コミュニケーションにかかるストレスの個人差

2015年7月 7日(火) 03:37 | 日記

コミュニケーション能力が足りないというのにもいろいろなパターンがあるけど、自分の場合は「他人とのコミュニケーションに人一倍ストレスを感じる」というタイプ。いや実際にはそんなの他人と比較したことないし、そもそも比較なんてできないのでそう言い切ることもできないのですが、感覚として自分はそうだろうと思っています。
たとえば、ほかの人ならそれほど苦もなく他人とコミュニケーションを取れる場面で、自分は同じことをしてもよけいに体力と気力をすり減らしてしまう。外から見たら同じことをしているだけなのに、感じているストレスはずいぶんと違う。
普段はそれでもそれなりに問題なく過ごせるのですが、いくつか面倒な事情が重なったりすると、本来なら欠かすとまずいちょっとしたコミュニケーションをさぼるようになり、それが積もり積もって大きな問題に発展する、みたいなことが年に1回くらいのペースで起きたりします。
原因が「ちょっとしたコミュニケーション」だから、たいていの人はそこでつまずくことはないし、もっと言えば「そこでつまずく人」がいるなんて意味がわからない。なぜそんな簡単なことができないのか。やる気がないのか。あるいは悪意があるのか。そう受け止められてしまいます。

もちろん、こちらとしては悪意はありません。やる気があるかと問われたら、ないわけじゃないけどあるとまでは言えないというのが正直な答えになります。ただ、「やる気があるとまでは言えない理由」は「大半の人なら簡単にできるようなコミュニケーションをさぼるから」ではなく、「こっちとしてはいくつか面倒な事情が重なった結果、思いのほか難しくなってしまったコミュニケーションに精神力を割くのがつらくなったから」ということである、というのはこちらが説明しなければ理解してもらえないと思います。

コミュニケーションに人一倍ストレスを感じる体質は、生まれつきのものであろうと思います。物心ついたときから、今とは別の形でコミュニケーションに難を抱えていたことを覚えています。幼い頃は、相手が自分の思いどおりにならないからとネガティブな感情をそのまま相手にぶつけて、相手をキレさせて殴られて泣くということがしょっちゅうでした。さすがに小学校の4年生あたりになってくるとそういう習性はなりを潜めていきましたが、代わりに「自分が心の赴くままに口を開くと相手を怒らせる」というのを体で覚えた結果、人と関わることについてどんどん臆病になっていきました。
さすがにそんなんじゃまずいと、若いうちは他人とそれなりに積極的に関わるようにはしていましたが、性格の根っこの部分は矯正されることなく、コミュニケーションにかかるストレスは昔も今も重たいまま。30代の半ばくらいに、やっぱり自分の生まれつきの性質は治らないんだなと半分あきらめて、今にいたります。

プライベートであれば他人とあまり関わりを持たなくても困らないのですが、仕事はそうもいきません。それでも普段は、自分のそうした性格とうまく付き合いながら、目立った問題を起こさずに過ごせているのですが、たまに自分の限界を超えてしまうときがあります。
その結果、他人を怒らせたり、場合によっては損害を与えるようなことになれば、もうそれは事実として受け入れて、しかるべき報いを受けるしかありません。その中で自分がなるべくうまく立ち回れるようにあがきはしますが、自分を評価するのが他人である以上、報いは避けられないことではあります。
自分の生まれつきの性格を恨みたくもなりますが、恨んだところで何も好転しないので、そういう性格だという前提を受け入れたうえでどうにかするだけです。

こんな苦しみ、といったらおおげさですけど、心の引っかかりを常に抱えながら、今日という一日を生きています。
こんな観念的な愚痴に共感する人は少ないでしょうし、なんでネット上で愚痴を公開するんだという話ですが、こういうところにでも書いて気持ちを吐き出さないと落ち着かないという個人的な事情と、あとは自分と似たような境遇の人に「こんな奴が生きてるんだから、自分はまだまだやっていける」とでも思っていただければいいなと思って書いた次第です。

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