AKBメンバー全員ソロCDを出せばいいじゃんという妄想

2012年10月 3日(水) 01:58 | アイドル

なんかまたメンバーの合コンが週刊誌で報じられたりと、今年に入ってネガティブな話題が途切れることがないAKB48。すでに男関係でAKBから2人、HKTでも何人か解雇されました。一方で似たようなことをして解雇されなかったメンバーもいました。大人の世界って複雑です。

多田愛佳さんがHKT48への移籍を決めたとき、その理由について「上も下も詰まっている」と語りました。この言葉には少なからぬ批判もありましたが、これって一部の選抜常連を除く大半のメンバーが、多かれ少なかれ抱えている悩みではないかと想像します。AKBでいくら努力してもなかなか認められない「自分の存在意義」を求めて、らぶたんは悩んだ末に福岡行きを決め、はるごんとまりやんぬは海を渡ることを決意しましたが、一部のメンバーがこれまで以上に合コンに精を出すようになっても無理もないかもしれません。
アイドルがプライベートでどれだけ合コンをしようが自由だと思いますし、それが原因ですぐにメンバーを解雇するのはよくないと個人的には思うのですが、いずれにしてもAKBでモチベーションを保ちづらい今の状況はあまり健全ではないと思います。
だから、運営は非選抜メンバーにもちゃんと光を当ててあげるべきだと思うわけです。

正規メンバー全員にソロ曲をあげて、全員のシングルCDを出す。
すべてのメンバーに光を当てるための仕掛けとして、僕が個人的に推したいのがこれです。

AKB48名義でのソロCDは板野さんを皮切りに、すでに何人かのメンバーがリリースしています。また、シングルCDにはなっていないものの、劇場公演でソロ曲を与えられているメンバーもいます。だけど、いまだ大半のメンバーにソロ曲はありません。
アイドルにとって楽曲は名刺のようなもの。しかし、「AKB48」という名刺に対応する「顔」は、AKBをよく知らない一般人にとっては大島さんや篠田さん、板野さん、小嶋さん、指原さんなわけで、真っ先に片山陽加さんとか島田晴香さんの顔を思い浮かべる人はきわめて少ないわけです。あまり知られていないメンバーにとって、AKB48という名刺は「名は体を表さない」ものでしかないのです。
だったら、メンバーがみんなオリジナルの、自分だけの名刺を持てばいいのではないでしょうか。

過去には、AKBにも大きな影響を与えた東京パフォーマンスドールというアイドルがそれに近い方式をとっていました。もともとTPDのライブはソロ曲やユニット曲が主体という特殊性はありましたが、フロントメンバーと呼ばれる、AKBでいうところのメディア選抜にあたる7人のメンバーは、それぞれひとりで何枚もソロシングルを出しています。ブレイク前の篠原涼子さんが、「スコール」という曲で単独で音楽番組に出たこともありました。
AKBも、人気のある人から順番にソロデビューさせるのではなく、正規メンバーを全員ソロデビューさせてしまえばいいと思います。
もちろん、今や正規メンバーだけでも70人くらいいるから現実的には難しいと思うのですが、曲はコンペで数百曲単位で集められるみたいですし、歌詞もコンペにして、提携しているレコード会社をフル動員してアレンジャーもフル動員すれば、そんなに非現実的な話でもないような気がします。CDを出すとしたら、カップリング曲までオリジナルにするのは難しいでしょうから、カップリングにはAKBの既存曲のソロバージョンを収録すればいいと思います。
CDをプレスして流通させるのがたいへんなら、配信のみにするとか、公式サイトの通販のみで受け付けるとかすればいいでしょうし。でも個別握手会のチケットをつければ、CDを出しても十分に元は取れるんじゃないかと思います。

これをきっかけに、有名ミュージシャンに曲を提供してもらうのもおもしろいと思います。たとえばももクロは大槻ケンヂさんに詞を書いてもらったこともあったし、次の曲は布袋寅泰さんが作るという話ですし。アイドリング!!!が堂島孝平さんや奥華子さんの曲、木村カエラさんの詞を歌うように、でんぱ組.incがかせきさいだぁさんから楽曲をもらったように、AKBも劇場公演とは切り離された場所でなら音楽的にも冒険できるでしょうから、おたがいのネームバリューを利用しあいながら、いろいろ試してみてもいいと思います。ミュージシャンの中にもぜひAKBの推しメンに曲を書いてみたい、自分の書いた曲を歌ってもらいたいという人はいるでしょうし、歌詞ならミュージシャンに限らず、たとえば小森美果さん推しの芸人さんが彼女のために詞を書くというのもありだと思いますし。
音楽的にも、AKBの延長上でしかない従来のソロ曲やユニット曲とは一線を画して、がんがん攻めるべきだと思います。極限までぶりっぶりな曲を作るとか。AKBが本気を出せば、ももクロの佐々木彩夏さんの怪曲「だってあーりんなんだもーん」も超えられるんじゃないですかね。あるいはパンクやデスメタル方向に振れてみたり。ぱすぽ☆みたいに、作曲ではなく演奏で大物ミュージシャンに参加してもらうのもいいですね。
もしくは演歌の岩佐美咲さんに対抗して、浪曲とかシャンソンのような、今までアイドルが踏み入れなかったジャンルに挑戦してみるとか。70人近くいるんだから、埋もれないように個性を出していきたいところです。
もしかしたら「歌」ですらなくてもいいかもしれません。綾小路きみまろさん風な漫談とか、あるいは古典落語に挑戦するとか。歌でアピールできないメンバーは、歌じゃない別の方法でアピールすればいいんです。

すごい、なんかめちゃめちゃ楽しそう。アイドルの可能性を大きく広げる試みかもしれない。これぜひやってもらいたい。

普段はなかなか光が当たらないメンバーにとっても、「自分だけの曲」があるのはモチベーションにつながるでしょうし、メンバーを推すファンにとってうれしいことだと思います。何より、楽曲が評判になれば人気が出て、テレビにもたくさん出られる可能性が開けるわけですから。
いろいろなしがらみの中でメディア選抜がほぼ固定されている現状では、今のまま「努力」を続けたってテレビに出ることすら難しいわけで、そんなメンバーに「売れたい」というモチベーションを維持させるためには「売るべきもの」、つまり各メンバーのオリジナル曲を用意するのがいいと思うんですよね。

70人近いメンバーがいっせいにシングルCDを出すなんて大掛かりなことはAKB48にしかできないので、人気と資本力があるうちにやるべきだと思います。推しを悲しませるような海外移籍とかそういう話題はいらないので、もっとファンもメンバーも明るい気持ちになれるような仕掛けを打ち出してほしいものです。

アイドリング!!!の「渋はちライブ」へ行きました

2012年10月 4日(木) 04:27 | アイドル

マウントレーニアホール
アイドリング!!!の新しい定期公演「渋はちライブ」に行きました。
場所は渋谷のマウントレーニアホール。駅と地下でつながっているので、今日みたいな天気が悪い日でも気軽に行けるのがいいですね。
同じ定期公演でも「ニコはちライブ」はスタンディングですが、こちらは座席が用意されているので(当日券だとスタンディングになるみたいです)、ゆったりとしたスペースでライブを楽しめます。
チケットはファン様クラブの前売りで買ったのですが、残念ながら席はかなり後ろの方でした。
前の方にところどころ空席があったのは、仕事で急きょ来られなくなったからでしょうかね。僕は無事に6時に会社を出ることができ、開演に間に合いました。
衣裳
今日の衣裳はこれでした。

渋はちライブは初めてでしたが、ニコはちライブとはまた違った実験的な要素がいっぱいで、とても楽しめました。
まず驚いたのが、1曲めの「Don't think. Feel!!!」の歌い出しが瑠夏ちゃんと尾島さんだったこと。しかも、これが見事にはまってた。このあとの楽曲でも、ふたりがものすごく活躍していました。
この前の日曜にニコはちライブを家で見たときも思ったのですが、瑠夏ちゃんの歌唱力の成長がすごい。この何か月かでものすごくうまくなっています。尾島さんも負けずにがんばっていたのですが、「MAMORE!!!」の途中で歌詞を間違えてリズムを崩してしまったのは痛かったです。あれさえなければ完璧だったのに。

ファンのリクエスト曲をメンバーが歌う「渋はちソングリクエスト」に挑んだのは伊藤さんと野元さん。歌ったのは四半世紀前の超懐かしいアイドル曲、うしろゆびさされ組の「うしろゆびさされ組」でした。
こういっちゃ失礼ですが、野元さんでも音を外さずにしっかりと歌えていましたから、よほど簡単な曲なんですね。確かにリズムも取りやすいし、音程もいちばん高いところでオクターブ上のCまで。作曲家が「おニャン子クラブの歌唱力」という制約の中で作った曲だから、アイドリングのそんなに歌がうまくないメンバーも歌えるんですね。
でも野元さんは歌は確かにうまくないけど、踊ってるときの笑顔と飛び跳ねるようなアクションはすごく好きです。先輩の谷澤さんのいいところを引き継いでいます。

渋はちライブで最大の見どころといえば「生歌」です。今回は「Like a Shooting Star」を、横山さんと楓ちゃん、伊藤さん、野元さんがメインで歌いました。しかも生ギターの伴奏で。
マイクを通さない歌声に触れたら、みんなとの心理的な距離感がぐっと近くなったような気がして、なんだかドキドキしました。声量のない楓ちゃんや伊藤さんが緊張しながらせいいっぱい歌う姿や、生声でさらに映える横山さんの貫禄の歌声に、感動すら覚えました。

今回は2期生がひとりもいないという珍しいメンバー構成。1期生の外岡さんと横山さんが一歩引いて、4期生が中心となってライブを盛り上げてくれました。メンバーのみなさん、楽しい時間をありがとうございました。

鈴鹿サーキットとロンシャン競馬場

2012年10月 8日(月) 00:03 | スポーツ

今日はずっと外出していたので、F1日本グランプリはついさっきビデオで見ました。
予選3位の小林可夢偉が、初めて表彰台にのぼりました。
インタビューでもそれほど興奮するでもなく、感極まるでもなく、いつもの調子で軽妙なトークを聞かせてくれたあたり、やはりこれまでの日本人ドライバーとはものが違うと思いました。
表彰台
僕が初めてF1を見たのは1990年の鈴鹿。鈴木亜久里が日本人として初めて3位に入り、表彰台にのぼったレースでした。まさか、再び日本人が日本GPで表彰台に戻ってくるまで22年もかかるとは。でも来年は可夢偉がフェラーリに乗って優勝、というのも夢ではないかもしれません。

F1を見終わったあとフジテレビONEを見たら、ちょうど凱旋門賞がスタートしたところでした。日本のオルフェーヴル、最後の直線ですぱっと抜け出して、格上の馬が格下の馬相手に軽く勝つようなすごいレースを、フランス最高峰の競馬で見せてくれたと思ったら、最後の最後で差されてしまいました。直線で内によれなければ勝てたかもしれなかったのに。今年の阪神大賞典で逸走したくせの悪さは、ヨーロッパの一流の騎手をもってしてもコントロールできなかったようです。
凱旋門賞といえば、1999年にエルコンドルパサーが惜しくも敗れてしまったレースを、グリーンチャンネルで生で見ていました。あの頃はあんなに競馬にはまっていたのに、最近はほとんど見なくなってしまいました。そう考えると、F1を見る習慣だけが22年も続いたのはすごいことです。

ベイビーレイズが出演したニコはちライブを見て考えたこと

2012年10月 8日(月) 23:36 | アイドル

20年くらい前にはCoCoと東京パフォーマンスドールが共演するライブなんて開催されなかったと思うし、10年くらい前にはモーニング娘。とdreamが共演するライブなんて開催されなかったと思うけど、5年くらい前にはPerfumeがサマソニに出て、4年くらい前には「AKBアイドリング!!!」なんていう出自もレコード会社も別のアイドルがコラボして、2年前には「TOKYO IDOL FESTIVAL」という史上初のメジャーアイドルが集まる大規模なフェスがあって、今ではメジャーアイドル同士の対バンライブや、J-POPのフェスにアイドルが参加することがすっかり当たり前になっているわけです。たとえば先月滋賀県で行われた、西川貴教さんが主催する「イナズマロックフェス」にはアイドリング!!!とぱすぽ☆、インディーズですがアリス十番が出演しました。
アイドルの対バンはここ1~2年でずいぶん増えたように思います。バニラビーンズや東京女子流はものすごくたくさんのライブに顔を出していますし、最近ではDorothy Little HappyやLinQ、しず風&絆などをはじめとするローカルアイドルをも巻き込んで、さまざまなライブやイベントが開催されています。
「アイドル戦国時代」と言われて久しいですが、ライブやインターネットの生放送などいろんな場所でいろんなアイドルを見られる今の時代は、アイドルファンにとっては天国といえるのではないでしょうか。

一方で、対バンという形式は、お目当ての演者しか見たくないファンからは歓迎されないことがあります。
今から33年前に、吉田拓郎さんが愛知県の篠島という島で「篠島アイランドコンサート」を開催し、2万人もの観客を集めました。そのステージには、ゲストとして若き日の長渕剛さんも立ったわけですが、ここで長渕さんは拓郎さんのファンに「帰れ」コールを浴びてしまいます。大昔のフォークやJ-POPの世界では、お目当てではない演者に対して歓迎しない意を表明することが、わりとよく行われていたようです。
最近はどうなんですかね。僕もいろんなライブを見てきましたが、演者に対して観客が「帰れ」とか罵声を浴びせる場面に出くわしたことはありません。たぶんみんな、興味がないものに対して「興味がない」と表明することのメリットとデメリットを考えたときに、「不快さをアピールすることで不快さを発散できる」「同じ思いを持つ客と共感できる」というメリットより、「興味がある人から白眼視される」「場の雰囲気を壊す行為を快く思わない客から白眼視される」「お目当ての演者からも白眼視されるかもしれない」というデメリットの方が大きいと判断して、意志を表明しないことを選ぶのでしょう。もちろんこの判断が下される前提として、ある演者のパフォーマンスを不快に思う人より、不快に思わない人の方が圧倒的に多いという現実があります。
篠島コンサートにおける長渕さんにしても、罵声を浴びせた観客はごく一部で、大半の観客は普通に見ていて、長渕さんのファンは歓声を送っていたそうです。最近の若者であれば、同じ状況ならきっと空気を読んで、誰ひとりとして声を上げないと思います。
アイドルの現場でも、よほどの事情がない限り「帰れ」という声が上がることはありません。今年の6月に行われた「ゆび祭り」の指原莉乃さんも、いろいろな事情が重なってバッシングを受けやすい状況でしたが、現場では特に何も起きなかったようです。日本武道館に集まったAKB以外のファンの中には、指原さんとAKB運営の一連の行動を快く思っていない人もいたと思いますが、そうじゃない人の方が多い中では、周りの目を気にしていちいち声を上げようとは思わないんでしょうね。

今日のアイドリング!!!のニコはちライブに、ベイビーレイズが出演しました。
思いのほか、ベイビーレイズの曲で盛り上がるお客さんが多くて驚きました。ベイビーレイズが出ることが発表されたのはチケットの先行受付のあとだったのですが、曲に合わせてコールする人もたくさんいました。両方のファンを兼ねているのでしょうか。
現場にはベイビーレイズには興味がないファンもいたと思いますが、いちいち興味がないことをアピールする人は、コメントではちらほら見られましたが、現場にはいないようでした。アイドリングのファンの多くが、過去の品はちライブやジュクはちライブで、YGAとの対バンを経験しているからかもしれません。
ベイビーレイズは、メンバー5人の中で大矢さんと高見さんのふたりがアイドリングの5期生オーディションで落選していて、ステージや楽屋の生中継でもそのことに触れられていました。これって別のアイドルでたとえると「モーニング娘とAKBが共演して、道重さんが柏木さんの8期オーディションについて触れる」ってことで、そう考えると実はものすごいことなんですけど、そこはさすがタブーが少ないアイドリングです。ていうか、5期生と元5期候補生が共演しているのにそこに触れない方が逆に不自然なわけで、レプロの人もアイドリングの運営もよく共演にゴーサインを出したものです。
ベイビーレイズ
こちらがベイビーレイズ。後列の向かって左が高見さん、右が大矢さんです。ライブを見るのに夢中で、ベイビーレイズが出ているときにスクリーンショットを取るのを忘れたので、代わりに別のテレビ番組に出演したときのキャプチャー画像を載せます。今日の衣裳はこのときと同じでした。
下の画像が今回のニコはちライブのキャプチャー。ニコファーレの壁面はすべてLEDモニターになっていて、視聴者のコメントもここに流れます。上に出ている文字は、ニコニコ生放送の画面上で表示されている視聴者のコメントです。
アイドリング
ベイビーレイズが出演したニコはちライブは、ニコ生を見る限りではお客さんはいつも以上に盛り上がっているように見えたし、成功したといっていいと思います。ただ、ベイビーレイズの場合は先にも書いたように、アイドリングとは「5期候補生」という因縁があって、ファンのほとんどが大矢さんと高見さんのことを知っているので、他のアイドルより受け入れられやすかったという事情があったと思います。それと1曲しか歌わない、対バンというより完全なゲスト扱いだったことも理由に挙げられます。
もし、ゲストがアイドリングとあまり関係がないアイドルだったら。たとえば、「IDOL☆J@M」というソーシャルゲーム内でアイドリングと人気順を競っているSUPER☆GiRLSとかDorothy Little Happyが出たとしたら、もうちょっといろいろな反応があったような気がします。
でも、個人的にはめちゃめちゃ見てみたいんですよね。スパガやドロシーのワンマンライブへ行こうとはなかなか思えないけど、アイドリングのライブでスパガやドロシーが見れたらお得だと、アイドリングのファンだけどKSDDっぽくもある僕としては思うわけです(「KSDD」の意味は各自お調べください)。今度は1曲だけとは言わず、持ち時間が均等の完全な対バンのライブを見てみたいです。
昔と違ってファン同士のいがみ合いも少なくなったように思いますし、現場で「帰れ」コールを巻き起こすような度胸のある観客もほとんどいないと思うので、アイドリングも今以上にいろんな外の現場に出向いたり、あるいはほかのアイドルを受け入れたりすると、個人的にはおもしろいと思っています。

「ピアス」から「ビッチ」へと論理が飛躍してしまう、心と頭の残念な人たちに対する考察

2012年10月11日(木) 03:48 | アイドル

SKE48の松村香織が、Google+上に公開した動画で、アイドルが耳にピアスをすることについて自身の見解を語り、ファンの間に波紋が広がっている。

松村は8日に公開された動画内で、SKE48のメンバーが握手会などで接するファンからピアスの穴が開いていることを批判されたことについて言及。「なんでファンの方はピアスの穴が開いているのを気にするのですか?」と問いかけるとともに、「うーん、なんでですかね? ピアスはファッションだと思うし、ピアスの穴が開いているだけで、マイナスイメージとか、嫌いとか……穴で何を判断するのかな?って私は思ったんですけど」「ピアスの穴が開いてたら推し辞めるとか、バカじゃないそんなの?」と、自身の見解を語った。

さらに松村は、「(ピアスの)穴で判断されても困るじゃん。鼻に開いているわけじゃないし、それは自由だと思うんですけどね。今の文化って、そんなに穴に対して否定的かな」と、持論を展開。松村自身は以前に両耳にピアス穴を開けたが、左耳の穴はすでにふさがったため、現在は右耳のみ穴が開いているとのこと。その右耳をカメラに披露しつつ、「ピアス開いてたらビッチみたいな? それはちょっと、どうなんだと。皆さん側の意見を聞きたいな。不思議なんですよ、女子からして」と、疑問を呈した。

個人的に興味深いニュースだったので、取り上げてみます。

「ピアスの穴が嫌」と思うのは、理屈ではない、生理的なものだと思うんですよ。
これに近い事例として入れ墨がありますが、僕の場合、女性の体にタトゥーが入っているとちょっと引いてしまいます。首の後ろとか肩とか足首とかのワンポイントであっても、なんともいえない違和感を抱いてしまいます。なぜかと聞かれても、きちんと理由を説明できません。「生理的に拒絶してしまう」以外の理由が何もないからです。もちろんタトゥーを嫌だと思わない人がたくさんいることも知っていますし、通りすがりの人の体にタトゥーが見えたくらいで嫌な気持ちにはならないので、「入れ墨は悪だ!」などと言うことはありませんし、言いたくなる気持ちもまったくありません。
耳のピアスは何とも思いません。アイドリング!!!の中学生メンバーがピアスをつけていても、さすがアイドルは若いのにシャレオツなんだなぁと感心するだけです。でも舌やへそのピアスは引きます。これも生理的な理由です。

SKE48の松村さんや、ほかのアイドルのピアスの穴に対して拒否反応を示す人も、これと同じ「生理的な反応」にすぎないと思います。「体に穴が開いてる」ってことに対するなんとなくの違和感。きっと理屈なんてありません。
耳に穴を開けたから、生理的に嫌になってファンをやめるという人がいてもおかしくありませんし、その理由においてファンをやめた人を非難するのは間違っています。この点で言えば、松村さんの言動は配慮を欠いていると思います。「生理的なもの」にダメ出しされると、理屈がないだけに何も反論できませんから。

一方で、松村さんの言うとおり、誰がどこにピアスの穴を開けようが自由です。特に、耳のピアスに不快感を示す人はそれほど多くないわけで、実際に女性を中心にたくさんの人が耳に穴を開けています。
仮に、アイドルのファンおよび見込み客の中で、耳にピアスをつけることに対して違和感を抱く人が多数派であれば、きっと運営側から「穴を開けないように」とストップがかかると思います。でも現実は、同性を中心にファッションのひとつとして好意的にとらえる人の方が多いから、多くのアイドルがピアスをつけています。そもそもアイドルは人に見られるのが仕事ですから、メイクもファッションも人一倍気をつかうべきで、むしろピアスのようなアイテムは積極的に活用していくべき立場といえます。

ここで問題となるのは、理屈がないはずの「生理的な不快感」に理屈をつけて、その理屈を盾に松村さんや、そのほかの耳にピアスの穴を開けたアイドルを叩く人がいるという現実です。冒頭のニュースの後半部分で松村さんが非難しているのは、まさに生理的な不快感以外の理由で松村さんを叩く人の存在だと思います。
「ピアスの穴が開いている人が嫌い」という個人的な感情は仕方ありません。しかし、ピアスの穴が開いているかどうかで「人の価値」を判断するのはまるっきり別の話です。まして「ビッチ」なんて言葉を浴びせる人間、浴びせたくなる心情は、同じ男から見て軽蔑の対象にしかならない、最低の行為です。
こういうときに発せられる「ビッチ」という言葉には、三重の意味で女性を見下す意志が見えます。第一に、女性を「非処女」と「処女」に分け、「ビッチ=非処女」を蔑むべき存在として扱っていること。第二に、そういう考え方の土壌となっている、彼らの意識の根底にあるミソジニー(女性嫌悪)の発露。そして第三に、「ピアスをつけているかどうか」を「ヤリマンかどうか」の判断に安易に結びつけるという、相手をひとりの人間として見なさない態度。
「ビッチ」という言葉を平気で使うような人間は、つまりはそういう人間です。女性だけでなく、男性からも間違いなく嫌われるタイプの人間です。

なぜ彼らは、本来なら主観的でしかありえない「嫌い」という感情の根拠を、「ビッチ」などという主観とは別の判断基準に求めるのでしょうか。
その理由は、彼らは「自分の意見」や「自分の感情」を表明することに臆病であり、主語が「私」ではなく「私たち」あるいは「みんな」じゃないと不安でたまらないからだと思います。自分の感情や意見に自信がないから、自分の外側にある大きな力に自分自身を仮託するわけです。
彼らにとって、ピアスに対する不快感を「自らの生理的な拒絶反応」だと認めると、どんな不都合が生じるのか。それは、第三者に「それって君の主観でしょ?」と言われてしまうことです。彼らは自分の主観がおかしい、間違っていると他人に指摘され、自分が孤立してしまうのを極端に恐れるのです。
だから彼らは、どうにかして「嫌い」の主語を「私」ではなく「みんな」にすり替えようとする。しかし「みんな」を主語にしようと思ったら、その根拠は主観に求められない。だから、一見すると客観性を帯びているような言葉や概念をでっちあげて、複数の臆病な「私」がそこにすがりついて「みんな」を形成するわけです。
ピアスが非難される理由としてよく言われる「親からもらった体に穴を開けるなんて」みたいな言い方も、後付けの屁理屈だと思います。あれだって、個人的な違和感という根拠だけで子供にピアスをやめるように言うのが後ろめたい親が、もっともらしい理由をつけているだけだと思っています。

往々にして、複数の「私」を引き付ける言説は過激で攻撃的です。もともとの動機が「拒絶感への反発」という攻撃性だから、より攻撃力が強い言説が支持されやすくなります。
彼らの多くは、ある大きな劣等感を抱えています。皆は言いませんが、その劣等感と「ビッチ」という言葉が意味するものは対立関係にあります。だから彼らにとって、「ビッチ」という言葉を相手に投げかける行為は、ピアスに対する生理的な拒絶感に対する最強の攻撃手段となりうるのと同時に、自らの劣等感を正当化する方便にもなりうるわけです。それで彼らの多くが「ビッチ」という言葉に飛びついてしまうのです。

「自分の考えを表明できない臆病さ」はどこから来ているのでしょうか。先天的な性質かもしれないし、育った環境がそうさせたのかもしれない。でもそれ単独では決して責められるべきことではありません。だからといって、臆病な人が拒絶感を表明する手段として、過度に相手を傷つける言説を選ぶことは、強く非難されるべきだと思います。
僕がどうしても不思議に思うのは、生身の女性に対して「ビッチ」だとか「中古」だとか言えてしまうような精神状態に、どうやったらたどり着けるのかということ。こういう言葉を使うってことは、他人に対する最低限の配慮すらしない、あるいはできないと表明することと同義ですから、まともな人からの信用を失いかねません。それでもなお、同じ劣等感を持つ人との共感の方が大事ということでしょうか。不思議です。

結論。「ピアスの穴が開いてたら推し辞めるとか、バカじゃないそんなの?」と言われたとき、ピアスが嫌いな人の正しい反応は「俺はピアスが生理的に嫌いだから、推しなんて辞めてやるよ!」です。「あなたの容姿が生理的に嫌いです」みたいに先天的な要素を拒絶してしまうことは倫理的に問題がありますが、ピアスの穴は本人の選択によってしか生じないものなので、その能動的な選択および結果に対して拒絶反応を示すのは、妥当とまではいえないけれど容認できる行為ではあります。ひとりのファンがきわめて主観的な理由でそのアイドルを嫌いになったことを表明する、ただそれだけのことですから。
正しくない反応は「ピアスの穴を開ける女はビッチだ、だから推しなんて辞めてやるよ!」です。本来は主観的でしかない理由に客観的っぽい理由を後付けすることで、嫌いだと表明する主体性を放棄しようとするのは臆病かつ卑怯です。そのうえ、その理由がきわめて下劣で、相手に対して思いやりのかけらもないという、人間として軽蔑されるべき低レベルの行為です。このような考え方をしている人がいたら、今すぐ考えを改めるべきです。

「相手が何を望んでいるのか」が読み取れない

2012年10月13日(土) 03:10 | 日記

目の前にいる相手が何を望んでいるのか、何をしてほしいのかを相手の言葉や行動から読み取る想像力が、普通の人と比べて著しく劣っている。
だから、相手が望んでいることにいつも応えられない。

ここ数日いろいろあって、自分の人間性の重大な欠陥が具体的にどこにあるかを、今さらながら気づくことができました。
過去をいろいろ振り返ってみると、思い当たることだらけです。

これまで、自分が人から好かれない理由を、漠然と次のように考えていました。

思いやりが欠けている。
やさしさがない。困っている人を助けようとか、相手がいい気持ちになれるようにふるまおうとか、そういうことがなかなかできない。最低限のことは意識していればできるけど、ちょっとでも気が抜けたり、想定外のことが起きたりすると、ほかの人が当たり前に気を配れることでもできなくなってしまう。
こんな態度では、いつまでたっても他人から好かれるはずがない。

他人に対する興味がない。
共通の話題がない初対面の人との会話が続かないのは、まさにこの理由。相手から聞かれたことに対しては一生懸命話すけれど、こちらから相手に問いかけることは少ない。何を聞けばいいのかわからない。なぜなら、そのもととなる「聞きたい」「知りたい」という気持ちが生まれないから。
こんな態度では、いつまでたっても人脈が広がるはずがない。

思いやりがない人や、他人に対する興味が薄い人なんて、いろんなところにいると思います。でもそういう人たちが必ずしも社会から虐げられているわけではなく、中には一定の地位を得ている人もいます。
問題は、思いやりのなさや興味のなさが、いつどのように発現して、どのような形で相手に不快感なり不信感を与えるのかということです。
僕の場合、それが「相手が何を望んでいるのかが読み取れない」「その結果、相手が不快になるような行動を、無自覚のうちに取ってしまう」という形で出てしまうわけです。
これって人付き合いをするうえでは最悪です。この欠陥を覆すほどのメリットを提示し、相手がそれを認めてくれなければ「付き合う価値なし」と判断され、その人との関係を深めることができなくなります。
ビジネスにおいては、「相手のニーズをつかむ」という営業職にとって最も重要な能力のひとつが欠けているわけで、これでは営業は務まりません。これといって専門的な能力を持たない僕にとっては、この先も食いぶちが確保できるかどうか、不安でなりません。
「そんな人間がよく編集者とかライターとかやってられるな」と言われてしまいそうですが、実際に人間性の欠陥に起因する対応のまずさで顧客の信頼を失いつつあり、さらにはライターの技術でも信頼を失いつつあるので、今の仕事ができなくなる日は本当に遠くなさそうです。

こうして自分の人間性の欠陥がむき出しになるたびに、新たに人間関係を築いていこうという意欲がどんどん失せていきます。欠陥を改善できるあてもなければ、欠陥を補うほどの魅力や特技があるわけでもない。ただでさえ人との交流が少ないのに、さらに内にこもってしまうという悪循環にはまっています。
この欠陥は先天的なもので、幼い頃から思いやりのなさはいろんな人から指摘されていましたし、自覚もしていました。自分自身の欠陥から逃げずに向き合いながら、欠陥の存在を前提としたうえでの最大限の幸せを模索していきたいと思います。

ついにスマートフォンにしました

2012年10月17日(水) 02:40 | 日記

初めて携帯電話を買ったのは、大学を出て間もない1999年の春。あれから6台の機種を使い継いできました。当時J-PHONEだった社名は、ボーダフォンを経てソフトバンクモバイルになりましたが、一貫して同じキャリアを使い続けています。電話番号もずっと同じで、メアドも「jp-c.ne.jp」のところが「c.vodafone.ne.jp」に変わっただけです。
昔使ってた携帯
手元には、東京へ引っ越してから使ってきた3台の携帯電話があります。型番は奥から「V603SH」「822SH」「943SH」。すべてシャープ製です。
黄緑にピンクという、いい年したおっさんにしてはポップすぎるカラーリング。さすがに33歳のときに買った943SHはオーソドックスな白にしましたが。
スマホ
そしてこちらが、943SHに代わって新しく買ったばかりの携帯電話です。
ついにスマホにしました。富士通の「ARROWS A 101F」という機種です。色はシアン。初めての青系です。さっそく壁紙を、これまで使っていた943SHと同じ、以前に僕が撮影した京都の東福寺というお寺の風景にしました。
スマホ裏
裏側はこんな感じ。シールはあとではがします。

写真がいつもより大きいのは、スマホの操作に慣れてないから。いちばん上の写真は買ったばかりのスマホで撮影した、640×480ピクセルの写真。暗いせいなのか何なのか、画質の粗さが気になりまくります。下の2つは、スマホの写真をスマホで撮るわけにはいかないので、943SHで撮りました。こっちだけ小さい写真だとバランスが悪いので、大きさを合わせてみました。やはり粗さが気になります。このスマホはどうやらカメラが貧弱なので、日記に載せるための写真はこれまで通り320×240ピクセルで撮りたいのですが、どうやら通常の設定だとこのサイズで撮れないみたいで、最小サイズで640×480。まあ確かにいまどき320×240なんて使う人は少ないんでしょうけど。小さい写真が撮影できるアプリがあれば入手したいところです。

さて、今回は初めて富士通の機種を選んでみました。
2003年に、当時としては最新鋭の「J-SH53」を買ってから4台連続でシャープ製の携帯を使ってきましたが、少し前にシャープが経営不振で社員をリストラするときに社長が「膿を出し切って再生する」なんてほざいたことを知り、今の社長が消え去るまでこの会社の製品は絶対に買わないと決めたので、シャープという選択肢はあり得ませんでした。かといってiPhoneはなんかみんな持ってるし、電池が外せないとか防水機能がないとか、個人的に気に入らない点が多いので却下。ソフトバンクの場合、この2社を外すと一気に選択肢が限られてしまうわけですが、その中でいちばん使えそうだった機種を選んだらこれになりました。

これまでの携帯電話と操作方法があまりにも違いすぎるので、慣れるのがたいへんです。その前に、メールを前の携帯からインポートするなど、準備だけでもたいへんです。とりあえず自宅の無線LANのWi-Fiは使えるようになりました。あとインターネットのブックマークとかどうしよう。着メロとかメールの着信音とか、またゼロからダウンロードしないとだめっぽいし。
それと、パソコンとつなぐためのmicroUSBが自宅にないので買わなきゃいけないとか、やらなきゃいけないことがいっぱいです。今週一週間はスマホ関連の作業で終わりそう。フリック入力にも早く慣れたい。

それともうひとつ大きな問題。この「フォーキー☆カーニバル」をスマホで表示すると、文字が小さすぎて読めなかったり、レイアウトが崩れていたりして、見栄えがよろしくないということに気づきました。今後の課題として、スマホ用にカスタマイズしたページを新たに作るべきかどうか検討します。

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