15年前のパイセンが活字になった

2015年9月30日(水) 03:03 | 日記

先日、地下鉄に乗っていたときのこと。
とある週刊誌の中吊り広告を、なにげなく眺めていました。
ずらりと並ぶ扇情的な見出し。
その中に、そこそこ目立つ大きさで載っていたひとりのライターの名前に、はっとさせられました。
会社に戻る前にコンビニに寄り、その雑誌を確認しました。記事の下に書かれたライターのプロフィール。生年も出身地も経歴も、すべてが僕の記憶と一致しました。
間違いなくあの人だ。

さかのぼること15年。僕が名古屋の出版社に、風俗情報誌の編集者として入社したのが23歳のとき。Aさんは僕より4つ年上で、会社では9か月ほど先輩でした。
Aさんとは同じ雑誌の担当になり、後輩として同じ時間を過ごしましたが、僕が入ってから3か月くらいでAさんは辞めてしまいました。
とにかく個性的な人間が多かったあの会社で、Aさんもやはり個性的でした。彼に対する僕の印象は、よく分からないバイタリティの持ち主。いつも、よく分からない野心を抱えているように映りました。
彼の言葉で今も覚えているのが、「このページだけは力がつくから、やった方がいい」。僕らが作っていたのは風俗情報誌だから基本的には写真がメインで、文字なんて添え物扱い。その中で唯一、「FRIDAY」にインスパイアされたような、モノクロの写真と文字で構成された堅めの記事ページがありました。風俗店の変わったサービスを紹介したり、人気の風俗嬢のインタビューをしてみたりという、週刊誌っぽい体裁のページ。今思えば、Aさんはその当時からそういう道に進みたかったということなのでしょう。

Aさんが辞めてからのことはよく知りませんでしたが、どこかでライターっぽいことをしてるという話は同僚から聞きました。1年で辞めて新天地に旅立ったAさんとは対照的に、僕はあの会社に3年9か月もとどまることになりました。僕にはAさんほどの「よく分からない野心」はありませんでした。

2008年8月。Aさんが名古屋の会社を辞めてから8年。僕が辞めてから4年が経っていました。当時の別の先輩が結婚して、そのパーティーに僕も呼ばれました(結婚と再会と僕の生きる道)。

苦楽をともにした懐かしい顔ぶれの中に、Aさんもいました。
彼も僕のことを覚えていたようで、当時と同じ、いや当時以上に乱暴な言葉で話しかけられました。
首に携帯電話をぶら下げて、なんていうか絵に描いたような業界人。聞けば、住んでいる場所は同じ中央線沿線。特定の会社には属さず、有名なゴシップ誌などでライターをしているということでした。そのとき連絡先の交換もして、今も携帯にはAさんの電話番号が入っているのですが、一度も連絡を取ったことはありません。Aさんと話したのは、7年前のあの日が最後でした。

誰もが知ってる超有名週刊誌で、ライターの署名入りの記事が書けるなんてものすごいことです。
こう言うと失礼ですが、15年前のAさんは「うだつの上がらないキャラ」でした。上司にはつらく当たられて、同僚からもいじられていました。今でも覚えているのは、Aさんが担当した記事で風俗店の電話番号を間違えて掲載してしまい、一般の民家に電話が殺到したというたいへんな事故を起こしたこと。損害賠償がどうこうという話になり、社内的にけっこう問題になりました。
前のめりだけど、抜けたところがある。そういう人でした。でも、フリーライターとしてひとりでやっていくために必要なのは、ミスをしない慎重さではなくて、強いハートと前傾姿勢です。Aさんは持ち前のよく分からないバイタリティで、ついに何十万部も売れてる雑誌の執筆者に名を連ねるまでになりました。
雑誌
ただ個人的に複雑な気持ちになったのは、プロフィール欄にあった、Aさんが執筆している雑誌の名前を見たとき。「自称愛国者」たちが、俗な言い方をするとネトウヨが好む雑誌です。さらにAさんは単著を出していて、そのタイトルもいかにも「愛国商法」。彼らの脳内敵を叩くことで優越感を与えてあげる「悪の救世主」的な本だと思われます。左寄りな僕は正直がっかりしました。今回の雑誌に載っていた記事は政治的な要素はないのですが、ネトウヨといわれる層が喜びそうな内容でしたし。
でもそれも、東京でライターとして生きていくための処世術かもしれません。そうした記事の需要が高まったときにライターの枠に「空き」ができて、心あるライターがいくらなんでもそれは良心やプライドが許さないという中で、むしろこれはチャンスとばかりにその枠をがっちりつかんだ、ということでしょうか。なんとなくそんな気がします。

事情はどうあれ、あの有名な雑誌に署名入りの原稿が載るのはすごいこと。その事実だけは心から称賛します。
僕らがかつて勤めた会社の出身者には、有名アダルトビデオメーカーで自らの名前を冠したレーベルを立ち上げた人もいれば、また別の場所でエロ本やアダルトビデオを作った人もいた。かつて同じ場所にいて、新天地で名を上げた人の姿を見ると、自分にも何かできるんじゃないかと勇気づけられます。

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