19年間乗り続けたバイクとの別れ

2017年9月23日(土) 09:49 | 日記

5月21日。高速道路でバイクを走らせていたら、オーバーヒートでエンジンが焼き付いてしまい、エンジンが止まってしまいました。

高速道路で250ccのバイクを時速100キロで走らせるときは、少しの風でもふらつくマシンを制御しながら、道路の状況を注視し続ける必要があるので、なかなか水温計に目を配る余裕はありません。エンジンがおかしくなる前に水温計はHを示していたはずで、その時点で気づくことができれば最悪の事態は免れたのかもしれません。悔やまれます。

急にエンジンが回らなくなって驚きましたが、落ち着いてクラッチを切り、ゆっくりとバイクを路肩に止めました。
次のインターチェンジまで1キロほどだったのと、インターチェンジまでがほぼ平らだったので、バイクを押して高速道路の外に出ました(危険なので本当はやらない方がいいです。すぐに保険会社に電話するのがいいです)。外は午前中とはいえかなり暑かったので、重いバイクを押して歩くのはかなりたいへんでした。

外に出たところで、近所にバイク屋さんがあるわけでもなく、当然エンジンもかからないので、バイクをコンビニの外に置いたまま、保険会社に連絡してトラックを呼ぶことにしました。
NSR
こちらが動かなくなったNSRの最後の姿です。正式名称はNSR250RのRC21。1990年に生産されたバイクで、僕が買ったのは1998年秋のことでした。そこから19年近くにわたって、何度も修理しながら乗り続けてきました。
過去にはこんな大手術も経験しました。

高速道路でバイクが壊れた(2012年3月25日)
3か月ぶりに戻ってきたバイク(2012年6月24日)

買ったときは実家の高浜市に住んでいただから三河ナンバー。当時はまだ京都の大学へ通う学生だったので、NSRで京都へ行くこともありました。ライターの仕事を始めたころは、実家から名古屋までの通勤に使っていました。名古屋に引っ越してからも、車を買うまでは会社までバイクで通勤。東京に来てからは乗る頻度こそ減ったものの、年に数回は高速道路に乗って遠出をする機会がありました。
北は福島から西は京都まで、と書いてみるととたいした距離ではないですが、それでも合計5万8000キロほど、地球1周半の道のりを走ってきました。

出先から都内のバイク屋さんまで、業者の車に乗せてもらい、いったんバイクを預けました。修理するとしたらエンジン自体を載せ替えるしかなく、もはや27年落ちのバイクのエンジンが良好な状態で残っていることなんて期待できないから、最初から廃車を覚悟していました。バイク屋さんの診断結果は予想どおりでした。
ありえないくらい長く乗り続けてきたので廃車は仕方ないのですが、この19年間いろんな思い出を作ってきたバイクなので、別れはやはり名残惜しいものです。

こうなったら廃車手続きを淡々と進めるしかありません。必要な書類が自宅に残っていなかったこと、分割払いで買った関係で購入者の名義が自分ではなかったことが原因で手続きが手間取り、こちらも忙しくて手続きを後回しにしていたら、気づいたら3か月近く経っていました。
ちょうど8月は実家へ行くことになっていたため、NSRを買った知立市内のバイク屋さんへ行って、廃車手続きに必要となる販売証明書を発行してもらいました。19年前のデータでもきちんと残ってるんですね。その前にお店が現存していてよかった。こういうときに販売店が廃業していたらどうなるんだろう。

東京に戻り、バイク屋さんに書類を渡して、すべての廃車手続きが完了したのは8月25日のことでした。バイクが動かなくなってから3か月あまり。ようやく肩の荷が下りました。

移動手段が自転車だけというのは何かと不便なので、9月9日に新しいバイクを買いに行きました。この日は夕方からPASSPO☆のライブを見に行ったので、昼間に埼玉県まで電車を乗り継いで、お店で現物を見て、その場で購入手続きをして、それから日本青年館へ行きました。
実は今週1週間は休みを取っていまして、この休みに間に合わせたかったのですが、残念ながらバイクはまだ手元にありません。中古なので、整備や登録などが月内いっぱいまでかかるとのことです。
だからこの休暇はバイクではなく、バイクを買ったのと同じ日に会員になったタイムズカーシェアの車を乗り回しています。今は仙台市内の旅館でこの日記を書いています。

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