「ピアス」から「ビッチ」へと論理が飛躍してしまう、心と頭の残念な人たちに対する考察

2012年10月11日(木) 03:48 | アイドル

SKE48の松村香織が、Google+上に公開した動画で、アイドルが耳にピアスをすることについて自身の見解を語り、ファンの間に波紋が広がっている。

松村は8日に公開された動画内で、SKE48のメンバーが握手会などで接するファンからピアスの穴が開いていることを批判されたことについて言及。「なんでファンの方はピアスの穴が開いているのを気にするのですか?」と問いかけるとともに、「うーん、なんでですかね? ピアスはファッションだと思うし、ピアスの穴が開いているだけで、マイナスイメージとか、嫌いとか……穴で何を判断するのかな?って私は思ったんですけど」「ピアスの穴が開いてたら推し辞めるとか、バカじゃないそんなの?」と、自身の見解を語った。

さらに松村は、「(ピアスの)穴で判断されても困るじゃん。鼻に開いているわけじゃないし、それは自由だと思うんですけどね。今の文化って、そんなに穴に対して否定的かな」と、持論を展開。松村自身は以前に両耳にピアス穴を開けたが、左耳の穴はすでにふさがったため、現在は右耳のみ穴が開いているとのこと。その右耳をカメラに披露しつつ、「ピアス開いてたらビッチみたいな? それはちょっと、どうなんだと。皆さん側の意見を聞きたいな。不思議なんですよ、女子からして」と、疑問を呈した。

個人的に興味深いニュースだったので、取り上げてみます。

「ピアスの穴が嫌」と思うのは、理屈ではない、生理的なものだと思うんですよ。
これに近い事例として入れ墨がありますが、僕の場合、女性の体にタトゥーが入っているとちょっと引いてしまいます。首の後ろとか肩とか足首とかのワンポイントであっても、なんともいえない違和感を抱いてしまいます。なぜかと聞かれても、きちんと理由を説明できません。「生理的に拒絶してしまう」以外の理由が何もないからです。もちろんタトゥーを嫌だと思わない人がたくさんいることも知っていますし、通りすがりの人の体にタトゥーが見えたくらいで嫌な気持ちにはならないので、「入れ墨は悪だ!」などと言うことはありませんし、言いたくなる気持ちもまったくありません。
耳のピアスは何とも思いません。アイドリング!!!の中学生メンバーがピアスをつけていても、さすがアイドルは若いのにシャレオツなんだなぁと感心するだけです。でも舌やへそのピアスは引きます。これも生理的な理由です。

SKE48の松村さんや、ほかのアイドルのピアスの穴に対して拒否反応を示す人も、これと同じ「生理的な反応」にすぎないと思います。「体に穴が開いてる」ってことに対するなんとなくの違和感。きっと理屈なんてありません。
耳に穴を開けたから、生理的に嫌になってファンをやめるという人がいてもおかしくありませんし、その理由においてファンをやめた人を非難するのは間違っています。この点で言えば、松村さんの言動は配慮を欠いていると思います。「生理的なもの」にダメ出しされると、理屈がないだけに何も反論できませんから。

一方で、松村さんの言うとおり、誰がどこにピアスの穴を開けようが自由です。特に、耳のピアスに不快感を示す人はそれほど多くないわけで、実際に女性を中心にたくさんの人が耳に穴を開けています。
仮に、アイドルのファンおよび見込み客の中で、耳にピアスをつけることに対して違和感を抱く人が多数派であれば、きっと運営側から「穴を開けないように」とストップがかかると思います。でも現実は、同性を中心にファッションのひとつとして好意的にとらえる人の方が多いから、多くのアイドルがピアスをつけています。そもそもアイドルは人に見られるのが仕事ですから、メイクもファッションも人一倍気をつかうべきで、むしろピアスのようなアイテムは積極的に活用していくべき立場といえます。

ここで問題となるのは、理屈がないはずの「生理的な不快感」に理屈をつけて、その理屈を盾に松村さんや、そのほかの耳にピアスの穴を開けたアイドルを叩く人がいるという現実です。冒頭のニュースの後半部分で松村さんが非難しているのは、まさに生理的な不快感以外の理由で松村さんを叩く人の存在だと思います。
「ピアスの穴が開いている人が嫌い」という個人的な感情は仕方ありません。しかし、ピアスの穴が開いているかどうかで「人の価値」を判断するのはまるっきり別の話です。まして「ビッチ」なんて言葉を浴びせる人間、浴びせたくなる心情は、同じ男から見て軽蔑の対象にしかならない、最低の行為です。
こういうときに発せられる「ビッチ」という言葉には、三重の意味で女性を見下す意志が見えます。第一に、女性を「非処女」と「処女」に分け、「ビッチ=非処女」を蔑むべき存在として扱っていること。第二に、そういう考え方の土壌となっている、彼らの意識の根底にあるミソジニー(女性嫌悪)の発露。そして第三に、「ピアスをつけているかどうか」を「ヤリマンかどうか」の判断に安易に結びつけるという、相手をひとりの人間として見なさない態度。
「ビッチ」という言葉を平気で使うような人間は、つまりはそういう人間です。女性だけでなく、男性からも間違いなく嫌われるタイプの人間です。

なぜ彼らは、本来なら主観的でしかありえない「嫌い」という感情の根拠を、「ビッチ」などという主観とは別の判断基準に求めるのでしょうか。
その理由は、彼らは「自分の意見」や「自分の感情」を表明することに臆病であり、主語が「私」ではなく「私たち」あるいは「みんな」じゃないと不安でたまらないからだと思います。自分の感情や意見に自信がないから、自分の外側にある大きな力に自分自身を仮託するわけです。
彼らにとって、ピアスに対する不快感を「自らの生理的な拒絶反応」だと認めると、どんな不都合が生じるのか。それは、第三者に「それって君の主観でしょ?」と言われてしまうことです。彼らは自分の主観がおかしい、間違っていると他人に指摘され、自分が孤立してしまうのを極端に恐れるのです。
だから彼らは、どうにかして「嫌い」の主語を「私」ではなく「みんな」にすり替えようとする。しかし「みんな」を主語にしようと思ったら、その根拠は主観に求められない。だから、一見すると客観性を帯びているような言葉や概念をでっちあげて、複数の臆病な「私」がそこにすがりついて「みんな」を形成するわけです。
ピアスが非難される理由としてよく言われる「親からもらった体に穴を開けるなんて」みたいな言い方も、後付けの屁理屈だと思います。あれだって、個人的な違和感という根拠だけで子供にピアスをやめるように言うのが後ろめたい親が、もっともらしい理由をつけているだけだと思っています。

往々にして、複数の「私」を引き付ける言説は過激で攻撃的です。もともとの動機が「拒絶感への反発」という攻撃性だから、より攻撃力が強い言説が支持されやすくなります。
彼らの多くは、ある大きな劣等感を抱えています。皆は言いませんが、その劣等感と「ビッチ」という言葉が意味するものは対立関係にあります。だから彼らにとって、「ビッチ」という言葉を相手に投げかける行為は、ピアスに対する生理的な拒絶感に対する最強の攻撃手段となりうるのと同時に、自らの劣等感を正当化する方便にもなりうるわけです。それで彼らの多くが「ビッチ」という言葉に飛びついてしまうのです。

「自分の考えを表明できない臆病さ」はどこから来ているのでしょうか。先天的な性質かもしれないし、育った環境がそうさせたのかもしれない。でもそれ単独では決して責められるべきことではありません。だからといって、臆病な人が拒絶感を表明する手段として、過度に相手を傷つける言説を選ぶことは、強く非難されるべきだと思います。
僕がどうしても不思議に思うのは、生身の女性に対して「ビッチ」だとか「中古」だとか言えてしまうような精神状態に、どうやったらたどり着けるのかということ。こういう言葉を使うってことは、他人に対する最低限の配慮すらしない、あるいはできないと表明することと同義ですから、まともな人からの信用を失いかねません。それでもなお、同じ劣等感を持つ人との共感の方が大事ということでしょうか。不思議です。

結論。「ピアスの穴が開いてたら推し辞めるとか、バカじゃないそんなの?」と言われたとき、ピアスが嫌いな人の正しい反応は「俺はピアスが生理的に嫌いだから、推しなんて辞めてやるよ!」です。「あなたの容姿が生理的に嫌いです」みたいに先天的な要素を拒絶してしまうことは倫理的に問題がありますが、ピアスの穴は本人の選択によってしか生じないものなので、その能動的な選択および結果に対して拒絶反応を示すのは、妥当とまではいえないけれど容認できる行為ではあります。ひとりのファンがきわめて主観的な理由でそのアイドルを嫌いになったことを表明する、ただそれだけのことですから。
正しくない反応は「ピアスの穴を開ける女はビッチだ、だから推しなんて辞めてやるよ!」です。本来は主観的でしかない理由に客観的っぽい理由を後付けすることで、嫌いだと表明する主体性を放棄しようとするのは臆病かつ卑怯です。そのうえ、その理由がきわめて下劣で、相手に対して思いやりのかけらもないという、人間として軽蔑されるべき低レベルの行為です。このような考え方をしている人がいたら、今すぐ考えを改めるべきです。

コメント

非常に論理的かつ明快!!

感服しました!!!

コメントありがとうございます。
峯岸さんのあの事件も、本人やその周りが一部の特殊なファンのことを必要以上に気にしすぎたのが、背景のひとつにあったのかもしれませんね。

過去の記事にコメントで申し訳ないのですが、ひとつよろしいでしょうか。
「親からもらった体に穴を開けるなんて」は私にとっては屁理屈などではなく、本心から「親から頂いたこの体はこの上なく尊いものであり、自ら傷つけるだなんてとんでもないことだ」と思っております。

相手が同じ価値観であるとは思っておりませんし、強要するものでもないことはわかっておりますが、人は己の価値観によってしか表現をすることができません。だから私はピアスを開けようとする人に「親からもらった体に」と言うのです。

あなたもそうでしょう、やはり自分の価値観によって物事を表現されている。
それが当然であり、自然です。あなたも、私も、全ての人があなたの言う「心と頭の残念な人たち」と同じなのですよ。

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