは、やっぱりさびしいものです。

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